Dr. Tairaのブログ

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発酵と腐敗

はじめに
 
私たちの生活の中で食べ物が腐るというのはしばしば経験することです。とくに冷蔵庫の奥で、いつのまにか腐っていた、化石化していた、という残念な結果を見ることがあります。私たちは嗅覚によってものが腐ったということを生物学的に認識し、それを心理的にも忌避するように進化してきました。しかし「腐る」ということを、政治的腐敗のような人間社会での事象として関心を持つ場合は別として、食品に関してその現象を科学的に考えることは一般的にはないと思います。
 
最近では、テレビなどのメディアでも食品の科学について紹介することが多くなっています。しかし、その中には誇張されたり、間違った情報があることも事実です。先日も専門家と称する人が出てきて、食品の腐敗について誤解を生じることを述べていました。具体的には「モノが腐るということは食中毒菌が増えている証拠」と述べていましたが、これは正しくありません。腐敗の過程で食中毒菌が優占的に生えることは稀ですし、食中毒はほとんどの場合、新鮮な食品を食べて起こります。
 
腐敗したものを食べた場合に起こる健康被害は、腐敗の過程で生じた腐敗産物の中に体によくないものが入っている場合であって、特定の食中毒菌によるものではありません。
 
重要ポイント
●食べ物が腐るということは食中毒菌が増えているいうことではない
 
それでは腐敗とは科学的にはどういう現象でしょうか。結論から言うと、それは発酵というエネルギー代謝の別称ということになります。一般的に腐敗という現象は、微生物が増殖してモノを分解、変敗させ、それを私たちが嗅覚的、視覚的に認識できることをいいます。しかし、微生物にとってはそれはエネルギーを獲得する一手段であり、発酵として定義される生化学反応のカテゴリーに入るということです。
 
つまり、微生物はエネルギー獲得手段の一つとして発酵という反応を使うのですが、その反応によって生じる生産物や臭いが人間に都合の良い場合を発酵、都合の悪い場合を腐敗と呼んでいます(後述)。
 
重要ポイント
●腐敗は発酵の別の言い方
 
1. 呼吸と発酵
 
ここで、まずバクテリア酸素呼吸と発酵の違いについて図1に示します。少しむずかしくなりますが、酸素呼吸とは、栄養(エネルギー源)として炭水化物を摂った場合、それが酸化されることで生じた水素イオンと電子が呼吸鎖(電子伝達鎖)を通して最終的に酸素に渡されるプロセスを言います(図1上)。

一方発酵は、生じた水素イオンと電子が呼吸鎖を通らず、代謝物に渡されてそれが発酵生産物として排出されるプロセスです(図1下)。図1では、乳酸やアルコールを発酵生産物として生じる反応式を記しています。

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図1. バクテリアの酸素呼吸(上)と発酵(下)の模式図
 
重要ポイント
●酸素呼吸は食べ物から生じた水素イオンと電子が呼吸鎖を通り、酸素を還元して捨てられる(水を生じる)生物反応
●発酵は食べ物から生じた水素イオンと電子が呼吸鎖を通らず、発酵生産物として捨てられる生物反応(酸素を使わない)

2. 発酵と腐敗

腐敗は発酵の別称であると言いましたが、より具体的にそれを図2に示したいと思います。

私たちが言う発酵と腐敗は、生化学的には同じ発酵という酸素不要のエネルギー代謝の現象です。それでは両者はどこが違うかと言うと、発酵生産物に対する私たちの主観的・経験的判断に委ねられます。すなわち、発酵生産物の臭いが不快でない、それを私たちの生活に利用できる場合を伝統的に発酵と呼び、臭いが不快である、利用できない、場合によっては健康被害が出る場合を腐敗と呼んでいるわけです

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図2. 発酵と腐敗の違い
 
重要ポイント
●発酵と腐敗は、発酵生産物が利用できるかできないか、臭いがよいか不快かで区別されている

3. 発酵食品ー発酵と腐敗の境界線

私たちは、個人レベルでもぬか漬けやザワークラウトなどの発酵食品を作ったりします。そしてこれらを作る過程において腐らせて失敗したということもあるわけです。食べられるか腐らせて食べられないかは、味覚と嗅覚、さらには視覚の官能センサーに頼っているわけで、それはあくまでも主観的判断です。その意味で、発酵と腐敗の境界は曖昧です。
 
国内外に知られているさまざまな発酵製品や食材を、図3に記します。お酒、醤油、味噌、漬け物などは私たちの生活に日常的な発酵製品です。納豆になるとやや好き嫌いがあり、くさややなれ寿司になると、初めて経験する人はそのままでは臭いと感じるでしょう。食べてみて初めて美味しいと感じる発酵食品です。
 
海外には臭いが強烈な発酵食品があります。代表的なものとして、スウェーデンシュールストレミングという塩漬けニシンの缶詰があります。まさに腐った缶詰ですが食べてみると美味しいです。しかし、初めて体験する日本人は、黙って皿の上に並べられていたら腐っていると忌避するかもしれません。

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図3. 国内外の発酵と腐敗の境界に並ぶさまざまな発酵食品
 
重要ポイント
●発酵食品は発酵と腐敗の境界線上に並ぶ産物のため個人的し好に差を生じる

ここで注意しておきたいことは、発酵も腐敗も微生物の反応によるわけですが、発酵として好ましい反応を起こす微生物と明らかに腐敗(好ましくない発酵)を起こす微生物は、原則として異なる種類であるということです。たとえば、ぬか漬けの例で言えば、特定の乳酸菌が発酵作用するとうまくそれができ上がるのですが、条件が異なると酪酸菌による発酵が強くなり、漬け物がマズくなります(腐ったという状況になる)。
 
そして、食品が腐敗したときに時折私たちの体にとってよくない物質ができたりします。そしてそれを食べた時にお腹をこわすということもあるでしょう。ヒトはそれを忌避するかのように臭覚を進化させてきました。臭いを嗅いでそれが腐っているかどうか官能的に判断し、これは食べられないと避けるわけです。
 
人間は経験的に発酵したもの(=腐ったもの)の中で食べられるか、食べられないかを選択したきたわけで、食べられるものを発酵食品として利用しているのです。
 
重要ポイント
●好ましい発酵と好ましくない発酵(腐敗)は関わる微生物の種類が異なる

まとめ
 
上述したように発酵と腐敗は、微生物による嫌気的な分解代謝反応であり、微生物自身にとってはこの反応によりエネルギーを獲得しているにすぎません。しかし、反応の結果生じる代謝産物が私たちにとって都合がよいか悪いかで、発酵と呼んだり腐敗と呼んだりしているわけです。
 
私たちは発酵生産物をさまざまな形で利用しています。発酵食品はその典型例です。発酵生産物はすべて微生物の反応によるものですが、転じて微生物の反応そのものを発酵反応と呼ぶようになっています。
 
生ゴミの分解でも、(実際は発酵ではないのに) 発酵が進むという言い方がされます。しかしながら、発酵という言葉には純然たる生化学的な定義があるので、使い方を注意しないと誤解を与える可能性もあります。
 
                
カテゴリー:微生物の話