Dr. Tairaのブログ

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起こるべくして起こった医療崩壊、そして専門家有志提言の無味乾燥感

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2022年)

はじめに

全国で感染拡大が止まらない新型コロナウイルスオミクロン変異体亜系統BA.5)の第7波ですが、もはや検査による患者確定が追いつかず、頭打ちの様相を呈してきました。欧米先進諸国は全数把握をやめていますので、もはや感染者数では比較しようがないですが、まだ統計データとして比較可能な新規死亡者数では、米国を除けば日本が最悪になろうとしています。お盆の頃には、死亡率(人口比死者数)で日本は世界トップに躍り出るでしょう。

このような中、先月終わりに、全国知事会は、新型コロナの感染症法上の2類相当から5類へ見直しを求めました [1]。8月2日には、尾見茂氏を含む専門家有志による新型コロナウイルス感染症に対する出口戦略の提⾔がありました。そして、日本感染症学会、日本臨床救急医学会、日本救急医学会、ニホンプライマリ・ケア連合学会による、いわゆる「医療を守る」ための4学会声明が出されました(図1)。

私はこれらの動きに対して、これまでの感染対策の総括がなく、国民の自己責任を強いる感が強い、その場しのぎおよび先送りの提言であるとして、先のブログで批判しました(→ゾンビのように復活した「37℃, 4日以上」のなぜ?)。政府や政府周辺の専門家はこれまでの流行波の経験を対策に生かせず、ほぼ成り行き任せでした。いま起こっている医療崩壊は、起こるべくして起こったと言えるでしょう。

図1. 医療を守るための4学会声明(日本感染症学会HPより).

専門家有志の提言については BuzzFeed Japan Medical が記事にしています [2, 3]。このブログでは、医療崩壊に至る感染対策のプロセスの問題点を挙げながら、BuzzFeedの記事に対しての感想を述べ、専門家の提言の意図について考えたいと思います。

1. 何が問題か

いま日本では、感染拡大とともに医療崩壊が起こっています。この医療崩壊にまで至った新型コロナ感染症対策の問題点を私なりにまとめたのが以下の6つです。

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1. 医療アクセスの狭さ

2. 感染症対応病院(発熱外来)の不足

3. 検査資源不足

4. 流行把握手法の煩雑性・非効率性

5. パンデミック下でのエンデミック対応

6. 防疫対策の不備

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医療崩壊の原因は、単純に言えば、対応可能な病床数以上に感染者が増えてしまったことにあるわけですが、その過程には基本防疫対策の弱さ、医療提供の仕組みの欠陥、医療マネージメントの拙さ、そして防疫・検査・医療についてのロジスティクスの欠落が関わっています。国がコロナ専門病院を設置できず、感染症診療の窓口を広げられず、保健所が入院調整しているような段階で、もう医療崩壊は始まっているようなものです。

1.の「医療アクセスシステムの狭さ」というのは、新型コロナについては簡単に医療にアクセスできない状態のことです。国民皆保険と言いながら、いま発熱したからといって簡単に一般病院で診てもらえるわけではありません。多くが受診拒否されます。

欧州のようなかかりつけ医制度も普及しておらず、米国で行なわれているような感染症用の遠隔診療もほとんど実施されていません。遠隔診療は、発熱外来を設ける必要がない点できわめて有効ですが、ある程度のICT環境が要求され、診療報酬も安くなりますので、日本での導入はハードルが高いのかもしれません。とはいえ、スマートフォンを活用したオンライン診療などは簡単に整備できるはずでしょう。

軽症の場合は、自宅療養・自主隔離というのは当初からの世界標準の措置です。とはいえ、調子が悪い場合はいつでも電話でかかりつけ医や遠隔診療医に相談できるというのが欧米の医療アクセスシステムです。日本はここがきわめて脆弱なのです。

そして、今極めつけが救急医療外来にアクセスできないことです。救急依頼しても繋がらない、救急車で運んでも病院が見つからない、入院できないという、救急医療崩壊が起こっています。これは実働可能な病床数以上に感染患者が急増したこと、軽症・中等症患者の医療マネージメントの拙さ、確保病床数と実働可能な病床数とのギャップによる情報バイアスなどが影響しています。

それにしても、国が直轄する国立病院、労災病院地域医療機能推進機構病院(理事長は尾見茂氏)、国立大学付属病院の病床合計数は11万床を超えますが、この病床が必ずしもうまく使えているとは思えません。国はこれらの中からコロナ専門病院を選定して、コロナ病床に転換することはできたはずですが、なぜそうしなかったのでしょう。昨年10月11日開催の財政制度等審議会の資料によれば、国立病院のうちコロナ患者を受け入れていない病院が46あると言います [4]

2.の「感染症対応病院(発熱外来)の不足」というのは、1.とも関連しますが、いま発熱外来が全医療機関の35%にしかありません。圧倒的に不足していて、なかなか予約がとれないという問題を引き起こしています。発熱外来を増やそうにも、一般病院の多くがそれに設備上あるいは技術的に対応できないという現状があります。すなわち、1、2の問題とも、新型コロナの感染症法上の分類を変えたとしても容易に改善できるものではありません。まずは、遠隔診療、オンライン診療を増やすことが先決でしょう。

3.の「検査資源不足」はパンデミック当初からの課題です。厚生労働省や周辺感染症コミュニティによるPCR検査抑制論がずうっと尾を引いていて、いまだに検査キットが足りない、検査が足りないという事態になっています。先進国の中ではきわめて珍しい事態です。「医療を守る」という現場の必死な思いで緊急声明を出した4学会ですが、その実、軽症者には検査は必要ないと主張していた日本感染症学会をはじめとする関連学会が自ら招いた事態とも言え、その責任は重いです。

もともとは、2009年のパンデミック以後に検査充実を怠った厚生労働省に責任があるわけですが、そこから今回のパンデミックでは不足する検査資源を医療に集中させ、市中検査や社会検査にそれが広がることを防ぐために、PCR検査の精度などを盾にしたPCR検査抑制論を展開したわけです。このPCR検査を貶す風潮は周辺の医療クラスターや社会に蔓延し、日本の防疫対策や公衆衛生の取り組みにブレーキをかける役目を果たしました。市中PCR検査は「野良検査」とも揶揄されました。

その検査抑制の旗ふり役だった厚労省が、今回の爆発的感染にはどうにもならなくなり、PCRより使いやすいけれでもはるかに精度が悪い迅速抗原検査(RAT)キットを大量に使う羽目になりました。神奈川県のように自主療養制度を設け、認証されていないRATキットを自主検査に使ってもよいとする自治体まで現れています。

4.の「流行把握手法の煩雑性・非効率性」というのは、全数把握が手がかかるシステムであったということです。新型コロナはいま感染法上の2類相当の扱いですから、検査陽性になったら医師が判定して直ちに厚労省に報告する必要があります。当初ファックスを使って報告という仕事を、2年前にHER-SYS(ハーシス)への入力に変更したまではよかったのですが、多数の入力項目を医師が入力して報告ということに限定したため、感染者の急増には物理的に対応困難なものになりました。

全数把握という目的なら入力項目を大幅に簡略化し、国民健康保険番号で管理すれば、基本は検査場所、検査日、検査結果の入力だけでいいはずです。そして、民間検査も含めて検査陽性を下した現場で直接、リアルタイムに入力し、かつG-MYSとも共有化して入力という作戦も考えられたはずです(→コロナ禍の社会政策としてPCR検査)。診療に忙殺される医師の仕事量の負担は、かなり軽減することができるでしょう。

このような対応は2年前にできたはずです。さらに、流行把握の方法としてはるかに簡便な下水ウイルス監視もその当時から導入が可能だったはずです。これらが、いまだに実施されていないのは、どのような理由によるものでしょうか。

5.の「パンデミック下でのエンデミック対応」というのは、これまで何度となく指摘していますが(コロナ禍の社会政策としてPCR検査「コロナが5類引き下げになったら」で想像できることゾンビのように復活した「37℃, 4日以上」のなぜ?)、日本の感染症対策が「患者と医療」という面に意識が集中していて、この感染症の高い伝播力とともに起きる社会かく乱が置き去りにされていることです。

新型コロナもオミクロン変異体になり、ワクチン接種も進んで、重症化する患者が以前と比べて少なくなりました。医療という面からは、COVID-19も他の病気も同じで、リスクが高い患者の治療を優先するということはむしろ当然です。ところが、医療従事者はややもすると、ここだけを強調しがちになり、時に季節性インフルエンザと同じ対応でよいということさえも主張しますが、病院外では(病院内でも)パンデミック感染症であることは変わりないのです。

オミクロン変異体の基本再生産数(R0)は、平均で9.5 [5] あるいは6-10 [6] と報告されており、季節性インフルエンザの比ではありません(表1)。BA.5はさらに感染力はオミクロンBA.1に対して1.4倍になっていると言われています。

表1. 主なウイルス病原体の基本再生産数(文献 [5] に基づいて作表)

しかも若者の感染者を中心に無症状、軽症が大部分であり、一方で高齢者に対しては重症化、死亡リスクが高くなり(60歳以上では季節性インフルエンザの3倍、致死率は10倍)、かなりの確率で長期コロナ症(long Covid)を生じるという、多面的な病態を示します。これらの中で、無症候性感染者や発症前感染者が無自覚のまま他者にうつすことであっという間に感染拡大し、社会をかく乱するという特徴があります。これらがエンデミックである季節性インフルエンザとは大きく異なるところです。

そして、従前の重症者の定義(人工呼吸器およびECMO装着患者)に拘泥するあまり、重症者が少ないという認識のままに、多数の基礎疾患を持つ人や免疫不全者が軽症からいきなり全身症状を起こして亡くなるという状況を生んでしまいました。

6.の「防疫対策が欠落」は、事前流行把握、検査・隔離、行動制限、公衆衛生、予防接種などに関わる対策が不備だということです。

事前流行把握(レーダーの役目)として下水ウイルス監視がありますが、これは日本ではやられていません(一部流行予測に使われているのみ)。検査・隔離は、検査不足、トレーシング不足で十分に機能してこなかったのは周知の事実です。蔓延してからの患者確定にさえ今検査不足です。行動制限に関しては、特にまん延防止措置の発出がタイミングとしても効果的であったかどうかは疑問が残ります。公衆衛生については、厚労省や政府系専門家は長らく空気感染を認めず、換気対策が遅れました。ワクチン接種については初期接種が遅れ、ブースター以降は必ずしも順調にいったとは言えないでしょう。

2. 専門家有志の出口戦略

上記のように、8月2日、専門家有志は新型コロナの出口戦略を提⾔しました。この提言を中心になってまとめたのが神奈川県医療危機対策統括官の阿南英明医師です。

BuzzFeed Japan Medical は、この提言の狙いと国民に訴えたいことについて、阿南氏に直接インタビューした内容について記事にしています [2, 3]。この記事には、私個人が思うに、疑問や問題となるような発言や見解が満載されています。このブログでは、この記事のいくつかの部分を引用しながら、そのどこが問題かを指摘したいと思います。

まず、記事 [2] の最初に、この阿南提言の核心とも思われることが書いてあります(引用1)。

引用1

特別扱いされてきた新型コロナ感染症を、一般の病気として診られるような目標を設定し、そこに至るまでの道筋を示したこの提言。

同時に、過去最大規模になった目の前の感染者数を抑え込むために、国民が主体的に感染対策に取り組むよう促しています。

ここは重要なところで、「COVID-19を一般の病気として診る」、そして「国民が主体的に感染対策に取り組むように促す」が提言の性質を言い表しています。つまり、パンデミックの病気を「一般の病気」という位置づけることで、これまで政府系専門家が失敗を重ねて来た(パンデミック下で「患者と医療」重点で対応してきた)ことの上塗りのような感じになっていることです。いま急拡大しているパンデミック病の対応に四苦八苦しているのに、なぜエンデミック対応にしなければならないのか、ピントが完全にずれています。

そこには、誰が高リスクなのか、どのような状態がリスクが高いのか、そしてどのようにして(いわば不平等)リスクを最小化するかパンデミック対応の視点が欠けています。「一般の病気」とすることで、コロナのリスクや被害実態を希釈し、責任を逃れようという意図さえ見えます。

いい例が、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾見茂会長が事あるごとに言ってきた「感染者数よりも重症者数が重要」という言葉です。人工呼吸器とECMO装着という当初の重症者の定義を変更しないままこの言葉を言い続けるのは詐欺的とさえ思えることであり、オミクロン流行での真の重症者は誰かが見逃されています。そして、感染症対策を国民の自己責任として押し付けるような提言になっています、これは先日の尾見会長の発言でも一端はうかがうことはできました。

次の引用2 [2] では「ウイルスとの共存」、「コロナも数ある病気の一つ」というキーになるフレーズが出てきます。

引用2

着地させると言っても、ウイルスが消えるわけではありません。ウイルスと共存しなければいけません。

今、コロナとコロナ以外の病気とに2分されている形になっていますが、コロナも数ある病気の一つにしていかなければいけません。私たちが日々闘っている病気や怪我の一つにいかに位置付けるか、というのが着地点です。

阿南氏の「ウイルスと共存」という言葉には、(メディアもよくこの言葉を使うのですが)私は違和感をもちます。消えるわけではないがいなくなってほしいウイルスに対して「共存しなければならない」はないでしょう。せいぜい「耐えていかなければならない」という言い方が適切だと思います。世界でも「ウイルスと共存」というフレーズを使うのは日本ぐらいなものです。ウィズコロナを誤解していると思います。

「コロナも数ある病気の一つしていかなければならない」というのは、上述したように、全くエンデミックの発想であり、依然パンデミックの病気であることを薄める発言です。SARS-CoV-2(特にいまのRA.5)は、高い基本再生産数をもつ(表1)リスクグループ3に分類されるウイルスであり、あっという間に社会に伝播・蔓延し、高齢者や基礎疾患を持つ人にとっては危険であるという認識に欠けていると思います。

この感染症を、まだ「数ある病気の一つにはできない」理由として、いま発熱外来を別につくって限定的に対応している現状が挙げられます。数ある病気の一つとなるためには、いま全く無防備な状態にある日本が防疫、医療システムにおいて強化されることが必要です。そして、エンデミックにするためには、ウイルスのリスクグループ分類が一段階引き下げられ、発熱外来仕様でない病院でも診ることのできる状態になることが必要です。それはおそらく、いつになるかわかりませんが、世界保健機構に(WHO)によってパンデミック終了宣言がなされた後です。

引用3

日常の病気になるということは、社会の中に浸透するということです。今までの仕組みは、基本的にコロナウイルスを特別なものと位置付けて封じ込めることを前提としたものです。これまではコロナに対応する医療機関も限局していました。保健所もコロナだけ特別に調べていました。

この病気が社会に蔓延することを前提としていなかったのです。でも第7波では蔓延し、完全に社会の中に入り込みました。多い時だからこそ、今までやれてきたことができなくなっている。仕組みが現状に合っていないのですから変えるべき時なのです。

引用3 [2] の発言は、「日常の病気」という言葉が、エンデミックとパンデミックを混同した状態で使われています。たとえば、季節性インフルエンザはエンデミックあり、社会に浸透した病気ですが、社会と病気は平衡状態にあり、社会がかく乱されることはありません。一方、新型コロナは、全域的に鋭利的に感染が続発するパンデミックであり、この場合の蔓延は、異常性が拡大・継続している状態です。

だから、新型コロナを特別な病気として対応してきたわけですが、蔓延して対応できなくなったもの、医療崩壊させるようなものを「日常の病気」になったとするのは意味不明です。パンデミックは蔓延するものなのに、蔓延することを前提としていなかったというのも変です。「仕組みが現状に合っていないのですから変えるべき」という意味が、パンデミック対応の運用がこれ以上できなくなったというのならわかりますが、阿南氏が言っていることは、無理にエンデミック仕様に変えるいうことなのでしょう。

次の引用4 [2] では、コロナ死亡についての見解がみられます。

引用4

僕は元々、死者数を抑えることを目標とすることには賛成していません。それよりは、どういう死に方がいけないのかを考えなければいけません。

第5波までと、6波以降で圧倒的に変わったことは、若い人が死ななくなったことです。高齢者もそれまでに比較して死亡する確率は格段に下がりました。ワクチンの効果や種々の治療薬が出ているからです。感染を防ぐことはできませんが、重症化を防ぐことはできています。

それを前提として、感染者は適切なケアさえ受けられたら多くの死を回避できます。高齢者はコロナで重症肺炎になるのではなく、飲食ができなくなるなど衰弱して命を奪われる。必要なのは1本の点滴など基本的な医療なのです。

死者数を抑えることを目標とすることには賛成していない」という発言には驚きです。どういう死に方にせよ、死んだらダメでしょう。「重症肺炎になるのではないので、適切なケアで死を回避できる」とも話していますが、それができずに、今100人、200人単位で死亡者が出ている現実に目を向けるべきです。

引用5 [2] ではウィズコロナ戦略の核心部分に触れています。すなわち、コロナ被害についての国民の合意形成に関することです。

引用5

感染が広がってもいい、なんて誰も思っていません。でも社会経済も回さなければいけない。両方正義なんです。最終決定するのは国民です。

国民が決定するためには、政府が情報公開をしなければいけません。都合の悪い部分を隠しているでしょう? 社会経済を回せば、死ぬ人が増えるということを国民に伝えていないじゃないか、と示しているのです。

・・・・・・・・・・・・

亡くなる人は必ず出ます。ただし、医療を提供しても亡くなったのか、医療を提供できなかったから亡くなったのか、では大きな差があります。医療ひっ迫が起きないようにしながら、社会を回そうとする。その絶妙なバランスを取ろうとしているのです。

弱者切り捨てはしない、という原則は掲げておかなければいけません。しかし、誰も死なない社会とは違うのです。バランスを探ることが必要です。それが私たちの生きている社会です。

ただ、この部分は敢えていう必要のない部分があるように思えます。「両方正義」とか「亡くなる人は必ず出ます」とか「誰も死なない社会とは違うのです」というのは、医療の専門家が言うことではないでしょう。死人がでないなどとは誰も思ってはいません。ウィズコロナはある程度の犠牲者を容認しながら経済を回す戦略ですが、その合意形成は政治家が国民向けにいうことであり、医療専門家がこれまでの対策の不備の総括なしに、「それが私たちの生きている社会」と宣うのは、むしろ開き直りに聞こえてしまいます。精神論に傾き過ぎた主張だと思います。

次の引用6 [2] は、聞き手の岩永氏が、感染拡大を抑制する手だてとして「元栓を締める」と訊いたことに対する阿南氏の応えです。

引用6

オミクロンで「元栓」って何でしょうか? 日本ではロックダウンできるんですか? もしできたとしても、別の意味で多くの人が死ぬかもしれません。

オミクロンで人類とウイルスとの関係は変わりました。ものすごい感染力になり、ちょっとやそっとでは止められません。そこを前提とした提言です。社会経済を止めたら感染拡大が止まると思っている医療者はほとんどいないと思います。

阿南氏は、ここで、ロックダウンをはじめとする行動規制を否定しています。そのために「別の意味で多くの人が死ぬかもしれません」というフレーズを引用しています。オミクロンの感染力の高さから感染拡大はとめられないとも言っています。

つまり、これはパンデミックであることを言い換えたにすぎません。コロナを一般の病気の一つとみなすべきという見解とは、明らかに矛盾します。パンデミックの病気を一般の病気として扱うならそれこそカオスです。経済活動推進の中、一般の病気に仕立て上げることで、対策として何もする必要がない、後は自己責任で対処せよということなのでしょう。

記事 [3] では、「現在は特別扱いされている新型コロナウイルスを、通常の医療や保健体制に落とし込んでいくために、5つのテーマでの取り扱いの変更を提案しています」と阿南提言が紹介されていますが、ここに、この提言・記事の勘違いが凝縮されています。

つまり、現在までの日本の感染症対策(防疫、医療提供、社会経済活動、市民生活)の不備や欠陥を総括し、改善することなしに、新型コロナを通常の医療や保健体制に落とし込んでいくことはできないはずなのに、そこをスキップして新しい目標へ話が飛んでいるのです。具体的に言えば、私が上記した、新型コロナ感染症対策の6つの問題点については、この阿南提言やBuzzFeed記事では全くと言っていい程言及されていません。これまでの総括がまるでないのです。そして、提言されている新しい目標も、感染制御の戦略は何もなく、自己責任でやりなさいということになっています。

これは歴代の自民党政権がやっているやり方と同じです。従来の問題点を洗い出し、検証・総括することは一切やらず、新しい目標を設定して、それまでの問題を帳消しにするやり方です(「二度としません、これからはこのようにします」という対処の仕方です)。過去の歴史を振り返ることができない者は、未来の道標を立てることもできないでしょう。

おわりにーウィズコロナと商業主義

ウィズコロナで経済推進を行なっている先進諸国では、いずれもCOVID-19の死亡者は増えているか、下げ止まりのままです。ウィズコロナにはゼロコロナのような感染制御の戦略はなく、COVID-19が収まることを想定していませんし(いかに被害を最小化するかという目標)、犠牲者が出ることも容認しています。そして、為政者自身は、国民向けに、COVID-19をまるでエンデミックのように扱っているのが現状です。一方、専門当局は、COVID-19は依然として脅威であるという認識に基づいて、実際の医薬的、非医薬的対策は日本と比較にならない程入念に練っています。

ところが、これに表面的に習っているのが、上記の専門家有志の提言とも言えます。つまり、各国の担当部局による対策の詳細や目標を吟味することなく、新型コロナは季節性インフルエンザ並みという勘違いのまま対策としては何もせず(むしろ何もできないまま)、国民の努力に任せるというものです。無味乾燥感満載の提言です。

話は飛躍しますが、私はこれを見ていてずうっと腑に落ちない思いを抱いています。妄想に近いものですが、各国は国民世論や経済界の社会経済活動を進めたいという希望(欲望に近い)をいいことに、被害の最小化の対策はとるけれども、ワザとパンデミックをそのままにしているのではないかという疑念が出てくるのです。なぜなら、新型コロナパンデミックは、製薬メーカーおよび利権で共有する専門家、政治家にとっては千載一隅であり、新しいワクチンや治療薬で大儲けできるからであり、被害の最小化のために、為政者は最大限これらを利用するからです。

いま大規模に用いられているmRNAワクチンや組換えタンパクワクチンは全く新しいものです。治療薬として使用されている抗ウイルス剤も新しい薬で金になります。

一方で、COVID-19の予防に有効と言われた既存薬イベルメクチンは、ワクチン推進の担当当局や専門家によって徹底的にデマ扱いをされ、異常なまでの貶される状態になっています。まるで儲からない特効薬が出てきたら困るような..?

抵抗ウイルス薬の専門家でであるアンドリュー・ヒル(Andrew Hill、リバプール大学主席リサーチフェロー)らによるイベルメクチンのメタアナリシスの結果は、当初圧倒的な有効性を示しました。にもかかわらず、同著者らによるその総説論文はなぜか不可解な結論に導かれており、後に論文撤回されています [7]。アンドリュー・ヒルとテス・ロリー(Tess Lawrie、WHOコンサルタント)の個人的なZoomによるやり取りは、イベルメクチンに対して政治的な圧力があったことを匂わせるのに十分です [8]

従前からあるPCR検査は安価で提供できるためにさほど儲けにはなりませんが、RATキットは全く新規の検査資源になります。PCR検査をあれほど貶していた専門家や医者が、精度で劣るRATについては口を噤み、民間検査を野良検査とまで揶揄していた人たちが、RATによる自主検査については一言も文句を言いません。不思議です。

引用文献・記事

[1] NHK政治マガジン: 全国知事会議 コロナ 感染症法上2類相当から5類見直しの意見. 2022.07.28. https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/86903.html

[2] 岩永直子: 「社会経済回して感染者・死者ゼロはファンタジー」どんな社会を選ぶのか、情報を透明にしてオープンな議論を. BuzzFeed 2022.08.06. https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-anan-paper-1?bfsource=relatedmanual

[3] 岩永直子:「政府は隠さないで」 新型コロナを普通の病気にするために専門家が提案すること. BuzzFeed 2022.08.06. https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-anan-paper-2?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharetwitter

[4] 松山幸宏: 広域医療圏で病床・人材確保 コロナ「第6波」に備える. 2022.01.12. キャノングローバル戦略研究所. https://cigs.canon/article/20220112_6478.html

[5] Liu, Y. and Rocklöv, J.: The effective reproductive number of the Omicron variant of SARS-CoV-2 is several times relative to Delta. J Travel Med. 2022 29, taac037 (2022). https://doi.org/10.1093/jtm/taac037

[6] Leung, G. M.: Omicron is the most contagious in a 100-Year pandemic. February 1, 2022 (in Chinese). http://www.mingshengbao.com/van/article.php?aid=803103

[7] Hill, A. et al.: Retracted: Meta-analysis of Randomized Trials of Ivermectin to Treat SARS-CoV-2 Infection. Open Forum Infect. Dis. 8, ofab358, https://doi.org/10.1093/ofid/ofab358

[8] ym_damselflyのチャンネル: 日本語字幕】元WHOコンサルタントがイベルメクチンの削除の謎を暴露 FORMER W.H.O. CONSULTANT EXPOSES TAKEDOWN OF IVERMECTIN. 2022.03.27. https://rumble.com/vyozf8-former-w.h.o.-consultant-exposes-takedown-of-ivermectin.html 

引用した拙著ブログ記事

2022年8月3日 ゾンビのように復活した「37℃, 4日以上」のなぜ?

2022年7月31日 「コロナが5類引き下げになったら」で想像できること

2020年9月25日 コロナ禍の社会政策としてPCR検査

                     

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2022年)