Dr. Tairaのブログ

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滅菌と殺菌

はじめに
 
微生物は直接目にすることができない小さな生物です。たとえば、バクテリア(細菌)の場合は平均で 1/1000 mm (= 1 μm)ほどの大きさになります。その上で、飲食品の変質や腐敗の原因になったり、ときには食中毒や感染症の原因になったりします。私たちが注目する所以です。私たちはしばしば「」という呼び方をしますが、細菌、カビ、酵母などの微生物を漠然と示す言葉であり学術的な意味はありません。

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さまざな微生物(細菌, カビ, 酵母
一方、ウイルスは厳密な意味では生物ではありませんが、細菌同様に感染症健康被害を起こすものが多く存在します。その大きさは平均でバクテリアの1/10になるため光学顕微鏡では直接見えず、電子顕微鏡下でのみその形を確認できる存在です(後述)。ウイルスはその大きさのためにしばしば微生物学(microbiology) の範疇で取り扱われ、またウイルス学 (virology) という独自の分野で研究されています。
 
これらの見えない相手をいかに制御するかということは、日常的な生活の上での重要な衛生学的課題および感染症予防の課題になります。人類の歴史はまさに微生物災害や感染症との戦いの歴史であると言っても過言ではありません。人類が野生生物との接触を拡大し続ける限りこの宿命からは逃れられません。
 
以下、滅菌、殺菌、消毒などについて、私が大学の微生物学の講義で使用していたスライドを中心に解説していきたいと思います。
 
1. 殺菌, 滅菌および消毒
 
先のブログ記事で、牛乳の殺菌法(→牛乳の殺菌と風味低温殺菌(→低温殺菌の話をしましたが、これらは微生物の制御法の例です。
 
 
このように私たちは殺菌という言葉をよく使いますが、殺菌とはどういう意味でしょうか。殺菌によって衛生学的に完全に安全になるのでしょうか。また似たような言葉で滅菌消毒というのもあります。ここで、これらの言葉の意味の違いを説明したいと思います。
 
重要ポイント
●微生物制御で重要な言葉 ー 滅菌、殺菌、消毒
 
私たちが何気なく使う殺菌、滅菌、および消毒という言葉には、実は専門的な定義があります。以下に簡単にその定義を示します。
 
まず滅菌ですが、これは文字通り菌を滅ぼす、すなわち死滅させるという意味があります。そして滅菌を行なったということは、そこに「生きている微生物が含まれない=無菌」という概念があります。したがって、滅菌操作を経たモノや飲食品は衛生学的に完全に安全だと言うことができます。
 
次の殺菌という言葉です。これは「菌を殺して減らす」という操作上の意味をもつだけです。その操作の結果としてどの程度死んだか、あるいは生き残ったかの状態はもとより、無菌という状態も示すわけではありません。
 
さらに消毒という言葉は、私たちに害を与える可能性のある「微生物を殺菌して害のない程度にまで減らす」という意味であり、やはり無菌という概念はありません。消毒という言葉は微生物だけではなくウイルスや病害虫などに対しても使われます。
 
なお、ウイルスは菌ではないので殺菌という言葉は当てはまることはできません。テレビなどでもしばしば「ウイルスを殺菌する」などの言い方が聞かれますが、「不活化する」、「消毒する」、「除去する」などの言い方が望ましいです。
 
重要ポイント
●滅菌:すべての微生物を死滅させること
●殺菌:菌を殺して減らすこと(操作上の概念でありどのくらい殺したかは関係ない)
●消毒:殺菌あるいは不活化して害のない程度にまで対象物を減らすこと
 
2. 滅菌の方法
 
滅菌を行う(すなわち菌をすべて死滅させる)ことができる装置として加圧滅菌機(オートクレーヴ)があります(図1)。この装置では通常120℃で15–20分間加熱して滅菌します。家庭で行う煮沸消毒では100℃までしか温度が上がらないので、耐熱性の芽胞を有するバクテリアは生き残ってしまう可能性があります。しかし、オートクレーヴ操作では芽胞をも含めてすべて死滅させることができます。オートクレーヴ以外の滅菌では、紫外線やガンマ線照射などの方法が使われます。
 
医療、微生物学、ウイルス学、衛生学、生命科学などの研究においてはオートクレーヴは必須の機器です。
 
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図1. 微生物の制御法としての滅菌
 
家庭にある似たようなモノとして加圧鍋があります。料理用のオートクレーヴと考えてもいいでしょう。ちなみに私は電子レンジで滅菌できるかどうか試したことがありますが、1000 W、10分のレンジ機能操作では大幅に菌数を減らすことはできても、滅菌は無理でした。
 
 3. 微生物制御に関する用語
 
微生物制御法についてはそのほかに類似の言葉(静菌、除菌、抗菌)がいくつかあります。滅菌以外の言葉については表1にまとめましたので参照いただければと思います。
 
表1. 微生物の制御を表す殺菌および類似する用語
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重要ポイント
●静菌:菌の増殖(生育)を抑えること
●除菌:対象物から菌を覗くこと(その操作を示す言葉で除去の程度は関係ない)
●抗菌:菌の増殖を阻止すること(静菌とは異なり抗菌作用という概念を有する) 
 
4. 消毒剤
 
私たちの生活の上で馴染みがあると言えば消毒剤(消毒薬)です。消毒剤とは健康被害がない程度にまで微生物を死滅させたり、ウイルスを不活化することを目的として使用される薬剤の総称です(図2)。以前は伝染病予防法(現在廃止)により9種類の消毒薬が指定されていましたが、現在はこのような制度はありません。
 

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図2. 消毒剤(消毒薬)の定義

 

現在使われている消毒剤を図3にまとめます。消毒剤はその効力の程度によって高水準消毒剤、中水準消毒剤、低水準消毒剤に分けられます。私たちの生活に関係する消毒剤としては中水準以下の消毒剤です。エタノール塩化ベンザルコニウム入りの消毒剤は薬屋さんで求めることができます。

 

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 図3. 消毒剤(消毒薬)の種類
 
5. 消毒用アルコール
 
最も汎用性の高い消毒剤はエタノール溶液です。市販の試薬としての純エタノールは約99%の純度がありますが、消毒の効力をもつためには70–80%の水溶液として薄めて用います。99%のままでは菌への浸透性が悪いためです。
 
写真1に市販されている消毒用エタノール台所用アルコール写真左)、消毒綿写真右)の例を示します。表示をみると第3類医薬品や指定医薬部外品の消毒エタノールでは 76.9–81.4 vol% のエタノール含有と記されています。消毒効力があるエタノール濃度です。一方で、台所用では濃度表示があるものは少なく、エタノール以外のものが入っている場合がほとんどです。
 
なお燃料用アルコールはメタノールが多く含まれるので消毒には使えません。
 

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写真1
 
消毒綿は私たちが採血などで注射されるときにあらかじめ腕を消毒するものとしても使われているので、馴染みが深いと思います。このように消毒用エタノールはほとんどの菌に効力を発揮するわけですが、ウイルスに対してはその効果が種類によって分かれるので注意が必要です。それはウイルスの表層構造に関係します。
 
図4にウイルスの構造を簡単に示します。ウイルスは核酸(DNAあるいはRNA)がタンパク質の殻(カプシド)で囲まれた基本構造をもつ超複合体粒子(ヌクレオチドカプシドと言います)です(図4左)。一例として、消化器系感染症を起こすウイルスとして有名なノロウイルスはこの構造をしています。
 
一方でインフルエンザウイルスSARSコロナウイルスなどは、ヌクレオチドカプシドがさらにエンベロープという外被に包まれた構造をもちます(図4右)。
 

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図4. ウイルスの構造(エンベロープなしとエンベロープあり)
 
ウイルスは外界では単なる粒子ですが、生物に感染すると細胞内に入り込みそこではじめて増殖します。消毒用アルコールは接触物からのウイルス感染を防ぐ手立てとして有効ですが、それはアルコールの油への親和性が関係しています。
 
ウイルスのエンベロープ脂質二重層膜(基本的に油)でできています。したがって、消毒用アルコールはウイルスのエンベロープに浸透してウイルスを不活化することができるのです。
 
つまり、消毒用アルコールはインフルエンザウイルスやコロナウイルスに対しては有効に働きます。一方で、エンベロープがないノロウイルスなどに対しては無効ということがわかります。
 
ちなみに上記したようにウイルスは細菌よりはるかに小さく、その大きさは平均で 0.1 μm 程度です。家庭用のマスクの網目ははるかに大きいのでウイルスは簡単に通過してしまうと思いがちですが、不織布マスクはブラウン拡散や静電効果によってある程度のウイルス除去効果はあると考えられています。もちろん、飛沫などに付着したものを防御する効果はあると思われます。
 
 5. その他の消毒剤
 
アルコールに代わる手軽な消毒剤としては塩化ベンザルコニウムがあります(図5)。これを主成分とする消毒剤はほとんどの細菌には有効ですが、欠点としてウイルスに対して効きにくいです。これも薬屋さんで求めることができます。
 

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図5. 消毒剤としての塩化ベンザルコニウム
 
細菌とウイルスの両方に効果的に消毒効果を示すのが次亜塩素酸水です。最も身近なところでは水道水の消毒に使われています。したがって、少なくとも日本の公共水道水は無菌・無ウイルスと考えてよいです。水道法では水道水に一定の残留塩素が含まれるように規定していますが、その塩素濃度は、普通の人が日常的に使う分には影響がないよう調整されています。市販の台所用の消毒剤には次亜塩素酸ナトリウムが主成分として含まれているのが普通です。
 
薬用石鹸(薬用ハンドソープ)は一般に主成分としてイソプロピルメチフェノールを含んでいます。これは多くの細菌に対する殺菌作用をもちますが、その強さと範囲は消毒用アルコールや次亜塩素酸ナトリウムと比べると落ちます。薬用石鹸を用いた手洗いは、流水洗浄とセットにした「除菌とウイルス除去」であるということを念頭にいておく必要があります。
 
 
6. 消毒は手洗いが基本

人が感染症にかかるときは手を介してという場合が圧倒的に多いです。感染者の飛沫や手に付着した細菌やウイルスが物品に付着し、その物品に触る、あるいは感染者に濃厚接触することで他者の手が細菌やウイルスが汚染されます。そこから手を介して鼻や口、目から体内に入るということです。
 
濃厚接触という言葉は大げさな印象を与え「一体何?」という感じになりますが、以下のようなケースが該当します(医療従事者、医療関係者の場合を除く)。
1) 感染症を発症した人(発症者)と同居すること
2) 発症者に身体や手で触れること
3) 発症者と対面で会話することが可能な距離(例:2 m以内)で一定時間過ごすこと(例:30分以上)
 
上記のようなケースを経て、結果として感染者由来の体液、分泌物、飛沫などに接触したり、病原体を含むエアロゾルを吸って感染してしまう危険性が高いということになります。
  
もとより病原細菌やウイルスは目に見えないわけですから、自分の手が見た目できれいであってもそれらが付着している可能性があります。外出先から帰って来たら丁寧に手を洗うというのが最も基本的な感染症予防対策です。
 
上記のエタノール溶液をはじめとする消毒剤の活用ももちろん重要ですが、消毒の第一歩は日常的に薬用石けんと流水を用いて手を洗うという習慣です。

おわりに
 
私たちがよく使う滅菌、殺菌、抗菌、消毒などの言葉には明確な定義があり、うっかり使い方を誤ると無用な誤解を生じることがあるかもしれません。また日常的に使う消毒薬はその効力の範囲を知った上で用いないと、的外れになる可能性もあります。
 
最後に述べたいことですが、感染症対策は人類の集団的生存をかけた最も重要な国の仕事の一つですが、日本においてはややもすると先端高度医療にばかり重点が置かれ、微生物やウイルスなどの感染症・対策の研究は軽視されてきた経緯があります。感染症研究や対策にかける人員も予算措置も先細りです。
 
語弊を承知であえて言いますが、先端医療は各々の個人の生死に関わるものですが、感染症対策は同時にはるかに大人数の生死を左右するものです。そして一旦パンデミック(pandemic)になれば、甚大な健康被害を生じると同時に、社会的・経済的にも大打撃を受けます。
 
もとより日本には、感染症を専門に扱い、広報機能ももつ米国疾病管理予防センター(CDC)のような組織がなく、感染症に対しては極めて脆弱な国の体制といえます。リスクコミュニケーション脆弱性もあります。比較的最近では、周辺国での新型インフルエンザやSARS、MARSコロナウイルスの蔓延で感染症対策が重要なことを学んだばかりです。この先必ず起こるウイルス感染症パンデミックに備えるためにも、国の対策強化が望まれます。食料・エネルギーとともに感染症対策が国にとっての最大の防衛策です。
              
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