Dr. Tairaのブログ

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私たちは外来生物を受け入れる必要がある?

 環境問題の一つとして外来生物による生態系の撹乱や人的被害があります。外来生物の問題については以前のページで概略を述べました。
 
外来生物とは、ある生態系にそれまで存在していなかった生物種が外から侵入してくる場合において、その種のことを指して言います。多くはその生態系から排除される運命にありますが、しばしば生態系の新入りとして既存種と共存・定着したり、あるいは生態系に悪影響を与える存在になったりします。
 
とくに生態系に悪影響(群集構造を大きく変える影響など)を及ぼしたり、人的被害(農業被害、健康被害など)を与える外来生物の場合は、特定外来生物の指定を受けて法令上駆除の対象になります。
 
1週間前ツイッター上でも呟きましたが、外来生物に関する本を読みました。「なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか」(著者:クリス・D・トマス [Chris D. Thomas]、翻訳:上原ゆうこ)という題目の本です(写真1)。いささか衝撃的な、あるいは奇をてらった題目ですが、文字通り私たちは「生物の進化を速め多様性を生み出す外来生物を受け入れるべき」という内容になっています。
 
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写真1
 
本を読み終えての率直な感想は、「(悪い意味での)大きな驚きを通り越して、滑稽でさえある」ということです。タイムズ、エコノミスト、ガーディアンなどで絶賛されたそうですが、なぜ絶賛なのか理解できません。世の中にこんな馬鹿げた本があるのか、とあきれかえってしまいました。

ここでは詳細を示しませんが、要は「人間が環境を変えてきたその影響で多くの新しい種が生まれ、生態系に適応して生物多様性が増している」と結論づけているのです。そして「外来種の登場(侵入)によって新種が形成される速度は地球史上最高レベルになっている」とさえ述べています。これらの多くの種が、「人間がいなかったら存在していないのだから、外来種の侵入による人類と生態系との関係について見直すべき」としています。
 
ここで強く言っておきますが、現在の地球上で新種が形成される速度が増し、生物多様性が増しているという証拠はありません。外来種がある生態系に侵入したとしてもそれは種の増加とはみなしません。外来種は別の場所ですでに種として存在しているので、グローバルに種が増えるわけではないのです。
 
外来種の侵入によって近縁種や亜種レベルで遺伝的な交雑が起こり、ハイブリッドが生まれる可能性はあります。しかし、近縁種でも異種間の生殖による子孫は第一世代では可能でもそれ以降では駆逐されてしまうのが常識です。また亜種間での交雑は遺伝的には平均化する方向へはたらきます。
 
現在の多くの生物学者の見方は、かってないほどの速さで種が絶滅しているというこ
とです。第6の大量絶滅に突入していると言われている所以です。私たちが地球上に存在している未知の種を発見する頻度よりも絶滅の速度が高いため、実際は存在しているその未知の種が、私たちに永遠に知られることなく絶滅しているとも言われています。
 
繰り返しますが、ある生態系への外来生物の侵入は、見かけ上新たな種が増えたように感じますが、地球規模でみれば元々存在している種なので新種が生まれたとは言えません。一般的に外来生物の侵入は生態系の混乱を招き、在来種の減少方向に働きます。地球規模で見れば、個々の生態系の多様性を破壊し、グローバルな規模で多様性を薄めていきます。いわゆる進化の逆戻りです。そしてその原因は人間にあります。
 
人間が環境を変えてきたその影響で多くの新しい種(外来種)が生まれ、進化の速度が増す、という考えに至ってはどう理解していいかわかりません。少なくとも生物進化の基になるDNAの変化は時間軸に対して一定なので、種の進化の速度がゲノムレベルで変わることなどありえないのです。
 
あり得るとすれば適応の速度ですが、外来生物がこれを促進することは考えにくいです。どうしたらこのような発想になるのでしょう。
 
人間をそのほかの生物種と一体化している本書の考え方にも疑問が湧きます。ヒトはほかの生物とは異なり、きわめて高度に進化した脳をもちます。その結果、本能的に動く自然界の生物種とは異なり、欲望や叡智などの心が発達し、高度な言語を操ることができます(図1)。そして、脳の進化に伴って、自然界の掟に逆らって生活することを覚えました。生物でありながら、生物ではない生き方をしている異質な存在です。
 
たとえば、自然界の生物は生物学的価値のみで本能的に生きていますが、人間は唯一生物学的価値を貨幣価値(経済的価値)に変えてしまった生物です。つまり、経済的価値を最優先し、生物学的価値(=自然界の掟に従うこと)を捨て去ってまでお金を選ぼうとします。しばしば欲望が叡智を凌駕することもあります。
 
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図1. 自然界の生物と人間との違いー人間は発達した脳とともに叡智や欲望をもつ
 
自然界の掟に従うということは生物地球化学的循環(biogeochemical cycle、BGC循環)の流れに従うということです。BGC循環とは地球と生物の体内を通る共有した物質の循環をいいます。上記のトマス博士の本の中には、このBGC循環の概念がありません。
 
人間はBGC循環の中にある一員ですが、同時にその循環に逆らう生き方も選んでいます。すなわち、石油、石炭、放射性物質などBGC循環にない物質を大量に使用・消費し、その結果、環境汚染や地球環境問題を生じていることはよく知られた事実であり、現在ますます深刻化しています。
 
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図2. 生物地球化学的循環を巡る自然界の生物と人間の違い
 
人間がBGC循環から外れた生き方をすることによって(その一つはグローバルな移動)、同時に外来生物の問題も産んでいるわけです。しかし、それが生物多様性の減少になることがあっても決して多様性の増加に貢献することはありません。
 
生物多様性というのはその時その時で最適化されており、種を結ぶ物質循環と種間の相互作用のネットワークに依存して維持されています。しかし、外来生物の侵入はそのネットワークを切断する方向に働きますので、多様性を減少させる方向に働くことが多いです。
 
上述した書では、外来生物を偏向した形で捉え、多様性を局所的に矮小化し、グローバルな視点と進化的な視点で見ることができていないと思います。
 
著者のクリス・D・トマス博士は英国ヨーク大学の教授で、生態学、進化生物学を専門としています。たくさんの原著論文を書いていますが、その研究業績でロンドン動物学会のサイエンティフィック・メダル、イギリス生態学会の会長メダル、保全生物学の分野と気候変動に関する研究でマーシュ・アワードを受賞しています。
 
華々しい経歴ですが、果たして彼が生態学者なのか、この本に限って言えば疑問を持ってしまいました。SNS上では、過激な意見や奇をてらった論述ほど早く受け入れられ、拡散することがしられていますが、彼の書も絶賛されているとすればその傾向があるのかもしれません。