Dr. Tairaのブログ

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コロナ禍で氾濫するPCR検査に関する詭弁

はじめに

コロナ禍の日本において顕著になったことの一つとして、PCR検査に関する詭弁やデマの流布があります。そして、これらがいわゆる感染症対策の中心を担う"感染症コミュニティ"から発信されることで、異常とも言える混乱を招いてきたという事実があります。

日本では意図的に虚偽の情報を流して人を扇動しようとするさまを指してデマと言っています。しかし、本来デマゴーグ(独: Demagog)は、民衆の感情や無知などに訴えることにより、政治的目的を達成しようとする大衆煽動を意味します。ここでは、虚偽の情報かどうかにかかわらず、感情や無知に訴えるという意味でデマという言葉を使います。

PCR検査を巡るデマや詭弁を見ていると、多用されているテクニックがあることがわかります。それはストローマン(straw man)、クオート・マイニング(quote mining、contextomy)、チェリー・ピッキング(cherry picking)などと呼ばれている手法です。そして、それらのほとんどが「検査を拡充することは非合理」という言説の正当化のために、あるいは単に「PCR検査は医療資源」という立場から使われています。ここでは実例を挙げながら、説明したいと思います。

1. ストローマンの例

ストローマン論法とは、相手の主張を歪めて引用し、その歪めた論点に基づいて反論するという誤った論法です。ワラ人形論法あるいはダミー論証とも言われます。簡単に言えば論点のすり替えや脱線誘導です。また一般論や当然の事実を歪めて引用し、それを特定の論点にすり替えて攻撃するテクニックとしても用いられます。

ストローマンは相手が示した論点を巧妙に避けて、論破しやすい架空の論点や想定を創り上げ、あるいは極端な例や挙げる必要のない当たり前の例を挙げて、それらを攻撃することで第三者に対して相手の主張が誤っているような印象を与えることが目的で実行されます。この論法はテレビで行なわれる討論やコメンテータの評論でも、非常に多く見ることができます。

ストローマンが多用される理由はその使い方が容易であり、そして非常に効果を発揮するテクニックだからです。すなわち、相手の意見の一部を歪めたり、または一部のみを取り上げて誇大解釈して反論することは、その意見の合理的解釈に基づいて論理的に反論するよりもはるかに簡単です。そして、自分の都合のよい論点に誘導して明解に攻撃すれば、第三者から見ると、さも妥当であるような印象を与えることができます。

ストローマンはしばしば意図的に行なわれることがありますが、その場合は詭弁と言います。もし無意識に行なわれているとすれば、論証上の誤り(非形式的誤謬)になります。明らかに詭弁でありながら、それが論理的言述の中に織り込まれると、その言説自身が詭弁で補強され、全体として非常に説得力があるように映ります。

マスメディアがこのようなストローマンが入った対抗意見を記事にする場合、情報リテラシーがあれば、より論理的な意見を好意的に支持して掲載します。しかし、当該事項を充分に取材しなかったり、情報リテラシーに欠ける場合は、両論併記などの形で報道することがほとんどです。また、メディア自身がストローマンを駆使する場合もあります。

ではこのコロナ禍における、とくにPCR検査を巡るストローマンの実例を挙げてみましょう。次のA氏とB氏の対話を見てください(例1

                     

例1

A氏: 感染者をより多く見つけるためには検査を広げなければならない。
B氏: そうは思わない。なぜなら全員に検査するのは不可能だからだ。感染者全員を見つけることは不可能。

                    

テレビやツイッターなどのSNSを通じてよく見られるこの種の対話ですが、どこがおかしいでしょうか。

A氏の論点には「感染者を見つける」という意図と「検査を広げる」という言及しかありません。ところがB氏は、「検査を広げる→全員」と暗黙的に誘導し、さらに「感染者全員を見つけることは不可能」という、元の論点からは飛躍した要素を加えて返しています。つまり論点がすり替わり、相手の言い分は無意味という印象を与えているのです。

そもそも国民全員検査など不可能ですし、現にそんなことをやっている国は、人口の少ないルクセンブルグのような例を除いて、世界中どこを探してもありません。にもかかわらず、このように現実的にあり得ないことをワザと持ち出して、相手の言述の印象を悪く見せる手法は、その有効さゆえに多用されています。不可能なことに対して「なぜやるのか」と攻撃するわけですから、第三者にとってはあたかも説得力があるように見えてしまうのです。

次の例はもう少し巧妙なストローマンの例です。

                    

例2

A氏: 感染拡大の抑制には検査の拡充が重要だと思う。
B氏: 検査拡充は人員や資源の限界があり、その準備なしにやれば混乱するだろう。検査さえ増やせばいいというものではない。

                    

例2の場合、A氏の論点は、「感染拡大の抑制」という課題とそのための「検査の拡充」という対策になります。それに対し、B氏は課題についてはスルーし、かつ「検査を広げる」という対策を歪めて「人員や資源の限界」という方法論として引用し、論点をすり替えています。これは後述するクオート・マイニングにも通じるところがあります。そして「検査さえ増やせばいいというものではない」という元にはない要素で主張しているわけです。

次に例3です。

                     

例3

A氏: 感染を広げないためには検査と隔離が重要だ。
B氏: いや、そもそも完全な封じ込めは不可能だ。むやみやたらな検査は意味がない。

                    

この対話におけるB氏の論法も同じように、A氏の言述に対する誘導と飛躍があります。つまり「検査と隔離→完全な封じ込め」と不可能なことへ誘導することによって反論しやすくしています。その上で、「むやみやたらな検査は意味がない」と飛躍した要素を加えています。やはり論点をすり替えて攻撃しているのです。

さらに例4です。

                     

例4

A氏: まずは、感染症対策をしっかりやらなければいけない。
B氏: そんなことを言っていると経済が回らなくなる。

                    

これは、政府や政府分科会からも聞こえてきた論法です。「感染症対策」という論点に対して、「経済」という論点へのすり替えが行なわれています。経済が回らないということを強調することで感染症対策をマスクする効果とともに、第三者に妥当性を与える印象になっています。

ストローマンが使われる主な理由としては、1) 論点を意図的に避けたい、2) 論点に対する回答が見つからない、3)(非形式的誤謬に多いですが)論点を理解していない、そして、4) そもそも論理的思考ができない、ということが挙げられます。つまり、ストローマンを使う人に共通することは、自らに解決策がないために代わりの言い訳を持ち出す、論点がわからない、あるいは相手はどうでもよく「自分が素晴らしい」が解決策になっている場合が多いということです。

テレビに出てくる評論家やコメンテータの中でもストローマンを駆使する人たちはたくさんいます。その代表格と言えば橋下徹氏でしょう。この人の話をよく聞いていると、必ずと言っていいほど元のスレッドから外れた位置で自説を展開します。論点をすり替えて自分の得意の土俵に持ち込んで発言するので、聴いている人はついつい納得させられてしまうのかもしれません。

2. 感染症コミュニティにおける例

感染症関連の専門家でもストローマンを使う人は多く、とくに政府分科会や検査拡充非合理論者では専売特許になっています。その中でも顕著な1人が押谷仁教授(東北大学)です。たとえば、先日の日本感染症学会大会の講演での発言の一部を以下に示します。

                    

日本感染症学会(2020.08.20)

第1波に比べて、現在の流行ではある程度リスクを制御することはできているが、これをゼロにしようとすると社会・経済活動を著しく制限せざるをえない。今後、どこまでリスクを許容するか、社会的な合意を得るため真剣に考えていく必要がある。

                    

一見まともなことを言っているように思われますが、「これをゼロにしようとすると...」という飛躍した言述をしています。リスクゼロなどそもそも不可能なのに敢えて持ち出しているわけです。これは「どこまでリスクを許容するか..」という言葉の伏線になっています。リスクをどこまで「抑えるか」ではなく「許容するか」という表現になっているところがミソです。

また、押谷教授はテレビの番組で以下のようなことを言っています(→COVID-19に関するNHKスペシャルを観て

                    

NHKスペシャル(2020.04.11)

本当にすべての感染者を見つけようとすると、国内のすべての人を一斉に検査する必要がある。

                    

上記の「すべての感染者を見つける」、「国内のすべての人を一斉に検査する必要がある」も不可能なことであり、ここにも飛躍した要素を加えているわけです。

押谷教授だけでなく、いわゆる"感染症コミュニティ"と呼ばれる集団や「むやみやたらな検査は非合理」論の人たちには、このようなストローマンの表現が非常に多いです。全員検査感染者全員のあぶり出し完全な封じ込めリスクゼロなどのような実現困難あるいは不可能なことをわざわざ挙げて「そういうことを目指すと...の弊害がある」、「そんなことはできるわけないので...」と、当たり前のことを言って「説得力がある」と見せかけるのが特徴です。

PCR検査には限界がある」もよく聞かれるフレーズです。すべての検査には限界があることは常識です。この一般論をことさらPCR検査に当てはめて、非常に精度の高いこの検査をあたかも精度が低いように見せかける論法が幅を利かせています。そして「検査にたよるべきではない」という飛躍した展開になります。この論法を多用している代表として、坂本史衣氏(聖路加国際病院)が挙げられます(→PCR検査をめぐる混乱)。

3. クオート・マイニング

ストローマンとセットになって使われるのがクオート・マイニングです。これは、相手の発言にある元の文脈を無視して引用することです。間違って解釈したり、勝手な解釈への誘導と言ってもいいでしょう。このような文脈無視の引用をしながら、本来の意味とは異なる印象を与えるように提示すればストローマンになります。 ちょうどテレビの番組でMCの加藤浩次氏がこの手の論法を見せていたので、これを例に挙げたいと思います。

8月24日、東京都世田谷区が、区内すべての介護施設職員や保育士ら計約2万人を対象に、発熱など症状の有無にかかわらず、SARS-CoV-2のPCR検査を一斉に行う方針を固めたことが報道されました [1]。検査はプール方式で行なわれる予定で完了まで2ヶ月を要するとされています。費用は総額約4億円ですべて公費負担の予定です。日本においては、自治体による大規模検査はきわめて異例です。

この報道に対して8月25日、テレビの番組でMCを務める加藤浩次氏が以下のような意見を述べました [2]。これはメディアによる記事ですが、私も番組を観ていて内容を確認していましたので、例1としてそのまま載せます。

                  

例1

結果が出るまで4日かかるとしたら、その4日間に感染する可能性もありますから。感染した後に“陰性”って出て何の意味があるの?

陰性だったらと安心した人が街に出てしまって、その人が偽陰性の可能性がありますからね。偽陰性の可能性もあるのにそれ(大規模検査)をやることに何の意味があるのかな。

                  

加藤氏の発言は確固たる知識や深い思慮があるわけではなく、単なる巷の言説の受け売りと思われますが、これはクオート・マイニングです。彼自身にはもちろんその意識はないでしょう。以下に説明してみましょう。

まずは世田谷区の大規模検査の目的は、エッセンシャル・ワーカーを対象として感染の広がりを知ることです。すなわち、どこにどの程度の割合で陽性者が存在するかという情報を得ることによって、社会活動の対策の基礎とすることです。

それに対して加藤氏の発言は、「結果が出るまで4日かかるとしたら、その4日間に感染する可能性もありますから」、「偽陰性の可能性もある」としていわけですから、元の趣旨からはまったく外れて、世田谷区に関する報道を引用していることがわかります。さらに「4日までかかるとしたら」という誘導を行なっています。そして文脈を無視した後に「検査の意味はない」と返しているわけですから、これはストローマンです。

この発言は、感染症コミュニティから散々PCR検査のデメリットとして強調されてきた「陰性と出ても翌日陽性になるかもしれない」、「偽陰性の人が安心して出歩き感染を広げる」という言説とまったく同じです。そして「陰性証明はできない」、「検査を広げることはかえって感染を広げて危険」と誘導された言説が繰り返されてきました。

新型コロナ用のPCR検査の目的は、いずれの場合もSARS-CoV-2のRNAがある(陽性)か、ない(陰性)かを科学的に判定することです。この趣旨とは関係ない「陰性証明はできない」、「検査拡大は感染を広げる」という言説は、まったくの詭弁であるということになります。

大規模検査に対する例1と同じような発言は、しばしば現場の医師からも出されています(例2)。

                  

例2

大規模に検査したとしても、その時点での陽性、陰性がわかるだけで、陰性の人はいつまた感染するか分からない。だからこのような検査はあまり意味がない。

                  

大規模検査の意義は、検査対象者の中の陽性者の隔離による感染拡大抑制、および感染の広がりや局所化のデータを得ることによる社会活動のための対策立案に資することなどが考えられます。この基礎データによってどの場所を重点的に、どの程度の頻度で検査をしたらよいかもわかってきます。

例2の発言はこの文脈から外れて「陰性の人はいつ感染するか分からない」とまったく異なる引用をしています。その上で「このような検査は意味がない」としているのでストローマンです。

4. チェリー・ピッキング

チェリー・ピッキングとは、数多くの事例の中から自らの論証に都合のよい部分だけを取りあげて、論点をさばこうとする論理上の誤り(誤謬)であり、詭弁の一つです。語源としては、「サクランボの熟した実を熟していないものから選別する」というところから来ています。転じて「良いところだけを取る」の意味で使われます。

チェリーピッキングについても枚挙にいとまがありませんが、最も顕著な一つが「PCR検査の感度は70%(偽陰性30%)」、「PCR検査は3割は間違う」、そしてそこから「PCR検査は精度が低い」という言説です。感染症コミュニティの専門家が散々この言説を取りあげた結果、今ではありとあらゆる媒体で取りあげられ、あの政府対策批判で有名なTV朝日の「モーニングショー」でさえ、「PCR検査の感度は70%」と紹介しています。

この言説自体は、中国のFangらの研究チームがRadiology2020年2月19日号に電子出版した論文から来ています [3]。当該論文では、COVID-19患者81人の初回RT-PCR検査で、71%しか陽性にならなかったとしています(図1右)。一方、この論文の1週間前に出た同じRadiologyのXieらの論文 [4]では、患者167人の初回検査では97%が陽性になったと報告されています(図1左)。

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図1. Xieら(左)およびFangら(右)が報告したCOVID-19患者(RT-PCRによる確定診断)の初回RT-PCR検査における陽性割合.

ここで注意しておかなければいけないことは、Fang論文もXie論文でも患者全員をPCRで確定診断していますので、この確定診断100(母数)に対する初回の陽性の相対比(分子)がそれぞれ71%、97%であるということです。したがって、時系列での感度の変化を述べることはできても、PCR検査固有の感度は決められないということになります(関連ブログ記事:PCR検査をめぐる混乱PCR検査の精度と意義)。

FangらはXieらの論文を引用していて、「どうして感度が低くなったかわからない」としながら検査キットの不備をも含めた推定要因を挙げています [3]。つまり、技法としてのPCRそのものではなく、発症から患者の経過日数、検体の採取、キットの問題などの要因で感度が低くなっている可能性があるわけです。

にもかかわらず、どういうわけか、坂本史衣氏を筆頭に日本の感染症コミュニティを中心とする一部の医療専門家の人たちは、ことさらFang論文のみを取りあげて、PCR検査の感度=70%という自論を展開してきました。そしてメディアの中では、BuzzFeed Japanが積極的にこの言説を後押ししてきました [5]

さらに、坂本氏は、Fang論文と同時にZhang & Zhaoの査読前論文 [6]を引用して、PCR検査の感度を30–50%と述べています [5]。ところがこの感度30–50%は、当該論文[6]のオリジナルとして示されているわけではなく、あくまでも論文中で引用されている二次情報であり、しかも引用元の記載が不完全でどこからの情報か不明です。通常はこのような不完全な情報をもって、感度を言うことは不適切であり、悪意があるとしか思われません。

このような引用の仕方は、検査を広げたくないために、数ある論文の中で自説に都合のよい論文を探し出して「PCR検査は精度が低い」と展開するという、まさしくチェリー・ピッキングの典型です。

なぜ、このようなPCR検査抑制や検査拡充非合理論が生まれているかという背景や原因については、先のブログ「あらためて日本のPCR検査方針への疑問」、「PCR検査拡充非合理論の根っこにあるもの」で述べています。

問題は、感染症コミュニティを発信源とするこの手のデマが、メディアやSNS上で広く取りあげられることになり、半ば常識化してしまったことです。このコロナ禍で、情報を発信する側も、それを受け取る側も、科学レベルと情報リテラシーが低いことを露呈してしまいました。

5. 偽陰性の誤った解釈の流布

上記のようにFangらの論文を取りあげて日本の感染症集団の専門家は感度70%を盾に、PCR検査は偽陰性が起こるので精度が低い、したがってやみくもに検査をすべきでないという詭弁を展開してきました。偽陰性の発生確率を示したものとしては、前回のブログで紹介したKucirkaらの論文もあります(→PCR検査の偽陰性率を推定したKucirka論文の見方)。この論文も感染症コミュニティによって都合良く解釈され、検査拡充は非合理という言説の拠り所とされました。

PCR検査で技法以外の要因で偽陰性が発生する可能性は当たり前のこととしてありますが、だからこそ海外の論文ではおしなべて「偽陰性の発生に気をつけろ、陰性判断するな、偽陰性を疑え」という論調で、COVID-19患者を見逃さないというのが主旨になっています。つまり、偽陰性の可能性を踏まえた上で、再検査、再々検査で陽性として確定診断し、適宜治療を施す(あるいは隔離する)ことが重要なのです。

PCR検査の偽陰性を取りあげて「精度が悪い検査を広げるな」という詭弁を展開する人たちは、偽陰性である"陽性者"をどうするかという視点が決定的に欠けています。元の論文の主旨さえ歪曲して、日本を混乱に巻き込んでしまったと言えます。そしてこれは、日本の感染症対策にきわめて悪い影響を及ぼしてきたと考えられます。

おわりに

以上、PCR検査に関する詭弁、非形式的誤謬、デマについて実例を挙げて説明しました。コロナ禍で氾濫するこのような詭弁やデマは、ほとんどの場合、検査拡充非合理論者や「PCR検査は医療資源」としか考えられない人たちから出ていて、ストローマンやチェリーピッキングなどが多用されています。

なぜこのような詭弁をすることになるのか。それは感染症対策において検査拡充に否定的であることは科学的に無理があるからであり、そのつじつま合わせのために詭弁や非形式的誤謬を持ち出さざるを得ないということです。自らの詭弁や非形式的誤謬に気がついた人たちは、次々と言説を取り消したり、HPから削除しています(例として神奈川県医師会→PCR検査の精度と意義ー補足)。

不幸にして、PCR検査に関してこのような詭弁やデマが展開されているのは世界の中では日本だけであり、感染症対策がなかなか進まない大きな足かせになっています。

引用文献・記事

[1] 読売新聞: 世田谷区の保育士ら2万人、一斉PCR検査へ…症状の有無問わず. 2020.08.24. https://www.yomiuri.co.jp/national/20200824-OYT1T50054/

[2] Sponichi Annex: 加藤浩次 世田谷区の2万人PCR検査に猛反対「一時の安心にどれだけお金をかけるのか…全く意味ない」2020.08.25. https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/08/25/kiji/20200825s00041000110000c.html

[3] Fang, Y. et al.: Sensitivity of Chest CT for COVID-19: Comparison to RT-PCR. Radiology Published online Feb. 19, 2020. https://pubs.rsna.org/doi/10.1148/radiol.2020200432

[4] Xie, X. et al.: Chest CT for Typical Coronavirus Disease 2019 (COVID19) Pneumonia: Relationship to Negative RT-PCR Testing. Radiology Published online Feb. 12, 2020. https://pubs.rsna.org/doi/pdf/10.1148/radiol.2020200343

[5] 岩永直子: 新型コロナ、なぜ希望者全員に検査をしないの? 感染管理の専門家に聞きました. BuzzFeed News. 2020.02.26. https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto

[6] Zhang, Q. and Zhao, Q.: Inactivating porcine coronavirus before nuclei acid isolation with the temperature higher than 56 °C damages its genome integrity seriously. bioRxiv Posted Feb. 22, 2020.
https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2020.02.20.958785v1

引用した拙著ブログ記事

2020年8月19日 PCR検査の偽陰性率を推定したKucirka論文の見方

2020年7月25日 PCR検査拡充非合理論の根っこにあるもの

2020年6月8日 PCR検査の精度と意義ー補足

2020年6月1日 PCR検査の精度と意義

2020年4月13日 COVID-19に関するNHKスペシャルを観て

2020年4月6日 あらためて日本のPCR検査方針への疑問

2020年3月24日 PCR検査をめぐる混乱

              

カテゴリー:感染症とCOVID-19

カテゴリー:社会・時事問題