Dr. Tairaのブログ

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ウイルスの変異とPCR検査

はじめに

新型コロナウイルスSARS-CoV-2を検出するための検査としては、ウイルスのRNAを標的とするPCR検査、類似の核酸増幅法であるLAMPやSmartAmp、およびウイルス表面のタンパク質を標的とする抗原検査があります。日本ではPCR検査も抗原検査も感染を同定する確定診断法として用いられていますが、精度としては前者の方が高く、世界的にはPCRが唯一の、あるいは最も精度の高い確定診断法"Gold standard"であると認識されています(→PCR検査の精度と意義)。

この記事では、SARS-CoV-2の検出におけるPCRの精度を保証する標的部位とプライマー等の設計の問題について、とくにウイルスの変異の観点から考えてみたいと思います。 

1. SARS-CoV-2検出のための現行PCR

いま用いられているPCR検査は、正確にはウイルスのRNAを抽出し、そのRNAをDNAに転写し、そのcDNAを鋳型として標的遺伝子をリアルタイムで増幅・モニターする逆転写リアルタイムPCRrRT-PCR)です。一般的には2–3の標的領域(遺伝子)を決め、それらを同時に検出して(いわゆるマルチプレックスPCRで)ウイルスRNAの存在を証明しています。その増幅のためにはプライマーと呼ばれる標的領域の両端に特異的に結合する短いDNA(オリゴヌクレオチド)が必要ですが、それらの特異性を維持するようにいくつかのプライマーセットが設計されています [123]

現在世界的に使われているプライマーセット(世界保健機構WHO [1] およびNIID国立感染研究所 [2] 公開)の標的領域を図1に示します。赤色のボックスは国立感染研で設計されたプライマーセットの標的領域、黒色のボックス(番号1–11)は海外で設計された主なプライマーセットの標的領域を示します。

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図1. SARS-CoV-2のゲノムの一次構造とPCRプライマー・プローブの標的領域(文献 [5]からの転載図に加筆した改変図).

実際、現在使われているSARS-CoV-2用のrRT-PCRの大部分は、プローブPCRTaqMan PCR)という改変PCRです(→PCR検査をめぐる混乱)。すなわち、正向きプライマーと逆向きプライマーを標的位置に結合させて、それらを起点として両側からDNAの合成・増幅を行いますが、確実に標的領域を複製していることを証明するために、三つ目のオリゴヌクレオチドをプローブ(TaqManプローブ)として用います。このプローブを標的領域の間に結合させておき、両側からDNA複製が起こってそのプローブが分解・遊離する際に、蛍光シグナルが出るような仕掛けになっています。この蛍光強度の増加によって、リアルタイムにDNAの増幅過程がモニターできるわけです。

例として、表1に米国の疾病管理予防センターCDCによるプライマー・プローブセットを示します [4]。このセットでは、ウイルスのカプシド表面にあるタンパク質をコードする遺伝子NI(図1-No.7)とN2(図1-No.11)領域を標的としており、それぞれに対応するプライマー(黒色の文字)とプローブ(青色の文字)のセットになっています。市販されている保健適用の試薬キットでは、この米国CDCの設計に基づいたものが多いです。

表1. 米国CDCによるSARS-CoV-2検出用のPCRプライマー・プローブセット [4]

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米国の研究グループは、4月26日、SARS-CoV-2の検出に用いられているPCRプライマーの特異性や信頼性について検証した結果を、査読前論文集メドアーカイヴに発表しました [5]。本研究では、ウイルスRNAゲノム、鼻咽頭ぬぐい液、および臨床材料を検体として、9種類のプライマー・プローブのセットについて検討されています。その結果、いずれも非特異的なバックグランドのシグナルを生じることなく、正確に目的の増幅産物が得られました。

結論として、プライマーセットの種類によって若干Ct値(→唾液のPCR検査参照)や増幅効率に違いがあるものの、一部のプライマーセット(Charité_RdRp、図1 No.4に相当)の低感度を除いて、SARS-CoV-2の検出に適うものだとしています。

2. ウイルスの変異

SARS-CoV-2の検出に関する問題は、「SARS-CoV-2の変異によって従来設計されていたPCRがかかりにくくなるのではないか」ということです。つまり、ウイルスの変異に気づかず、ウイルスが存在しているにも関わらずPCRで陰性としまう問題です。ウイルスゲノムは、時間軸に対して、一定かつ微生物よりはるかに高い確率で突然変異が起こり続けるので、当初から使われているPCRプライマー/プローブが、変異後のウイルスの塩基配列とマッチしなくなる可能性があります。

2020年5月28日、ポルトガルの研究チームは、SARS-CoV-2の変異とこのウイルス検出に用いられているPCRプライマー/プローブの適合度に関する解析結果について、Lancet Infectious Disease誌電子版に発表しました [6]。すなわち、研究グループはゲノムデータ共有プラットフォームである「鳥インフルエンザに関する情報共有の国際推進機構」(GISAID: http://platform. gisaid.org/epi3/frontend)(→関連ブログ:ゲノム疫学からみたCOVID-19流行パターン)に登録されている、1825件のSARS-CoV-2ゲノムデータを取得し、武漢海鮮市場で肺炎を起こした患者から分離されたWuhan-Hu-1株をコントロールとして比較しました。

この研究では図1、2に示すNo.1〜No.11に相当する正向きプライマー、逆向きプライマー、およびプローブ(TaqManプローブ)の11セット、33配列について、ミスマッチの割合が調べられました。

その結果、少なくとも1ゲノム当たりでみると、上記の33の配列のうち26個(79%)に変異が起こっていることがわかりました。そして、3塩基置換(GGGAAC)を起こしたウイルス株も14%見つかりました。これはChinaCDC Nの正向きプライマー結合部位(図2_No.9)に見られる変異(図2下赤枠)で、ヌクレオカプシドリン酸化タンパク質をコードする遺伝子部分です。

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図2. SARS-CoV-2ゲノムの構造とPCRプライマー/プローブの標的位置(No. 1〜11)(上)および中国の研究チームが設計したPCRプライマー/プローブ(下): ORF1abプライマーセットはNo.1、NプライマーセットはNo.9に相当.

このGGGAAC塩基置換は、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、チリ、中国を含む24地域ものウイルス株に見られるので、シークエンサーによる塩基配列の誤読によるものではないと思われます。

著者らは、これらの塩基置換は、現行のChinaCDC Nを用いたrRT-PCRによるSARS-CoV-2の検出を非効率にする可能性があるとしています。しかし、上記の3塩基置換はプライマーからの伸長方向とは逆の5'末端にあるので(残りの19塩基は生きている)、たとえ現行のプライマーを使ったとしても、それほど増幅が起こりにくくなることはないと、個人的には推測しています。また、79%に見られた変異も、それが1塩基のミスマッチで3'側に偏っていなければ、現時点においてはそれほど問題はないと思われます。

しかし、ウイルスの変異が、もはや従来のPCRプライマー/プローブが機能しなくなる程度に起こってしまえば事は重大になります。この論文でも指摘しているように、常にウイルスのアップデートなゲノム情報を参照しながら、PCRプライマー/プローブを最適化するように設計していくことが必要です。すでに国立感染症研究所は、SARS-CoV-2について1ヶ月に2塩基程度のランダム変異が起こることを報告しています(→ゲノム疫学からみたCOVID-19流行パターン)。

変異がプライマーのアニーリング部位(結合部位)に起こるとPCRが機能しなくなる可能性はありますが、それがプローブの標的部位に起こると逆に変異を検出するシグナルとして利用できる可能性があります。つまり、複数の標的部位のプライマー/プローブセットでマルチプレックスRT-PCRを行い、もし一つのセットの部分で蛍光シグナルが出ないとすると、その部分にプローブが結合できなくなるほどの変異が起こっているという間接的証明になります。

変異を知る手段としては、このほかにRT-PCR産物の温度融解曲線解析があります。上記したように、1塩基程度の変異でもPCRはかかりますが、増幅された2本鎖DNAの相補間水素結合力は弱くなります。この場合、温度融解曲線を描いてみればより低い温度で融解が見られので変異を確認することができます。ただし、このPCRはTaqMan PCRではなく、2本鎖DNAの形成をインターカレータ色素で確認する標準のRT-PCRであることが必要です。

おわりに

SARS-CoV-2感染者のPCR検査で発生する偽陰性は大きな問題ですが、これは主として検出限界以下のウイルス量しかない場合や、検体採取の失敗からくるものです。したがって、検査を繰り返す(ウイルス排出量の多い時をとらえる)ことによってある程度解決できる問題と言えます。言い換えれば、偽陰性は2回以上検査して初めてわかるということです。

一方でウイルスの変異によってPCRがかからなくなるような場合は、より事態は深刻です。何度やってもPCRで検出できなくなり(つまり偽陰性であることさえわからない)、しかもそれが知らない間に起こってしまうという危険性があります。ただし、上記のようにマルチプレックスPCRを使っている場合は、逆に特定のセットでの非検出が変異を知る手だてになります。

その意味で、常に検体からウイルスを分離し、ゲノム解析を行っておくこと、あるいは検体のRNAメタゲノム解析によってアップデートなゲノム情報を得ておく必要があります。これは下水中のSARS-CoV-2を監視するシステム(→下水のウイルス監視システム)においても重要になります。むしろ、下水のRNAメタゲノム解析によって、網羅的にウイルスの変異の程度を知ることができるかもしれません。思えば、SARS-CoV-2の最初のゲノム情報は、COVID-19患者の気管支肺胞洗浄液のRNAメタゲノム解析で得られています [7]

日本水環境学会は、水環境のSARS-CoV-2の分布調査に関するプロジェクトを立ち上げており [8]、国内でもすでに成果が出つつありますが [9]、ウイルスの変異の程度を知る上でも、下水のRNAメタゲノミクス、マルチプレックスRT-PCR検出、検査の自動化などを日本が先導して行ってほしいものです。

引用文献・記事

[1] WHO: World Health Organization (WHO) list of in-house-developed molecular assays for SARS-CoV-2 detection.
https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/whoinhouseassays.pdf 

[2] Corman, V.M., et al. 2020. Detection of 2019 novel coronavirus (2019-nCoV) by real-time RT-PCR. Euro Surveill. 25 (3),2000045. https://www.eurosurveillance.org/content/10.2807/1560-7917.ES.2020.25.3.2000045;jsessionid=x05vR1q6kOPqKnUC5T7y_lLl.i-0b3d9850f4681504f-ecdclive

[3] NIID国立感染症研究所: 病原体検出マニュアル 2019-nCoV Ver.2.9 2020.03.18. https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/2019-nCoV20200318v2.pdf

[4] Centers for Disease Control and Prevention: Research use only 2019-novel coronavirus (2019-nCoV) real-time RT-PCR primers and probes. https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/lab/rt-pcr-panel-primer-probes.html

[5] Vogel, C. B. F. et al.: Analytical sensitivity and efficiency comparisons of SARS-COV-2 qRT-PCR primer-probe sets. medRxiv Posted April 26, 2020. https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2020.03.30.20048108v3

[6] Osório, N. S. and Correia-Neves, M. Implication of SARS-CoV-2 evolution in the sensitivity of RT-qPCR diagnostic assays. Lancet Infect. Dis. May 28, 2020. https://www.thelancet.com/journals/laninf/article/PIIS1473-3099(20)30435-7/fulltext

[7] Wu, F. et al.: A new coronavirus associated with human respiratory disease in China. Nature 579, 265–269 (2020). https://www.nature.com/articles/s41586-020-2008-3

[8] ⽇本⽔環境学会: ⽇本⽔環境学会COVID-19タスクフォース設⽴のお知らせ. 2020.05.15. https://www.jswe.or.jp/pdf/COVID-19TF_JSWE.pdf 

[9] 井潟克弘: コロナウイルス、下水に第2波の手がかり 国内で初検出. 朝日新聞デジタル. 2020.06.19. https://digital.asahi.com/articles/ASN6L7JR5N6KPISC01J.html

引用拙著ブログ記事

2020年6月2日 唾液のPCR検査

2020年6月1日 PCR検査の精度と意義

2020年5月29日 下水のウイルス監視システム

2020年4月28日 ゲノム疫学からみたCOVID-19流行パターン

2020年3月24日 PCR検査をめぐる混乱

                

カテゴリー:感染症とCOVID-19

カテゴリー:ウイルスの話