Dr. Tairaのブログ

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巷に氾濫する新型コロナのPCR検査に関する誤謬記事

2020.09.09: 10:15 a.m. 更新

このところ、相変わらずというか、新型コロナウイルスSARS-CoV-2)PCR検査に関するデマおよび詭弁を載せたウェブ記事を見かけることが多くなりました。このブログでは、最近のこの手の2つの記事について論評しました(→新型コロナについて詭弁を続けるウェブ記事–1 超過死亡はない?新型コロナについて詭弁を続けるウェブ記事–2)。PCR検査についてデマ・詭弁記事を掲載しているインターネットメディアとしては、BuzzFeed東洋経済ONLINE、PRESIDENT ONLINEなどが挙げられます。

今回は、本間真二郎医師の「新型コロナ「検査の陽性者」=「感染者」ではない…!PCR検査の本当の意味」という記事 [1] について論評したいと思います。プロフィールを見ると、米国国立衛生研究所NIHでウイルス学、ワクチン学の研究を行なっていたとありましたのでそれなりに期待したのですが、まずはタイトルからして専門家らしからぬ表現と感じました。なぜなら飛躍したキャッチーなタイトルに見えるからです。

以下それぞれのサブ項目について、本文を引用しながら見ていきたいと思います。

1. 「新規の感染者」とは、じつは単なる検査の陽性者

この記事ではPCRの検査の意味について冒頭に述べられています。その観点から、このサブタイトル自身は正しいです。本間氏は「私の結論から申し上げると、「検査の陽性者」=「感染者」ではありません」と言っていますが、厳密に言えばそのとおりです。一方で、テレビ等をはじめとするメディアが、検査の陽性者を感染者と呼んでいることも事実です。つまり、以下で述べるとおり、事実上陽性と感染は同じと考えでもいいと思います。

ちなみに、東京都はPCR検査陽性者を陽性患者と呼んでします。

2. PCR検査でわかるのは、ウイルスが「いる」か「いないか」だけ

このサブタイトルも正しい見方です。本間氏はさらにPCR検査で確定できないことはいくつもあるとして、以下の5つの例を示しています(引用1)。

引用1

(1)「ウイルスが生きているか」「死んでいるか」もわからない

(2)「ウイルスが細胞に感染しているかどうか」もわからない

(3)「感染した人が発症しているかどうか」もわからない

(4)「陽性者が他人に感染させるかどうか」もわからない

(5) ウイルスが「今、いるのか」「少し前にいた」のかも、わからない

上述した5つは基本的に言えば間違いではないですが、飛躍やミスリードがあり、SARS-CoV-2の場合については、全面的に正しいということもありません。枝葉末節や例外的なことを誇張して全体の主旨を曲げてしまうと詭弁になるということにも注意が必要です。以下この理由について説明します。

(1)については、ウイルスは厳密には生物の範疇からは外れるので、「生死」の概念が当てはまらないことは、本間氏も断り書きをしているとおりです。しかし、便宜上「生きている=増殖(=ウイルスの再構成)」と考えれば、その状況証拠は検査で得ることができます。

SARS-CoV-2の検査は、現在複領域標的の TaqMan PCRプローブRT-PCRというリアルタイムPCR(RT-PCRの変法(この技法については「PCR検査をめぐる混乱」参照)が世界標準として用いられています。この方法は、検体中に含まれている標的遺伝子のコピー数(=ウイルスの個数と考えてよい)を定量することができます。具体的にいうと、標的の核酸領域の増幅を繰り返し行い、増幅シグナルが立ち上がってくるカーブをある閾値で区切ったサイクル値(これをCt値という)に基づいて、元の検体中の遺伝子のコピー数を算出することができます。遺伝子のコピー数が多いほど、早いサイクル段階でのシグナルが見られますので、それだけCt値は小さくなります。

したがって、Ct値から算出されるコピー数に基づいて、ウイルスがどの程度増殖しているかということも間接的に知ることができます。一方、ウイルスの残骸(これ自体は曖昧な言葉で注意)が検体中に含まれる可能性を考えるとしても、この場合は、もはや増えていない段階なので、PCRで拾うことはまずありません(理由は後述)。

Ct値に対応する標的遺伝子のコピー数の実際の検量線作成では、高い濃度を10倍段階希釈した標準の標的DNA溶液でTaqMan PCRを行ない、Ct値に対して10倍段階希釈液中の標的遺伝子コピー数をプロットします。検出限界である1コピーの標準液をつくって実験することは現実的には不可能ですが、一般に、この検量線に従って、標的遺伝子が1コピーに相当するCt値を探ると、40–45の範囲になることがほとんどです(図1)。ただし、閾値のラインをどこにとるかでCt値は大幅に変わってきます(図1脚注参照)。

図1. TaqMan PCRの反応液中の初発遺伝子コピー数とCt値との関係. 既知濃度の細菌DNA断片溶液 [アンモニア酸化酵素遺伝子amoA] を10倍段階希釈したサンプルで得られたCt値(筆者未発表データ). 10コピーはCt=38、1コピーはCt=41に相当. このデータでの閾値のラインは蛍光シグナルの立ち上がりが直線的になったところで決定しているので、閾値ラインを立ち上がりのギリギリまで下げればCt値は2ほど低くなる(すなわち、10コピーはCt=36、1コピーはCt=39程度になる).

国立感染研究所SARS-CoV-2の検査マニュアル [2] では、45サイクルまでPCRを行なうことを勧めていますが、これは上記の理由によるものと思われます。

理論上は1コピーでも検出はできるということになりますが、実際の検体では、DNA増幅を阻害するような様々な雑侠物が混入している可能性があります。実際を考えると、反応液中に数コピー〜10コピー程度の標的遺伝子がないと検出は難しいでしょう。

英国の研究チームは、Ct値とウイルスの培養性(culturability)の関係する研究報告を行なっています(→発症前から発症時の感染者の伝播力が高い?)。それによると、Ct=25以内では、ウイルスの培養性が高いことが認められています。つまり、Ct≤25で増幅シグナルが立ち上がってくるような検体では、実際に「活性をもつ=感染性をもつ="生きている"」ウイルスが入っていることを示すものです。培養性というのは、ウイルスを細胞に感染させてその細胞を培養し、その結果ウイルスが増えるかどうかという意味です。

ウイルスは細胞の中でしか増殖できませんので、Ct値25以下のようなコピー数の高い検体の患者では、細胞に感染して増殖していることを示すものです。したがって、上記の(1)と(2)については標準のPCRだけを考えれば間違いではないですが、現行のSARS-CoV-2のPCR検査を考えれば、必ずしも正しいとは言えないということになります。

(3)の「感染した人が発症しているかどうかもわからない」、および(4)の「陽性者が他人に感染させるかどうかもわからない」は、まったくのミスリードです。なぜなら、ここで論じていることはPCR検査についてであり、標的のウイルスの存在と、その量が論点の範囲です。「発症」とか「感染させるかどうか」については、診断上や解釈の問題であって、PCR検査自体の論点から外れます。あえて言う必要のないことであり、言いすぎると詭弁になります。SARS-CoV-2の感染者は無症状の場合が多々あり、二次感染させる過半数も無症状者(発症前無症状者+無症候性感染者)と言われているのでなおさらです。

とはいえ、日本の行政検査においては、基本的に発症者についてPCR検査を実施しており、確定診断としてPCR検査を用いているので、検査で陽性となれば、その人は自動的にCOVID-19発症者、あるいはCOVID-19感染者ということになります。

また、他者に感染させるかどうかという伝播力については、感染源とされる唾液のPCR検査で陽性となり、ウイルス量が算出できれば、間接的な答えを得ることができます。本間氏の以下(引用2)の言述の前半部分は、PCR検査の限定的な場合と当たり前のことを引用して、感染性を否定しているつもりですが、「感染性がわからない」という命題とは繋がりません。「うつすことはできません」という「わかる例」をひっぱってきているからです。

引用2の後半部分では、「ウイルスが感染するためには、数百〜数万以上のウイルス量が必要になります」という明解な感染性の答えを出していながら、「感染性がわからない」とするのは話が繋がらず、矛盾しています。上述したようにSARS-CoV-2のPCR検査ではウイルス量が算出できますので、伝播力について間接的な答えを出すことができます。

そして「体内に1個〜数個のウイルスしかいない場合でも陽性になる場合があります」は、明らかに間違いです。上述したように、理論上Ct値=40–45は遺伝子1コピーに相当しますが(実測では5コピーでCt値38に相当 [3])、これは反応液中に遺伝子が1コピー存在するということであり、元の検体中のコピー数を表しているのではありません

引用2

体内のウイルスが死んでおり、断片だけが残っている場合は他人に移すことはありません。また、ウイルスが生きていても、その数が少なければ人にうつすことはできません。

通常ウイルスが感染するためには、数百〜数万以上のウイルス量が必要になります。しかし、PCR法は遺伝子を数百万〜数億倍に増幅して調べる検査法なので、極端な話、体内に1個〜数個のウイルスしかいない場合でも陽性になる場合があります。

それでは反応液中の1コピーが元の検体中の何コピーに相当するのか、感染研の検体輸送・検査マニュアルに従って計算してみましょう。

当該マニュアルによれば、鼻咽頭ぬぐい液の場合、ぬぐった綿棒を1–3 mLのウイルス輸送液に浸します。そのうちの140 μLを取り出してRNAの抽出とcDNAの合成(逆転写反応)を行い、60 μL のバッファーに溶かしてPCR検査用試料とします。この操作手順での回収率は通常50%程度と予想されます。そして、この試料 5 μL を使ってPCRを行ないます。

したがって、回収率50%ということを前提にすると、このプロトコールにおける理論上の検出限界である1コピー/反応チューブは、元の検体中において、(1000/140) × (60/5) × 2 =171(コピー数)に相当するという解釈になります。

実際、感染研のマニュアル [2] では、標的遺伝子によって検出限界は異なり、Nセットでは7コピー/反応チューブ、N2セットでは2コピー/反応チューブとなっていますので、それぞれ171×7=1197、171×=342のコピー数が検体輸送液1–3mLに存在しないと、PCR検出がむずかしいということになります。

つまり、PCR検査でCt値=40–45で陽性となるためには、検体中に最低でも数百〜千個程度のウイルス量が必要であり、検体採取で数個のウイルスがとれたとしても、実際のPCR検査では検出できないのです。ましてや、環境中のウイルスが検体中に数個混入したとしても、PCRで検出するのは不可能であり、安全キャビネット内で操作するので、反応チューブ内にウイルスが混入することもないです。Ct値≥37を偽陽性とみなすような論調がありますが、これも科学的根拠がないことはおわかりでしょう。

「ウイルスの残骸」という言葉もあいまいで何を指しているのかよくわかりません。細胞内で増殖してそれが細胞外に飛び出したウイルスが検体として拾われ、その遺伝子をPCRで検出しているわけなので、「残骸がPCRで検出される」という言い方には具体性がありません。実際にSARS-CoV-2感染者において、経時的に残存するウイルスのゲノムRNAと分解されたゲノムRNAとの両比については何もわかっていません。

とはいえ、標的遺伝子や用いる試薬キットが異なれば、検出限界や増幅効率も異なりますので、実用上の陽性判定のためにCt値をどこで切るかも変わってくる可能性があります。これらを考えて主要メーカーのRT-PCRのキットは、検査条件が最適化されているのです。実際上の検出では数コピーの存在が必要であり、これらを加味した上で、メーカーおよび各国のSARS-CoV-2の検出基準では、Ct値37–38を陽性の限界としているところが多いようです。これは、繰り返しますが、それ以上高いCt値の検出が信用できないということではないのです。

PCRでこのような状況ですから、感度で1000倍以上劣る迅速抗原検査の場合は、陽性反応が出た場合、それが非特異的反応(偽陽性)でない限り、数十万〜数百万コピーのウイルスの存在を意味するわけです。すなわち、陽性=感染という意味になります。

(5) の「ウイルスが「今、いるのか」「少し前にいた」のかも、わからない」に関しては以下のように述べています(引用3)。

引用3

一度感染すると、ウイルスの断片は鼻咽頭からは1〜2週間、便からは1〜2か月も検出されることがあります。これらはあくまで遺伝子の断片です。

この言述にはPCR検査の論点について「陽性→遺伝子の断片」という極論化,歪曲化した引用がなされていて、今、いるのか、少し前にいたのかも、わからない」という結論に誘導しています。これはダミー論証(ストローマン)の一種であり、詭弁です。そして部分的には事実誤認です。

なぜなら、繰り返しますが、検査で得られるCt値に基づいてウイルス量が算出できる(=増殖量がわかる)ので、「今ウイルスがいる」ことが証明されるからです。ウイルスが増殖しなくなると、急速に分解されていきます。したがって、これらの残骸をPCRで拾う可能性は、限りなく低いでしょう(実際はあり得ない)。

3. 感染とは「生きたウイルス」が細胞内に入ることで、発症とは別

このサブ項目については基本的に正しく、コメントすることはありません。

4.「検査陽性者」を「感染者」とすることが問題になる理由

このサブ項目で、「検査陽性者を感染者とすることは問題」という本間氏の主張には異論はありません。なぜなら偽陽性の問題があるからです。

しかし、ことさら「陽性=感染ではない」を強調すると詭弁になります。上述したように、偽陽性でない場合、検査感度からみて陽性=感染になるからです。以下の引用4での主張には明らかな飛躍があって詭弁です。検査陽性をすぐに感染と結びつけるのは問題ですが、「発症者」の病気を確定診断するには検査陽性が必要ですので、逆に「検査陽性=ウイルスがいる」状態は感染している可能性を示すものです。

あくまでもこの可能性が前提とならなければならないのに、「PCR検査陽性→病気→国民の全員が風邪」と飛躍的展開を行なっています。つまり「感染の可能性」をも否定する言述になっていて問題です。

引用4

もし、ウイルスが「いる」状態(PCR検査陽性)を感染=病気としたら、風邪の場合は国民のほぼ全員が感染している、つまり風邪をひいているということになります。

つまり「検査陽性=ウイルスがいる」ことだけでは「感染といってはいけない」のです。

そして、ここでは「風邪のウイルスには、裸で寝ようが普通に寝ようが、私たちは普段から常に接触しているのです。つまり、常にウイルスは気道上(のどや鼻)に「いる」のです」と比喩しながら、あたかもSARS-CoV-2に暴露されただけでPCR検査で陽性となるような誤謬も犯しています。

5.  ウイルスをもらっても感染しなければ何も問題はない

このサブ項目には以下のような驚くような言述があります(引用5)。「ウイルスがいても感染しなければいい、感染しても発症しなければいい、たとえ発症しても重症化しなければいい」という、それら自体は当たり前のことを、半ば開き直り気味に言うことに何の意味があるのでしょうか。

引用5

ウイルスをもらっても(ウイルスがいても)感染しなければ何も問題はありません。感染しても発症しなければいいのです。そして、たとえ発症しても、重症化しなければいいのです。

その一方で、自分はPCR検査を否定するものではないというエクスキューズもあります(引用6)。

引用6

ただし誤解のないように申し添えると、私はPCR検査に問題があるといっているわけではありません。PCR法は一般にはウイルスをもれなく見つける精度はとても高い検査になります。

ただ、以下の引用7の言述にはデマが含まれています。前半に見られる「精度は70%」というところは「感度が70%」という意味だと思いますが、この感度70%は感染症コミュニティの専門家を中心に発し続けられている全くのデマであることは先のプログ(コロナ禍で氾濫するPCR検査に関する詭弁)で指摘したとおりです。現時点で「PCR検査の固有感度は決められない」というのが科学的態度です。

そして「精度は70%」という言い方は、引用6の「精度はとても高い検査」というところとまったく矛盾します。

引用7

しかし、新型コロナウイルスに対してでは、この「もれなく見つけるという能力」が低く、精度は70%ほどと推定されており、せっかくのメリットが生かされていません。

この能力が低い理由は様々なことが考えられますが、大きくはウイルス量が少ないこととウイルスが変異していることの2点になると思います。にもかかわらず、新型コロナウイルスの検査法ととし、PCR法が世界で共通して行われているのは、他の検査法がないためという点に尽きます。

さらに、引用7後半に”能力が低い"理由として挙げられている「ウイルス量が少ないこととウイルスが変異していることの2点」は、そのままでは意味がよくわかりません。感染直後はウイルス量が低くてPCRで検出できない、ウイルスが変異してPCRプライマーがかからないなどの補足説明が必要でしょう。ウイルスの変異でPCR検出に影響があることは考えられますが、実際に、変異で現行PCRのプライマーが機能しなくなったと言う報告は、現時点ではありません(→ウイルスの変異とPCR検査)。

6. 陽性者が少ない状態で検査数を増やすと、間違いばかりが多くなる

このサブ項目にも誤謬があります。すなわち、次の引用8前半にある「陽性者が少ない状態で検査数を増やすと、この間違えて「陰性を陽性」としてしまう数ばかりが多くなってしまう」という考え方は、「そのままPCR検査に適用できない」ということを理解していない日本の医クラの人たちが単純によく犯す間違いです

一般に、陰性を陽性としてしまう、いわゆる分析上の偽陽性は、特異度が高くない検査法で起こる可能性があります。たとえば特異度99%の検査法であれば、1万人の非感染者を検査すると100人を陽性としてしまう確率になり、事前確率が高いほど偽陽性の絶対数は小さくなっていきます。その意味で引用8の言及は間違いではありません。

ところがこの考え方は、交差反応等の非特異的反応を起こす検査法に通用する話(古典的医学ドグマ)であって(たとえばインフルエンザの簡易抗原検査など)、非特異的反応が起こりにくいPCR検査 [4] では通用しないのです。PCR検査の偽陽性は原理上まず起こらず(理論上、特異度100%)、発生するとすれば感染者の検体の汚染(クロスコンタミ)がほとんどです [5]。つまり、感染者がいない(事前確率が低い)と偽陽性は発生しようがなく、1万人の非感染者集合体を検査すればすべて陰性と判定するでしょう。

引用8

間違いの頻度が少なくても、数が多くなると問題が大きくなります。とくに陽性者が少ない状態で検査数を増やすと、この間違えて「陰性を陽性」としてしまう数ばかりが多くなってしまうのです。

..........

つまり、PCR検査とは、無症状の人を含めて闇雲に検査をするものではなく、医師が診察して(あるいは問診などにより)コロナウイルスの検査が必要だと判断した人(陽性の可能性が高い人)に対して行う検査なのです。

そして、引用8後半の「PCR検査とは、無症状の人を含めて闇雲に検査をするものではなく....」の下りは、感染症としての新型コロナの性質を理解していない言及であり、これも日本の医クラに多く見られます。

まずは、SARS-CoV-2の二次感染の過半数は、無症状の人(無症候性や発症前伝播)から起こっている科学的知見があり、すでに常識化しています(→感染拡大防止と社会経済活動の両立の鍵は検査)。つまり、ウイルスの基本再生産数がそれほど高くないという条件付きですが(あまりにも高いと感染・伝播抑制は困難)、無症状者・無症候性感染者を含めた「検査・追跡・隔離」を行なわないと、感染拡大の抑制はできないということです。

4月をピークとする当初の流行は緊急事態宣言解除とともに減衰しましたが、このときは無症状感染者の追跡と検査はほとんど行なわれていませんでした。その結果、今回の8月頭をピークとする再燃流行を招きました。そして、検査を拡げた結果、若年層の無症状者からの飲食感染、職場感染、家庭内感染が、今回の流行の主体であったこともわかりました。逆に無症状者の検査を行なっていなかった5月までの流行においては、ウイルスの変異を見過ごしてしまうという失敗を、国立感染症研究所は犯してしまいました。

無症状者も含めた検査拡充は感染拡大の抑制や流行の把握のために必須であるだけでなく、社会経済活動を可能とするために重要であると考えられます。このシステムがないと次に流行が起こった時にまた経済活動が止まってしまいます。世界の先進諸国は積極的にこの対策を行なっていますが、日本はまったくと言っていいほど無策です。

この本間氏の記事もそうですが、PCR検査を医療行為としてしか見ることができず、防疫対策や社会政策における検査の視点を欠く人たちが、一貫して無謬や詭弁を続けているようです。

6. 検査に精力を傾けるよりもみずからの暮らし方や食生活を見直す

このサブ項目まで来ると本間氏の主張は詭弁が目立ち、そして精神論・観念論に陥っています。

まずは次の主張です(引用9)。彼は冒頭でPCR検査の意義を「ウイルスがいるかいないかを判定するだけ」とせっかく言述しているのに、「PCR検査→陰性→絶対に安全とはいえない→費用や煩雑さの問題」と恣意的に歪曲して引用し、冒頭からは論理的にズレた展開になっています。そして最終的にPCR検査の否定に結びつけています。

しかも「絶対に」と形容を用いています。世の中に絶対ということはありません。「コロナにかかっても絶対死ぬとは限らない」、「車を運転していても絶対安全とは限らない」というような言い方は、論点をズラして、あり得ないことや当たり前のことを新たに攻撃材料にして、元を否定するというのはストローマン論法の典型であり、詭弁です。

引用9

もう一点、逆の視点から補足すると、「検査陰性」でも絶対に安全とはいえないのが、PCR検査でもあるのです。

ウイルスをもらってすぐ、あるいは細胞に感染してすぐの状態でウイルスが増えていない場合では、結果は陰性になります。また、検査した後に新たにウイルスをもらっている可能性がありますので、検査が陰性であっても、絶対に安全とはいえません。

安全性を高めるためには、定期的に繰り返しの検査が必要になりますが、それでも絶対にはなりませんし、費用や煩雑さの問題も生じます。

次の引用10の主張も矛盾しています。つまりPCR検査の陰性を「絶対に安全とはいえない」と述べながら、「新型コロナを恐れない」と論理的な破綻を起こしています。そして、主題の「PCR検査の本当の意味」に対して、暮らし方や食生活を見直す」、「自然に沿った暮らし方に改めていく」、「自然治癒力を高めていく」はまったく関係のない主張になっています。

引用10

そこに精力を注ぐよりも、みずからの暮らし方や食生活を見直し、不自然な日常をひとつずつでも自然に沿った暮らし方に改めていくことが、自分自身の免疫力や自然治癒力を高めていくことにつながります。それこそが、新型コロナを恐れない根本的、かつ、唯一の方法と信じています。

ここまで来ると、それまでの論点や科学的主張から脈絡がなくなっています。もはや精神論や観念論になってしまっていて、この記事の科学的論述がいっぺんに意味のないものに変わってしまいます。

7. 現在の流行は「感染の第2波」ではなく「第1波のくすぶり」ととらえるべき

このサブ項目の主張については細かい点で反論もありますが、サブタイトル「...第1波のくすぶりととらえるべき」は、私も基本的に同じ考えです。私は「第1波の再燃」と呼んでいます(→流行第1波の再燃)。なぜなら、流行が始まってから1日たりとも陽性者がゼロになっておらず、ウイルスの系統も4月のピーク時から引き継いでいるからであり最初から流行は続いていると考えた方が妥当です。とはいえ、これがいわゆる第1波と異なる変異ウイルスでもたらされた流行であるなら、第2波と言った方がよいでしょう。

おわりに

上述したように、検査の陽性は感染を意味しないというのは間違いではないですが、精度の高いPCR検査の場合はこれは当てはまらず、そして感染した細胞から排出された最低でも数百〜千コピーのウイルスを検体として拾った上で成立する検査だと言えます。

世界各国では新型コロナ感染症の拡大抑制と社会経済活動維持に向けて、日々蓄積されていく科学情報に基づいて検査の意義を考え、その運用を合理的に進めようとしています。一方で、日本は、相変わらず有症状者の患者確定のための行政検査が中心であり、経済活動に必須な防疫対策もほとんどなされておらず、検査の意義付けもなされていません。そして、この行政検査さえも抑制しようかという流れになりつつあります。

防疫対策としての検査拡充が非合理である言う人たちは、今回の流行に関する科学的考察をすっ飛ばしていきなり、いきなり「新型コロナは恐れることはない」、「季節性インフルエンザ並み」という楽観論に傾いているように思われます。そこには現時点では科学的根拠はありません。したがって、検査拡充不要論を説くために無理にデマや詭弁を使わざるを得ないということなのでしょう。

PCR検査は単純にウイルスの遺伝子を検出するためのものです。それなのに、「感染とは言えない」とか「人にうつすかどうかわからない」とか「発症するとは限らない」とか、臨床診断上の話を持ち出して、検査自体の価値を貶めたり、否定するような論調は一体何なのでしょう。

これだけPCR検査に関するデマや詭弁記事が氾濫する国は、世界広しといえども日本だけであり、そして医クラの人たちを中心にこの手の主張が見られます。ここに来て、またデマ記事が増えている気がします。大変残念ですが、コロナ禍で、日本のこの分野の科学力の低下と科学的態度の劣化が露になったことをつくづく感じます。そして、この手の検査デマが蔓延している限り、これからやってくるであろう第3、第4、第5...の流行の波での被害を、想像以上に大きくしてしまう懸念があります。

引用文献・記事

[1] 本間真二郎: 新型コロナ「検査の陽性者」=「感染者」ではない…!PCR検査の本当の意味. 2020.09.03. https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75285?imp=0

[2] 国立感染症研究所: 病原体検出マニュアル 2019-nCoV Ver.2.9
令和2年3月18日. https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/2019-nCoV20200318v2.pdf

[3] 京都大学医学部附属病院 検査部・感染制御部: 「SARS-CoV-2 核酸検出」PCR反応系の比較検討. 2020.03.24. https://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/~ict/clm/wp-content/uploads/2020/03/SARS-CoV-2PCR200324.pdf

[4] Corman, V. M. et al.: Detection of 2019 novel coronavirus (2019-nCoV) by real-time RT-PCR. Euro Surveill. 25(3):pii=2000045 (2020). https://doi.org/10.2807/1560-7917.ES.2020.25.3.2000045 

[5] Sethuraman, N. et al.: Interpreting Diagnostic Tests for SARS-CoV-2. JAMA 323(22), 2249-2251 (2020). https://jamanetwork.com/journals/jama/article-abstract/2765837

引用した拙著ブログ記事

2020年3月24日 PCR検査をめぐる混乱

2020年9月5日 新型コロナについて詭弁を続けるウェブ記事–2

2020年9月3日 新型コロナについて詭弁を続けるウェブ記事–1 超過死亡はない?

2020年8月26日 コロナ禍で氾濫するPCR検査に関する詭弁

2020年8月15日 発症前から発症時の感染者の伝播力が高い?

2020年7月13日 感染拡大防止と社会経済活動の両立の鍵は検査

2020年7月3日 流行第1波の再燃

2020年6月11日 ウイルスの変異とPCR検査

               

カテゴリー:感染症とCOVID-19