Dr. Tairaのブログ

生命と環境、微生物、科学と教育、生活科学、時事ネタなどに関する記事紹介

BCG接種が新型コロナウイルス感染抑制に効く?

今週初め、このブログの別記事を書きながらサイエンス誌のコンテンツを見ていたら、実に興味深いタイトルが目に止まりました。「伝統的な結核菌のワクチンが新型コロナウイルスに対する刃となるか?」という内容です [1]。それは、世界で広く使われてきたいわゆるBCGワクチンが、当該ウイルスSARS-CoV-2に対しても効くかも?という解説記事でした。

BCG(Bacille de Calmette et Guérin、カルメット・ゲラン桿菌)は、よく知られているように、結核Mycobacterium tuberculosisに類縁するウシ型結核菌 Mycobacterium bovis、およびそれを培養して作られた生ワクチンに対する呼び名です。日本人の大部分がこのワクチンの接種を受けています。

記事のタイトルだけを見てとっさに、BCGが抗原となって獲得された免疫がSARS-CoV-2に対しても効くのか?と思いました。しかし、その解説記事を読んで、それとは異なるまったく新しい概念の免疫機構がベースになっていることが分かりました。訓練自然免疫(自然免疫記憶)(trained innate immunity, innate immune memory)という免疫機構です。記事では、すでにオランダでSARS-CoV-2感染予防としての、BCG接種の効果を確かめる治験が進行中であることを伝えていました。

私は免疫の専門家ではありませんが、非常に興味をそそられ、早速関連する原著論文[2, 3]を読んでみました。ざっと要約すると以下のようになります。

●BCGワクチンは、血液中の単球(白血球の一種)において、エピジェネティックなプログラム変更を引き起こす

●とくにサイトカインやさまざまな増殖因子を生産する方向にプログラムが変更される

●この変化と実験室レベルでのウイルス感染に対する防御効果とは相関がある

●サイトカインの一種であるIL-1βがこの訓練免疫機構で主要な役割を担う

この論文の著者たちは、以上の現象を訓練自然免疫(訓練免疫)と呼んでいます。つまり、元々私たちが持っている自然免疫力が、BCG接種によって、遺伝子の変化を伴わずともプログラムの変更で増強され(訓練され)、ウイルスへの抵抗性ができるというわけです。

エピジェネティックな」「エピジェネティクス」とはむずかしい専門用語ですが、簡単に言うと遺伝子という中身が変わらなくとも、その包み紙に相当する部分が変更される(DNAが修飾される)ことで、現れる形が変わることを言います。

"包み紙の変更"としては、クロマチン構造の再配置を伴うヒストン修飾、DNAメチル化やアセチル化、miRNAの改変などがあります。一方、従来知られている獲得免疫記憶(外からの抗原に対する特異的抗体作製のプログラム)は、非可逆的なDNAの変異や組み換え、つまり直接的な遺伝子の変化によってもたらされます。

サイトカインは、免疫細胞の活性化や機能抑制に重要な役割を担っている生理活性タンパク質の総称です。たとえば、白血球が分泌し、免疫系の調節に機能するインターロイキン類や、ウイルスや細胞の増殖を抑制するインターフェロンなどが知られています。

上述した訓練免疫で主要な役割を担うとされるIL-1β [3] は、インターロイキン類の中のインターロイキン-1(IL-1)ファミリーに属します。これらは、主に血液中の単球によって産生されるタンパク質です。IL-1は炎症性のサイトカインとして知られており、微生物の感染や組織の損傷に伴う炎症時の発熱に関わるほか、リンパ球、単球、顆粒球などの免疫系細胞の増殖を促す役割を担っています [4]

通常、IL-1βは非常に低い発現量であることが知られていますので、BCGワクチンの接種によって、ウイルス侵入に応答してIL-1βを効果的に発現する、単球のサイトカイン産生プログラムに書き換えられるということでしょうか。

一方で、感染症の際にサイトカインが過剰に分泌されると、サイトカイン・ストーム(cytokine storm)と呼ばれる、多臓器不全にまで進行するような障害が起こります。新型病原体ではサイトカイン・ストームを生じやすいと言われており、インターロイキンIL6が過剰に働くことで起こることが知られています。比較的免疫力が高いと考えられる若い人が、COVID-19で亡くなる例も報告されていますが、このようなサイトカイン・ストームが起こっているのかもしれません [5]

いずれにしても、BCG、サイトカイン、自然免疫の増強、ウイルス感染との関係は、非常に興味深いです。

このBCGワクチンの話題については、早速ツイッターやウェブ上でも紹介されています。実はBCGワクチン接種は、米国やヨーロッパの先進諸国では行われていません。そこでSNS上で話題になっているのが、「BCG接種をしていない国では、感染者数や死亡者数が高くなっているのではないか」、逆に「BCG接種国で感染者数の増加が抑えられている」という推論です。

そこで、図1に、Our World in Dataにある世界のBCG接種の状況 [6]を示します。人口の何割がワクチン接種を受けているかを色分けで示してあり、色が濃いほど達成率が高い国です。この絵を見ると、BCG接種において北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどで空白があることがわかります。

灰色で示された国は"No data"とされているので、必ずしもBCG接種が行われていないとは断定できませんが、少なくとも米国、カナダ、北欧、西ヨーロッパ、オーストラリアではBCGを実施していないようです。

f:id:rplroseus:20200329134723j:plain

図1. 世界の国別におけるBCGワクチン接種の達成率(Our World in Data [4]から転載)

私は、WHOにある国別の感染者数・死亡数と上記のOur World in DataBCG接種の有無の関係について調べてみました。いろいろと分析をしてみましたが、国によって人口、感染状況、BCG接種株の種類・歴史・達成率も異なる(たとえば、中国では日本よりBCG接種の制度化が遅い [7])ので簡単に比較するわけにはいかず、何らかの傾向を見つけることが困難でした。とくにオーストラリアやニュージーランドはBCG非接種国ですが、感染者数は少ないです、

そもそも日本ではツベルクリン反応陰性の人はBCG接種を受け、2005年以降からはすべての幼児にBCGを接種するプログラムがとられていますので、日本のCOVID-19患者はほとんどすべてがBCG接種者、あるいはツベルクリン陽性者だと考えられます。感染する人としない人、感染しても症状が出ない人で何らかの違いがあるのでしょうか。

そこで、単純に、BCG非接種国と接種国について、感染者数のトップ10を並べてみました(表1)。ちょっと見るとBCG非接種国の方に感染者が多いようにも思えますが、これらはヨーロッパに集中していて、物理的に近いという影響も考えられます。

BCG接種国で言えば、中国と韓国を除けば感染者数は増加の途中にある段階です。これからの状況を考慮すると、現状では何とも言えません。

致死率については、高齢化率、医療体制の違いと医療崩壊の状況などが影響しますから、BCG接種との関係についてはまったく言及することができません。BCG接種の実績、感染者数、致死率、患者の生活様式などのビッグデータと、AIを活用した解析を行えば、集団疫学の面からの傾向が出せるかもしれません。

表1. BCG非接種国とBCG接種国(80%達成率のみ)におけるSARS-CoV-2感染者数トップ10

f:id:rplroseus:20200329174333j:plain
エピジェネティックな訓練免疫機構によるウイルス感染の抑制があるとしたら、非常に興味深い知見です。しかし、果たしてこの機構によってBCGワクチンがSARS-CoV-2に対して効くのか、現段階ではあまりにも知見が少なく、何とも言えないというところでしょうか。分子機構のさらなる研究、進行中の治験の結果、疫学的な解析を待ちたいところです。

とはいえ、BCGが抗原として何らかの免疫付与するとしたら(たとえばそれが獲得免疫だとしたら)、SARS-CoV-2とマイコバクテリアMycobacterium属菌種の総称)細胞の相同的なタンパク質など、すぐに見つけられそうなものですが。

人種や国によってCOVID-19感染の違いがあるとしたら、個人的にはSARS-CoV-2受容体であるACE2の変異の人種間における違いとの関係 [8] や、HLA(ヒト白血球抗原)の型とSARS-CoV-2への感受性の関係 [9] などにも興味が行きます。

引用文献・記事

[1] de Vrieze, J.: Can a century-old TB vaccine steel the immune system against the new coronavirus? Science Mar. 23, 2020. https://www.sciencemag.org/news/2020/03/can-century-old-tb-vaccine-steel-immune-system-against-new-coronavirus
[2] Netea M. G. et al.: Trained immunity: A program of innate immune memory in health and disease. Science 352, aaf1098 (2016). https://science.sciencemag.org/content/352/6284/aaf1098

[3] Arts, R. J. W. et al.: BCG vaccination protects against experimental viral infection in humans through the induction of cytokines associated with trained immunity. Cell Host & Microbe 23, 89–100 (2018). https://doi.org/10.1016/j.chom.2017.12.010

[4] 小野嵜菊夫:インターロイキン1: 細胞増殖制御から慢性炎症性疾患まで. YAKUGAKU ZASSHI 133, 645–660. https://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/133/6/133_13-00064/_pdf

[5] ナショジオニュース: 免疫の暴走がおきることも 新型コロナ、重症化の理由. 2020.03.02 . https://style.nikkei.com/article/DGXMZO55908430R20C20A2000000/

[6] Vanderslott, S. et al.: Vaccination. Our World in Data July 2015 (last revised December 2019). https://ourworldindata.org/vaccination

[7] 張倩: 中国全体と上海市の免疫プログラム比較. HUFFPOST. 2016.07.14
https://www.huffingtonpost.jp/zhang-qian/compare-vaccine-policy_b_10982252.html

[8] Can, Y. et al.: Comparative genetic analysis of the novel coronavirus (2019-nCoV/SARS-CoV-2) receptor ACE2 in different populations. Cell Discovery 6, 11 (2020). https://doi.org/10.1038/s41421-020-0147-1

[9] Tanigawa, Y. and Rivas, M.: Initial review and analysis of COVID-19 host genetics and associated phenotypes. Preprints Posted 24 March 2020. https://www.preprints.org/manuscript/202003.0356/v1

              

カテゴリー:社会・時事問題

カテゴリー:ウイルスの話

カテゴリー:感染症とCOVID-19