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日本で変異ウイルスの系統を「株」とよぶ不思議

カテゴリー:感染症とCOVID-19

カテゴリー:ウイルスの話

はじめに

いま日本では、新型コロナウイルスSARS-CoV-2)によるCOVID-19の流行について、原因となっている変異ウイルスをデルタ株とかオミクロン株とか、「株」という接尾語をつけてよんでいます。これは厳密に言えば正しくありません。日本で使われている意味においては、諸外国は株(strain)とはよばず、"variant"(変異体、変異型)とよんでいます。

「株」は生物学、微生物学、ウイルス学で使われる専門用語です。私は微生物学の専門家として、このブログ記事で株の意味について解説したいと思います。

1. 「株」とは?

微生物学やウイルス学において、株とは、培養によって維持される単一クローン(同一系統)の微生物、ウイルスを表します。すなわち、純粋分離された実体があり、系統維持されていることが前提です。微生物の場合は「菌株」、ウイルスの場合は「ウイルス株」となります。植物の園芸でも株という言葉が使われていますが、英語のstrainは家系に由来しています。

「分離された」という意味では、分離株(isolate)という専門用語も使われます。微生物の場合は、通常、固形培地上に生えてきた沢山のコロニー(集落)の中から、一つのコロニーを白金耳で釣菌して分離します。ウイルスの分離・培養の場合は、培養細胞(例:Vero細胞)を撒いた固形培地上にプラーク(斑)を作らせたり、培養細胞の細胞変性効果(cytopathic effect)を調べてウイルスの培養性を確認します。理論上は、一つのコロニーおよびプラークは、それぞれ一つの微生物細胞、一つのウイルス粒子に由来すると考えられます。

なお、若い研究者のなかには、分離株を「単離株」とよぶ人もいますが、単離とは混合物から純物質や特定の要素を物理化学的原理に基づいて分離する操作のことを指しますので、混同を避けるためには使わない方がよいです。

生物の分類では階層分類(ドメイン→門→綱→目→科→種)リンネの二名方式(属名+種名の組み合わせ)に基づいて、ラテン語の学名が用いられています。たとえば、大腸菌の場合はEscherichia coliという種名が与えられています。しかし、大腸菌が"Escherichia coli"という名札をつけているわけではなく、学名は人間が勝手に付けた名前です。一方、ウイルスの階層分類における種名ではリンネの二名方式はとらず、学名のつけ方もはるかに自由ですが、やはり人が命名したものです。その意味で、株は微生物やウイルスの実体を表す唯一の単位です。

このように、株という言葉には「家系と実体(=培養・維持されているもの)」という重要な意味が込められているわけです。

2. 株という呼称を広めた学会と専門家

日本でデルタ株、オミクロン株というよび方が広まった発端の一つは、日本感染症学会による報道機関向け発表です(図1[1]。それまでメディア報道では「変異種」という呼称が盛んに使われていましたが、これは誤用であるという指摘とともに、「変異株」というよび方に変更すべきと勧告しました。

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図1. 感染症学会による変異種の誤用に対する変異株のよび方を推奨する勧告 [1].

変異株という名称変更について、その理由が続けてHPで解説されています(図2)。ウイルスはゲノムの複製ミス、宿主によるゲノム編集、ほかのウイルスとの組換えなどによって変異していきますが、学会の説明によれば「(変異した)子孫のことを変異株と呼称します」となっています(図2注1赤線部)。ここが厳密に言えば正しくないのです。つまり、変異の系統(lineage)、系統樹上の分岐群(clade)、あるいは塩基配列の違いに基づく遺伝型(genotype)だけを表して株とよぶべきではないのです。

そして同じ説明文の最後に「国民の科学リテラシーを正しく引き上げるためにも..」とあります(図2注2赤線部)。しかしその実、リテラシーを下げているのは学会自身ではないかと思います。

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図2. 感染症学会による変異種の誤用に対する変異株のよび方を推奨する勧告-2 [1].

感染症学会は、当初から、「PCR検査を拡大しない」方針を先導してきた学会です(→感染症学会のシンポジウムを視聴して思ったこと)。その意味でも、今回のパンデミック対策における責任は大きく、より科学リテラシーを上げてもらいたいと思います。

国立感染症研究所厚生労働省もずうっと変異「株」という言い方をしています [2]。たとえば、variant of concern(VOC、懸念される変異体)を「懸念される変異株」と訳しています。しかし、変異株の対訳は"variant strain"であり、"variant"ではありません。感染研自身も、英文の報告ではvariant strain(変異株)と正確に使っているのに [3]、一方ではvariantを変異株と和訳していてダブルスタンダードになっています。

おわりに

SARS-CoV-2の変異体については、国際分類としてPANGO命名方式で系統の名称が付けられています [4]。たとえば、デルタ変異体はB.1.617.2、オミクロン変異体はB.1.1.529という系統(lineage)名が付けられています。これに対してB.1.617.2株とかB.1.1.529株とかいうよび方はされません。番号による系統名だと覚えづらいので、国際保健機構WHOがそれぞれ、デルタ、オミクロンと付けているわけです。

便宜上、変異体を変異株とよぶのは仕方ない面もありますが(実体がある場合はvariantを株とよんでもよい)、学術上は安易すぎの印象が強く、日本のこの科学分野の後進性を露呈していると思います。要は「状態 (性質)」と「実体」の科学的な使い分けなのです。たとえば、単にデルタ型、オミクロン型とよんでいれば、問題はなかったと思います。

日本には微生物の分類に関わっている研究者は割と多くいて厳密に用語を使っていますが、ウイルスの分類や命名に明るい研究者はきわめて少ないです。その面で、言葉の使い方に無頓着になっているということなのでしょう。

引用文献・記事

[1] 日本感染症学会: [重要]変異「種」の誤用について(報道機関 各位). 2021.01.29. https://www.kansensho.or.jp/modules/news/index.php?content_id=221 

[2] 厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推本部: 新型コロナウイルス感染症(変異株)のまとめ. https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000833573.pdf

[3] NIID 国立感染症研究所: Brief report: New variant strain of SARS-CoV-2 identified in travelers from Brazil. 2021.01.12. https://www.niid.go.jp/niid/en/2019-ncov-e/10108-covid19-33-en.html

[4] cov-lineage.org: PANGO Lineages:
Latest epidemiological lineages of SARS-CoV-2. https://cov-lineages.org/

引用したブログ記事

2020年4月19日 感染症学会のシンポジウムを視聴して思ったこと

                

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