Dr. Tairaのブログ

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全数把握見直しをめぐる混乱と問題

はじめに

日本における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の新規陽性者は、7月終わり頃から20万人を超える日が多くなり、入院患者と自宅療養者の数は200万人近くに達し、医療崩壊に至りました。それに伴い、新規陽性者数の全数把握の作業の過重負担が問題化し、為政者や医師会などからもこの作業を見直し意見が出るようになりました。

COVID-19は、感染症法上、医師が直ちにすべての感染者の発生を保健所に届け出る必要があります。この発生届けにオンライン入力システムであるハーシス(HER-SYS)が使われています。しかし、この入力作業が医療現場や保健所自身の負担となり、すでに破綻しているとして、東京都医師会の尾崎治夫会長は見直しを求め、全国知事会の平井知事もさらなる入力緩和策を訴えていました [1]

すでに政府は、全数把握を見直すことを決定しましたが、この一連の流れでいささか混乱も生じています。そして、この国が抱えている感染症対策の根本的な問題点もあらためて露呈しているように思います。この問題が根底にあることで、第7波で流行で被害を拡大していることも理解できるような気がします。このブログ記事でその問題点を考えたいと思います。

1. 全数把握見直しのドタバタ

全国知事会は、8月22日、COVID-19感染者の全数把握をめぐって、早急の見直しと地域の状況に応じた届け出対象を設定する仕組みの導入などを政府に求める緊急提言をまとめました [2]。会長の鳥取県平井知事は「全数把握にこだわりすぎて、医療機関や保健所が崩壊しかけているという危機感がある」、「対策を転換し、重症者をフォローする対策に移行すべきだ」と述べました。

これを受ける形で岸田文雄首相は、8月24日、オンライン会見上で、全数把握の見直しに言及しました [3]。すなわち、感染拡大で保健所などがひっ迫した地域では、都道府県の判断で全数の発生届を高齢者らに限定できるようにする方針を明らかにしました。この政府による見直しを今朝のテレビの情報番組が伝えていました(図1)。

図1. テレビの情報番組が伝える政府の全数把握見直し方針(2022.08.27. 日本テレビ「ウェークアップ」より).

ところが、岸田首相の全数把握見直しの方針に、今度はそれを要求していたはずの全国の知事から戸惑いの声も聞かれるようになりました。なぜなら、おそらく全国一律の変更方針を期待していたと思われる知事らに対して、岸田首相の発言は「都道府県の判断で変更できる」という自治体任せの方針になっていたからです。自治体の判断となると、今度は全数把握から外れたところで重症者や死亡が出てくると自治体の責任になります。

全数把握見直しの急先鋒であった神奈川県黒岩知事も、政府の方針を歓迎しながらも、見直しの責任が自治体に被さってくることの警戒感からか、あるいは県独自に進めている自宅療養制度と矛盾が発生するためか、課題があるとして全数把握の見直しを行なわないと述べました(図2)。東京都、和歌山県島根県などは今のところ全数把握を維持すると表明しています。

図2. テレビの情報番組が伝える政府の全数把握見直し方針に対する神奈川県の反応(2022.08.27. 日本テレビ「ウェークアップ」より).

政府は「行動制限なし」や基本的に国民の自己責任に依存した感染対策など、普段から責任をとらない丸投げ方針が得意なのですが、今回の全数把握見直しもそのラインでの発言だったと思われます。さすがに、丸投げという批判を恐れたのか、岸田首相は今日になって全数把握見直し 今後全国一律で行なうことを表明しました [4]

とはいえ、今回のドタバタ劇の顛末は、全数把握の意義をすっ飛ばした、どうにもならなくなった作業の負担軽減のためのルール変更という、本末転倒の議論の結果にしか過ぎません。これは、上記の「全数把握にこだわりすぎて、医療機関や保健所が崩壊しかけているという危機感がある」という平井知事の発言に象徴されます。

2. 全数把握の意義

では全数把握にはどんな意義があるかみていきましょう。全数把握には、大きく分けて防疫流行把握)と医療(患者の管理)という二つの側面での意義があります。そもそも、平井知事が言う「全数把握にこだわりすぎて」という性質のものではないのです。逆に言えば、日本は全数把握のデータをうまく活用できないために、いたずらに感染拡大を許し、医療崩壊に至り、過去最悪の犠牲者数になろうとしているのです。

日々の新規陽性者数は流行の先行指標としてきわめて重要であり、感染者数の増減とそのスピードを分析しながら、いつ、どの程度の規模の流行になるか、いつ減衰するかということを予測しながら、必要な検査資源、治療薬、病床数を用意していくわけです。為政者はこの情報に基づいて、必要な医薬的、非医薬的介入のタイミングを図り、公衆衛生的取り組みの導入・強化を判断します。

また、リアルタイムの全数把握と同時にあるいは付随して、ウイルス変異体の解析が行なわれます。その結果、ウイルスの伝播力はどの程度か、重症化リスクは高いのか低いのか、そしてどの程度致死的であるかなどの判断も可能となります。

これらの分析が的確に行なわれないと、あるいは情報が得られなくなると、早期検査、早期診断、早期治療が難しくなり、政府の介入のタイミングがずれ、いたずらに感染者数と患者数を増やすことになります。その結果、医療ひっ迫、医療崩壊に繋がり、さらには犠牲者を増やしていくことになります。日本はこのような防疫上の全数把握の重要性について、専門家も為政者も意識が希薄であり、上記のように、この意味で全数データを十分に活用できているとは思えません。結果として感染者を爆増させ、医療崩壊に至りました。

防疫上の全数把握の重要性について、いかに医療専門家の意識が希薄であるかという例を、昨日NHKのニュースで国立病院機構三重病院の谷口清洲院長の発言にみることができました。「(全数ではなく)定点でみたとしてもその代表性が保たれる」という発言がそれです。これについて、私は即座に以下のようにツイートしました。

次に、全数把握の医療面での意義として、患者の健康状態を把握・管理し、適時医療に繋げるという機能があります。入院患者のみならず、自宅療養者についても全員のデータが記録されているからこそ、病状変化に応じた適切な処置が可能になるのです。民間保険への申請においても、入院、罹患、療養等に関するこの記録がベースになります。

健康状態のモニターという面では、従来の概念の重症化というプロセスを経ないで、軽症から急速に死亡に至るオミクロン変異体の場合は特に重要です。たとえば、全数把握をやめ、重症化リスクの高い患者を重点的に把握するとなると、補完的システムが新たに創られないい限り、そこから外れた軽症患者はモニターされなくなります。その結果、軽症者が急速に重篤化したり全身衰弱したりして、最悪死亡するというリスクが回避できなくなります。

全数把握をやめた場合のもう一つの問題として、長期コロナ症(long Covid)の実態が分かりづらくなるという点が挙げられます。COVID-19パンデミックの特徴の一つは、感染者がかなりの割合で長期コロナ症(いわゆる後遺症)になることです。

米国においては18歳から65歳までの現役世代の感染者のうち、1,600万人が長期コロナ症であると報告されています [5]。そして、400万人が失職して人手不足に陥った結果、年間23兆円の損失になっているとブルーキングス研究所は報告しています。米国のこの状況は、昨日のテレビ朝日「モーニングショー」でも紹介していました。

3. 重症者と死亡者

繰り返しますが、日本は先行指標として新規感染者数(全数把握)のデータをうまく活用してきたとは思えません。その一つの現れが、「感染者数よりも重症者数、医療ひっ迫が重要」という言わばプロパガンダ的な言述です。このフレーズを好んで使ってきたのが政府や分科会の尾見茂会長です [6, 7, 8]。テレビでお馴染みの医療専門家の多くも、重症者や重症化率を重視という立場をとってきました。そしてテレビをはじめとするメディアは、「重症者数が重要」とオウム返しのように追従してきました。

重症者数や医療ひっ迫が重要と言いながら、時間的に先行する感染者数を軽視してしまうと、結局対応が後手後手になり、医療ひっ迫させてしまうということに気づくべきです(→政府分科会が示した感染症対策の指標と目安への疑問遅すぎたそして的外れの"感染再拡大防止の新指標"の提言)。そして、ウイルス変異体や病態、ワクチン接種の状況によって、重症化、致死のプロセスも多種多様化することを認識すべきでしょう(→オミクロンは軽症なのになぜ病院をひっ迫させるのか?)。

今の重症者の基準は、少なくとも肺炎を起こし人工呼吸器やECMOを装着されている患者ということになります(図3)。これはデルタ変異体以前の病態に合わせて作られた基準であり、オミクロン変異体の実態には全く即していません。今のBA.5では、軽症状態から持病が悪化したり、脱水や全身症状で容態が急変して亡くなるという例が大多数です。このため、毎日重症者ほとんど増えないにもかかわらず、300人前後が亡くなるということが起こっています。

図3. テレビの情報番組が伝える重症者の定義(2022.08.27. 日本テレビ「ウェークアップ」より).

専門家やメディアがつくり出した「重症者が重症」、「オミクロンは軽症」という風潮は、オミクロン変異体への警戒感を弱めるのに十分に貢献したと思われます。その結果、大きな被害を出したのが第6波であり、そして第7波でその上積みを行なおうとしているわけです。

先行指標としての感染者数データを活用できず、相変わらずの検査資源不足でオンライン診療も無料検査も充実していない日本では、第7波流行と医療崩壊は起こるべくして起こったと言えます。図4に示すように、最新のBA.5流行で最悪の感染者数と死亡者数を出している日本は世界でも希有な国です。図4では、比較のために世界平均と人口規模と島国ということで類似するフィリピンのデータを示してありますが、それらと比べても日本の突出ぶりが著しいです。リアルタイムの人口比(100万人当たり)の死者数(死亡率)では、豪州と並んで日本は世界最悪となっています。

図4. パンデミック期間の日本の100万人当たりの感染者数と死者数の推移(世界平均およびフィリピンとの比較、Our World in Dataより転載).

4. 国民にとって何一ついいことはない

上記のように、全数把握の見直しは、医療現場の作業の負担軽減のためのルール変更という以上のものではなく、一般の国民にとっては何一つメリットはありません。国民に直接関わる大きなデメリットの一つは、コロナ陽性になったときに、軽症であれば公的な健康観察の対象から外れるということです。

このほかにも、配食サービスや療養証明書の発行なども全数把握に紐づいていますから、見直しとなればこれらのサービスもなくなります。さらには、保険金給付の対象も限定されてくるでしょう。おそらくは、全数把握の見直しに伴い、カウントは65歳以上の高齢者、重症患者、妊婦などに限定されるでしょうから、自宅療養などのいわゆる「みなし入院」では、保険金給付もなされなくなる可能性があります。

おわりに

全数把握見直しをめぐる混乱と顛末をみるにつけ、日本では先行指標としての感染者数の重要性に対する意識がきわめて低いことが改めてわかりました。防疫上のこの先行指標をうまく活用できないために検査、診療が遅れ、適切な感染対策の介入ができず、いたずらに感染拡大させ、医療崩壊に至るということが起こっています。すると、感染拡大のために全数届けの作業に負荷がかかり、どうにもならなくなって、今度は全感染者数を記録する作業自体をやめるという本末転倒のことが起ころうとしています。

要は、全数把握という仕事の現行キャパシティ以上に感染拡大をさせない、あるいは想定できる感染規模に対応できるようなシステムの効率化(ハーシス入力項目の簡略化、労力の分散化、流行把握と患者管理の分別化など)が求められていたにもかかわらず、そのどちらもできていなかったということが露呈したわけです。以前のブログ記事(コロナ禍の社会政策としてPCR検査)で指摘したように、ハーシスについて言えば、健康保険証番号で一元管理すれば入力作業は軽減できたはずです。加えて、防疫上の感染者数把握の重要性や、オミクロンの病態に対する知事らの理解が希薄であることも、あらためてわかりました。

全数把握をやめるとどうなるかは英国の例を見るとよくわかります。テレビでは英国について「マスクを着けていない」とか「日常を取り戻している」とか表面的な報道をしていますが、これは日英両国民が「知らぬが仏」状態であって、パンデミックの実態は依然として脅威であることには変わりないのです。英国の知人の微生物学、ウイルス学の専門家に尋ねても、異口同音にそのような答えが返ってきます。

英国は半年前に全数把握をやめたために、流行状況を入院者数と死者数からのみ判断せざるを得なくなりました。感染して発症しても重篤既往症、高齢者等などの条件で認定患者にしてもらわないと検査が受けられませんので、市販の抗原検査で済ませる場合がほとんどです。これはもちろんカウントされません。100万人当たりの死者数は日本と同等かやや下回る程度であり、おそらく日本に近い感染者数が発生していると思われます。そして、米国と同様に [5]、多数の長期コロナ症の人たちが発生し、社会問題化しています。

政府は重症化リスクのある感染者を従来どおり記録し、軽症者は年代ごとの全数でまとめる方針を示しています。これでオミクロン変異体の病態に対応できるのでしょうか。これまでの「感染者数よりも重症者数が大事」、「オミクロンは軽症」の固定観念から抜け出しきれていないと思います。依然としてパンデミック下でありながら、もし全数把握をやめてしまうと、もう元に戻れないでしょう。もともと日本は防疫対策がきわめてお粗末な上に、全数のデータがないとどうなるでしょうか。考えただけでも恐ろしくなります。

引用記事 

[1] NHK首都圏ナビ: コロナ感染者の全数把握 医師会「すでに破綻」国も見直し検討. 2022.08.17. https://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20220817b.html

[2] NHK WEB NEWS: 全国知事会 新型コロナで緊急提言 “全数把握見直し柔軟に”. 2022.08.23. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220823/k10013783411000.html

[3] 産經新聞: 岸田首相、全数把握の見直しを正式表明. 2022.08.24. https://www.sankei.com/article/20220824-LU46QBUL5NPL7OEL5QNNR6BNEM/

[4] NHK WEB NEWS: 岸田首相 新型コロナ 感染者の全数把握見直し 今後全国一律で. 2022.08.27. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220827/k10013790701000.html

[5] Smith-Schoenwalder, C.: Report: 16 million working-age Americans have long COVID, keeping up to 4 million out of work. U.S.News August 25, 2022. https://www.usnews.com/news/health-news/articles/2022-08-25/report-16-million-working-age-americans-have-long-covid-keeping-up-to-4-million-out-of-work

[6] nippon.com: 宣言解除「医療逼迫を重視」=新規感染者数よりも―尾身会長. 2021.08.17. https://www.nippon.com/ja/news/yjj2021081701214/

[7] SankeiBiz: 政府がコロナ指標を見直しへ…新規陽性者数より重症者数 緊急事態発令基準も. 2021.08.19. https://www.sankeibiz.jp/macro/news/210819/mca2108191943014-n1.htm

[8] 小川洋輔:「感染者微増でも解除していい」尾身会長. 医療維新. 2022.03.11. https://www.m3.com/news/iryoishin/1025461

引用した拙著ブログ記事

2022年2月1日 オミクロンは軽症なのになぜ病院をひっ迫させるのか?

2021年4月15日 遅すぎたそして的外れの"感染再拡大防止の新指標"の提言

2020年9月25日 コロナ禍の社会政策としてPCR検査

2020年8月8日 政府分科会が示した感染症対策の指標と目安への疑問

                    

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2022年)