Dr. Tairaのブログ

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新型コロナについて詭弁を続けるウェブ記事–2

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はじめに

先のブログ(→新型コロナについて詭弁を続けるウェブ記事–1 超過死亡はない?)でも紹介しましたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)PCR検査について詭弁を続けるインターネットメディアとしては、BuzzFeed Japan が有名です。これと並んででデマ記事を流し続けるメディアとして東洋経済 ONLINE があります [1, 2]。昨日(9月4日)、また東洋経済のこの手の記事 [3] が出ましたのでこれを論評したいと思います。

当該記事を書いたのは、大阪大学医学部附属病院感染制御部の医師である森井大一氏です。これがまたとんでもない内容なので、以下適宜どこがおかしいか、誤っているかを原文のサブ項目と原文をそのまま引用しながら指摘したいと思います。

1. 冒頭の矛盾

この論説の冒頭、森井氏は「有症状・無症状にかかわらず、感染者を早期に発見し隔離することは、現時点においても公衆衛生上の意味があると考えている」と言っています。ところが、すぐ後に「たとえ有効なワクチンや治療薬が開発されていなくても、無症状の患者をせっせと見つける努力自体が「バカらしい」「無駄」と見なされるようになるであろう」と述べながら、「重症者だけ見つけてそこに集中的に医療資源を投下すればいい」というやり方を肯定しています。

この下りは一体何なのでしょう? 前段と後段は明らかに説明として矛盾しています。あるいは、「自分はやみくもに検査をひろげるべきではない」論者だが、そのエクスキューズのためにあえて「有症状・無症状にかかわらず、感染者を早期に発見し隔離することは...」という一文を出しているに過ぎないということなのでしょう。

私はここまで読んで、多分この記事には論理的展開は期待できないなと想像しましたが、事実そうでした。そして以下の文章が続きます。

引用1

二類感染症相当(結核SARSなどと同様)を五類相当(季節性のインフルエンザと同様)とするのかという問題の本質は、社会が新型コロナウイルスの流行についてどの程度までなら仕方ないものとして許容し、そのためにどの程度の負荷(不便、わずらわしさ、費用等)を引き受けるのかということである。仮に季節性インフルエンザと同等の扱いをするとなったときに、社会のあらゆる場面でPCRスクリーニングを課すのはあまりにバカバカしい姿に映ることだろう。

この引用1にある「仮に季節性インフルエンザと同等の扱いをするとなったときに、社会のあらゆる場面でPCRスクリーニングを課すのはあまりにバカバカしい姿に映ることだろう」という言述もおかしいです。

もし五類相当になったなら、法令上、基本的にPCRスクリーニングはもはや必要ありません。ところが、「やらなくていいこと」をわざわざ持ち出して「スクリーニングを課すのはバカバカしい」と攻撃しているのです。これはストローマン論法の一種です(→コロナ禍で氾濫するPCR検査に関する詭弁)。つまり、PCRスクリーニングを否定するために、現実にあり得ない話を引用して攻撃で返すという詭弁を展開しています。

そして「流行をどの程度なら仕方のないものとして許容し...」とありますが、「リスクをどの程度許容するか」というこの手の主張は、日本の感染症コミュニティ("感染症ムラ")の医療専門家や感染症専門家に特有のものであり、4月の流行ピークの後にとくに顕著になってきた言述です。パンデミックにある中で、このような主張が日本国内で出てくることは唐突感しかなく、そのような主張の国際論文はないように思います。政治家が言っているだけです。

COVID-19やSARS-CoV-2についてはまだ分からないことがたくさんあり、特効薬もなくワクチンも開発途中の段階です。もしファクターXがあるとするばらば、それが何かもわかっていません。ましてや、パンデミックの最中で世界的には収束の徴候さえ見せていません。日本の流行がなぜ再燃したか、そしていま緩やかに新規陽性者数が減っている原因を科学的に説明できる人はいませんし、この冬今まで以上の流行が襲ってくる可能性もあります。

このような段階では「リスクをどこまで許容するか」と言えるほどの材料も科学的根拠もほとんどなく、それを言い出すこと自体が科学的態度とは言えません。

2. 非効率な検査に公衆衛生上のメリットはない

このサブ項目「非効率な検査に公衆衛生上のメリットはない」の冒頭にも森下氏のエクスキューズがあります。「現時点ではまだ意味がある、とした理由は、新型コロナが1年の四季を通してどのような流行の形をとるのかが、まだわかっていないからだ」、「現状では数量的にも足りていないし増やすべきだ。その意味で、筆者は一貫してPCR拡大論者である」と言っています。にもかかわらず、引用1の言述をしているところはまったくの矛盾です。

以下の引用2、3でまたしても論理的無謬が出てきます。

引用2

本来重要なことは「感染が疑われる人(=検査を最も必要とする人)が速やかに検査されること」である。ところが、「国民全員に検査を」「希望する人は誰でも」というような、国民全体の有病率がそのまま検査前確率であるような人々に対する検査を求める声が根強い。このような、「疑わしい要素が特段にない人まで検査すべき」という主張を、以下、「巷のPCR拡大論」と呼ぶ。この「巷の拡大論」の問題点は、PCR検査の量的拡大の意義をまったく誤解していることにある。ただ検査の数だけが増えればいいのではないのだ。検査することで、一人でも多くの感染者を見つけ出すことこそが重要なのだ。

引用2の最後の文章「検査することで、一人でも多くの感染者を見つけ出すことこそが重要」は正論であり、PCR拡充の意義の一つです。ところが、疑わしい要素が特段にない人まで検査すべき」という主張を、以下、「巷のPCR拡大論」と呼ぶ」として、ここでもPCR拡充→国民全員に検査を→要素が特段にない人まで検査すべき」と歪曲・拡大解釈しています。そして「PCR検査の量的拡大の意義をまったく誤解していることにある。ただ検査の数だけが増えればいいのではないのだ」と、PCR拡充論の要素にないことを加えて攻撃しています。

PCR拡充論に関して、果たして森下氏が指摘するようなことを言っている人がいるのでしょうか。もしそのような国際的な論説があるなら、是非引用してほしいものです。それがなければ「巷のPCR拡大論」は自作自演の詭弁にしかなりません。

引用3

「巷の拡大論」の問題点を言い換えれば、それは検査前確率の無視ということになる。疑ってもいない人の検査を増やしても、陰性という当たり前の結果が増えるだけに終わる。その一方で、なんらかの症状や接触歴がある「検査すべき人」に速やかな検査がなされないという根幹の問題には何の改善ももたらされない。社会的資源を使って無駄な検査をすることは、公共政策の観点からは害悪でしかない。

ここでも「検査前確率の無視」、「疑ってもいない人の検査を増やしても」という、検査拡充論の要素を超える飛躍した論述をしています。念のため言いますが。検査拡充の意義は、彼が言っているとおり「検査することで、一人でも多くの感染者を見つけ出すことということです。そこからなぜ飛躍した展開になるのでしょうか。

SARS-CoV-2感染者は無症状である人も多く、「検査前確率」は検査しないと分かりません。有症状者だけを検査すれば、「検査前確率」は上がるでしょうが、これは単に治療すべき患者を探しているだけのことであって(それ自体は重要ですが)、二次伝播や流行の把握などの防疫・公衆衛生上の視点が欠けています。検査陽性=発症者という従来の感染症に関する医学ドグマから抜け出せていないのです。

次の引用4は、「検査やみくもに広げるな」論者のデマをまたしても挙げている文章です。

引用4

PCR検査の感度が7割とされていることはかなり知られるようになった(新型コロナウイルス感染症対策分科会の資料)。10人の感染者を集めてきて検査をしても、陽性となるのは7人で残りの3人は陰性になる。「陰性証明」なる不思議な言葉があるが、1回のPCR検査で陰性を証明するのは不可能である。

果たしてPCR検査の感度が7割という固有値はどこで知られるようになったのでしょうか? 便宜上、様々な感度の数字(感度は変化する)を挙げていても、固有値として示している国際論文は一つもありません。これは、坂本史衣氏(聖路加国際病院)や政府分科会専門家をはじめとする"感染症ムラ"発信の「感度7割」デマです(→コロナ禍で氾濫するPCR検査に関する詭弁)。それをそのまま踏襲しているようでは科学レベルの程度が知れます。

「陰性証明」なる不思議な言葉という言述がありますが、これには私も同意します。PCR検査は陽性か、陰性かを判定するための科学的証拠を提出することだけなので、陰性証明のための検査という言い方はおかしいです。とはいえ、陰性証明という論点ずらしの言葉を盛んに使っているのは、実は検査拡充非合理論側の人たちです。

森下氏は続けて「1回のPCR検査で陰性を証明するのは不可能である」と述べています。これもPCR検査に対して飛躍した要素を加えて述べています。つまり、感度7割というデマを前提にして、それを恣意的に一般論へと展開する自作自演の詭弁です。仮に感度7割という固定値を用いると、発症した感染者全員を陽性とするためには、最低でも3回以上検査しないと確定ができないことになります。

3. 無作為検査では1人見つけるのに数千万円の公費投入

前述のように、森下氏は「検査することで、一人でも多くの感染者を見つけ出すことPCR検査拡充の意義を説いています。ところが前後する文章は「やみくもに広げるな」というニュアンスで貫かれており、次の引用5のパラグラフに至っては、手術前、入院前、出産前の検査を非効率と述べています。

引用5

ひとまず目の前の患者に陰性のお札(ふだ)を貼って安心したい一部の医療者が、手術前・入院前・出産前などさまざまな場面でのPCR検査を保険収載するように働きかけ、これが実現されてしまった。このような「特に感染が疑われるわけではない人をあえてふるい分ける」検査を総称してスクリーニング検査という。スクリーニング検査で陽性となる頻度については、これまでに公表された大規模な調査はないが、筆者の見聞の範囲では数千例に1度程度の陽性率である。

............

加持祈祷と実質的に変わらない陰性証明や極めて非効率な陽性者捕捉のために、こうした数字を広く国民に周知して議論することなく、多額の公金を投入していることは問題である。

できる限り陽性者を見つけることの重要性を説きながら一方で「数千例の1件程度の陽性率」として、スクリーニング検査を否定的に述べるところなどは、自らを検査拡充論者とエクスキューズしたつもりが、矛盾した言述で墓穴を掘るような展開になっています。

入院・手術前はもとより、出産前のスクリーニング検査は院内感染を防止するためのものとしてきわめて重要です。事実、日本では事前検査をしなかったために院内感染があちこちで繰り返され、多数の死者を出した苦い経験もあります。

出産前のスクリーニング検査については国際的な常識になっていますので、スクリーニングを推奨する論文をいくつか挙げておきます [4, 5, 6]。これらの論文には、流行の程度が国・地域で異なることを考慮する必要があることが述べられていますが、森下氏は、数千例に1件の陽性率としてスクリーニングを否定するなら、国際的常識の一般論と各論を照らし合わせて反論すべきでしょう。

そして、人命に関わるような院内感染の問題を、「加持祈祷と実質的に変わらない陰性証明や極めて非効率な陽性者捕捉のために」と形容しながら、お金の問題にすり替えて論じているところなどは、この人は本当に医師かというような印象です。スクリーニング検査の「感染者を見つける」、「院内感染を防ぐ」という意義を、「無作為検査では1人見つけるのに数千万円の公費投入」と元にない飛躍した要素で返しているところはストローマン話法であり、まったくの詭弁です。

公費投入と言っていますが、それは基本的に患者確定と濃厚接触者の検査に限定される行政検査に限定される話です。東京都世田谷区がエッセンシャルワーカーを中心にPCR検査を拡大し、それをすべて公費で賄う計画を発表していますが、防疫と社会活動政策については、少なくとも現時点では費用対効果で述べられるべきではありません。感染症を含めた自然災害の対策については、やりすぎるということはないのです。

4. ご利益があるかのように偽るシンプルな詐欺

サブ項目ご利益があるかのように偽るシンプルな詐欺に至っては、次のようなひどい内容があります(引用6)。

引用6

これらは、社会経済活動を進めていくうえでの「安心」のための検査だという。言い換えれば、陰性という結果を得たいがために検査するものということだ。

陰性という結果が、「感染していないこと」を保証しないことは医療の場合と同じである。むしろ、非専門家である非医療者に、実態とかけ離れた安心を不用意に与えることの問題のほうが大きい。本来は、医療者がこのような検査の使い方の誤用を指摘し、専門知識に基づいて社会をリードする必要があるが、日本の医療者自身が上述のとおりなので、つける薬がない。

上の文章には、「安心」のための検査という表現がありますが、そのような検査はありません。検査は陽性か、陰性かの科学的根拠を提示する手段にしか過ぎません。陽性であれば活動はできないし、陰性であれば活動できるという原則しかありません。にもかかわらず「社会経済活動を前提とする検査→安心のための検査」と歪曲して引用し、さらにそれは「使い方の誤用」と、それこそまったく誤謬の返しをしています。あげくには「つける薬がない」という自分の詭弁を補強する比喩展開まで行なっています。

次の引用7においては、森下氏は社会経済活動を前提とするPCR検査の意義が理解していないのか、誤謬を繰り返しています。

引用7

PCR検査の陰性」があたかも「感染していないことの科学的証明」であるかのごとくこのサービスを提供することは、控えめに言って経済学で言うところの情報の非対称である。

社会経済活動のためのPCR検査の意義は上述したとおりで、陽性であれば活動停止、陰性なら活動維持という単純なものであり、世界中でこの観点からの検査が行なわれています。この世界の流れに関する情報と知識の共有ができていないというならば、それこそ彼自身が「情報の非対称性」に陥っていると言えます。

ここでも「PCR検査の陰性があたかも感染していないことの科学的証明であるかのごとく」と、1本の木で森全体を表すような歪曲表現をしています。現在まで日本ではPCR検査150万件分に相当する人数が陰性となっていますが、彼はこれらの人たちを指して感染していないとは言えないとするのでしょうか。

次の引用8のパラグラフは、ある経済学者に聞いた話としながら述べているのですが、誰に聞いた話なのか、何を言っているのかまったく理解できません。「医療や科学を装った”専門家”に一般人が騙されている限り」とはどの専門家のことでしょう? 「シンプルな詐欺」とは何も指しているのでしょう?

検査に関するデマや詭弁も繰り返している感染症ムラの人たちの言述を詐欺というのならわかりますが。

引用8

「非医療におけるPCRに関しては、確かに情報の非対称性問題がある。しかしこれまでのところ、結果として生じているのは逆選択(非効率)やその結果の市場崩壊ではなく、むしろその逆だ。医療や科学を装った”専門家”に一般人が騙されている限り、市場は崩壊などせず、むしろ活況を呈している。価格も上昇し、顧客も満足しているのだから、ご利益がないものをあると偽ったシンプルな詐欺だ」というのである。

日本では、防疫対策としての検査に関してはほとんど無策と言ってもいいほどです。ちなみに社会経済政策のための検査は、日本ではまだスポーツやエンターテイメント分野などの限られた範囲でしか行なわれていません。そしてこれらは公費ではなく、自費で行なわれています。

5. 無作為検査で人権侵害や不利益を被るリスク

サブ項目「無作為検査で人権侵害や不利益を被るリスク」では、無症状者の検査を人権侵害というところにまで歪曲引用しています。次の引用9、10を見てください。

引用9

スクリーニング検査は、「感染を疑わせる症状も曝露歴もないが、念のために陰性を確認する」ことを目的に行われる検査である。そこでは、検査する側もされる側も陰性を確認することしか頭にない。しかし、もし陽性が出たらそれをどう解釈するつもりか。症状や曝露歴での絞り込みを行わずに検査前確率が低いままスクリーニング検査を行うということの意味を、陽性になった場合も含めて考えておく必要がある。

引用10

新型コロナウイルス感染症感染症法上の指定感染症であり、いったん確定診断されると行政に届出される。届出を受けた行政は、周囲に接触者がいないかを詳細に聴取し、それに基づいて家族や職場の同僚なども次々検査される。そのような中で、理不尽なスティグマ(汚名、烙印)を負わされ、退院後もなかなか職場復帰できないなどのケースも起こっている。指定感染症である以上、感染者は法令に基づいた人権の制約を引き受けざるをえないが、それ以上に多くの不利益を被ることが少なくない。

引用10にあるように、検査の意義について「スクリーニング検査→念のために陰性を確認する→陰性を確認することしか頭にない」と間違った引用がなされています。検査はどこまで行っても陽性か、陰性かの科学的根拠を示す手段にしか過ぎません。「陽性が出たらそれをどう解釈するつもりか」の下りに至っては、理解していないのか恣意的なのか、まったく間抜けとも言える誤謬の返しです。

そして、引用10とサブタイトル「無作為検査で人権侵害や不利益を被るリスク」を合わせて、「スクリーニング検査=無作為検査→人権侵害」と思わせる無茶苦茶な大飛躍の展開に至っては開いた口が塞がりません。

まとめ

PCR検査拡充の論点や実態について歪曲する、拡大解釈して引用する、元にない要素を加えるなどして、論点をすり替え、その上で検査拡充を攻撃したり、否定したりする、いわゆるストローマン論法は、「やみくもに検査広げるな」論者の専売特許とも言えます。この森下氏の記事にもそれが随所に見られました。

これらの人たちに共通することは、PCR検査を医療行為(患者確定)としてのみ考えていることであり、社会政策としてのスクリーニング検査の意義を認めない、あるいは理解できないということです。そこから行政検査や医療行為の検査以外を極端に蔑むという言動に結びついています。そこには防疫対策における、まずは「検査・隔離」という基本概念が抜けていると言えます。合理性のない主張に無理矢理正当性を持たせようとするがために、ストローマンを含めた詭弁で自説を展開せざるを得ないのでしょう。

森下氏の記事の中で情報の非対称性という言葉が出てきましたが、おそらく彼はPCR検査やスクリーニング検査に関する論文を一切読んでおらず、世界の流れも知らないのでは(あるいは無視しているのでは)ないかと思われます。でなければ、このような蛸壺的論述は簡単にできるものではありません。情報の非対称性は彼自身に当てはまることだと感じます。日本の感染症コミュニティの科学レベルの低下の例をまた一つ見た気がします。

引用文献・記事

[1] 大崎明子: 「PCR検査せよ」と叫ぶ人に知って欲しい問題 ウイルス専門の西村秀一医師が現場から発信. 東洋経済ONLINE. 2020.05.12. https://toyokeizai.net/articles/-/349635

[2] 大崎明子: 「PCR検査・隔離」の膨張が引き起こす現実の問題 感染症と検査の現場から西村秀一医師が訴える. 東洋経済ONLINE. 2020.08.23. https://toyokeizai.net/articles/-/370721

[3] 森井大一: 「誰でもPCR」は公費の大半を捨てることになる うっかり検査を受けた人の陽性・陰性のリアル. 東洋経済ONLINE. 2020.09.04. https://toyokeizai.net/articles/amp/373155

[4] Sutton, D. et al.: Universal screening for SARS-CoV-2 in women admitted for delivery. N. Engl. J. Med. 383, 2163-2164 (2020). https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMc2009316

[5] Abeysuriya, S. et al.: Universal screening for SARS-CoV-2 in pregnant women at term admitted to an East London maternity unit. Eur. J. Obstet. Gynecol Reprod. Biol. 252, 444–446 (2020). https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7373691/

[6] Goldfarb, I.T. et al.: Universal SARS-CoV-2 testing on admission to the labor and delivery unit: low prevalence among asymptomatic obstetric patients. Infect. Control Hosp. Epidemiol. Published online June 15, 2020. https://doi.org/10.1017/ice.2020.255

引用したブログ記事

2020年9月3日 新型コロナについて詭弁を続けるウェブ記事–1 超過死亡はない?

2020年8月26日 コロナ禍で氾濫するPCR検査に関する詭弁

                 

カテゴリー:感染症とCOVID-19