Dr. Tairaのブログ

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シミュレーションによる感染予測はなぜ外れるか

はじめに

シミュレーションとは、科学や工学の分野で言う場合は、ある事象を説明するのに、その場面を再現したモデルを用いて分析することです。モデル式およびさまざまなパラメータ(変数)の条件設定に基づいてコンピューターで計算し、実測データと照らし合わせることによって、そのモデルの正否を評価します。

実測が難しい未来の事象の予測については、シミュレーションがよく使われます。新型コロナウイルス感染症COVID-19)の流行予測にもしばしば使われています。シミュレーションによる感染予測はよく当たらないと言いますが、いままさにそんな感じです。

なぜ、当たらないかと言えば、人と人との接触によって伝搬する病原体の感染症の流行については、人の属性や行動生態による伝播の異質性 [1](→感染症と集団免疫)があり、対策の有無などにも強く依存するため、簡単な流行モデルでは説明が難しいからです。また、しばしば「こうなってほしい」あるいは「こうなってほしくない」という恣意的な操作が加わる場合があり、平行して大小さまざまな対策が進行していると、ますます複雑になり、予測は外れていきます。

理論疫学の専門家である西浦博教授(京都大学大学院医学研究科)は、BuzzFeed岩永直子氏のインタビューにおいて「あまり予測通りになってほしいとは思っていないのです」、「僕はSNSでも「西浦外れたな」とよく言われるのですが、外れてなんぼのおじさんです」と答えています [2]。これは「こうなってほしくないということでシミュレーションを出して問題提起されていますからね」という、岩永氏の誘導質問に対しての言葉です。

しかし、このやりとりは、冗談にしろ(?)、いささかいい訳じみていますし、少なくとも理論疫学の専門家が言うべきことではないと思います。「こうなってほしくない」というシミュレーションならば、「こうなるべき」といういくつかのオプションも同時に示すべきでしょう。

1. 筆者および大会組織委員会(三菱総研)の予測

約一ヶ月前になりますが、6月13日のブログ記事で、私はこの夏がデルタ(L452R)変異ウイルスの感染拡大とともにある感染五輪になることを予測しました(→感染五輪の様相を呈してきた)。ちょっと考えれば、誰だってそのような予測に至ると思います。その記事で、五輪大会組織員会が三菱総研に依頼した公表した感染予測シミュレーションの報道 [3] を引用しながら、私の感染予測も紹介しました。あらためてそれを並べながら図示して掲げます(図1)。

私の予測(茶色のライン)では、新規陽性者が1,000人に達する時期が7月15日頃であり、現時点(7月17日)までの、実際の東京の新規陽性者の報告数(水色のヒストグラム)ときわめて近似していることがわかると思います。一方で、三菱総研のシミュレーション結果(青色のライン)は、まったく現実とは異なる外れたものになっています。

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図1. 東京都における2021年6月20日を起点とする新規陽性者数の推移の予測(青色および茶色のライン)と実際の推移(水色のヒストグラム、1週間の平均値):6月11日報道の三菱総研のシミュレーション(青色のライン)および6月13日に筆者が予測したパターン(茶色のライン)(東京新聞の報道 [3]および前のブログ記事(→感染五輪の様相を呈してきた)に基づいてリトレース).

ここで、私がなぜそのような予測をしたかを簡単に説明します。実は6月13日にブログをアップした直後に、なぜそのような予測になるのか、根拠を示せというツイッターのDMがいくつか届きました。そこで、その時に説明した内容を中心にあらためて示したいと思います。

私は、理論疫学の専門家でもシミュレーションの専門家でもない素人(専門は主に微生物学)ですが、今までの感染状況を注意深く見ていれば、素人でも判断できる範囲内の要素に基づいて予測することができると思います。

アルファ(N501Y)変異ウイルスの感染拡大が顕著だったのが、3月下旬から始まった第4波の感染流行です。この感染流行を参考にして、東京都において緊急事態宣言が解除された3月21日から、再発出された4月25日までの約1ヶ月間を、この予測のモデルとしました。この期間の新規陽性者数の1週間移動平均の増加率を計算すると、平均で121%になります。

そして従来株に対するアルファ変異体とデルタ変異体の感染力の強さはそれぞれ1.3倍および1.8倍です(→感染五輪の様相を呈してきた)。そうすると、この時期の東京の状況の条件下でのデルタ株の感染流行の1週間の増加率を想定すると、21×1.8/1.3 = 29%(アルファに比べて1.38倍の感染力)と計算できます。そこで、1週間の増加率を切りよく30%としました。

あと、6月13日時点における東京の新規感染者数の1週間の移動平均は約380人であり、底を打っている状態でした。そこで、前回の緊急事態宣言解除後と同様に、6月20日にそれが解除されると同時にリバウンドすると考え、6月20日の380人を起点に、1週間ごとに130%ずつ増加していくと想定しました。単純にこれだけです。

つまりこの予測は、緊急事態宣言解除時の都民の生態(自粛行動、自粛疲れ、人出と人流、緊急事態宣言に対する都民のマインド(慣れ)など)および変異体の広がりの状況を、最も時期的に近い春の流行状況に近似して想定しただけです。緊急事態宣言慣れと五輪大会突入ムードから、もはや宣言が発令されたとしても自粛による影響はそれほど見込めず、五輪大会開催中もそのまま新規感染者が伸びていくだろうという予測も入っています。

東京での第4波の感染流行をモデルとしてデルタ変異体による第5波に置き換え、起点のバックグランドを変えただけのきわめて簡単な素人の予測ですが(しかしながら現実的)、結果として現実の感染状況にきわめて類似したものになったわけです。

一方で、同時期の大会組織委員会と三菱総研のシミュレーションはどうでしょうか。どういう条件とモデル設定にしたらこのようになるのか?と思えるほど、考えられないようなラインになっています。オリンピック前に感染者が出ないような恣意的な条件設定にしたのではないかと思えるほど、現実離れした予測結果になっています。

大会組織委員会橋本聖子会長は記者会見で「数字は参考になる。この上で何ができるということを再度考える」と話していましたが [3]、この記者会見ためのシミュレーションというほかありません。

2. 国の専門家によるシミュレーション

6月中旬には、感染症学や疫学の専門家グループも感染者数と重症者数のシミュレーションを発表していますので、それを図2に示します。このシミュレーションは、京都大学の古瀬祐気特定准教授と東北大学、それに国立感染症研究所のグループが、6月16日に開かれた厚生労働省の専門家会合で示しました [4]

このシミュレーションはさまざまな条件設定を行なって予測されたものですが、ここでは、新規感染者数について、アルファ株と比べ、デルタ株の感染力1.2倍で、これから8週間かけて8割置き換わる(影響・小)という場合と、アルファ株と比べ、感染力1.5倍で、これから4週間かけて8割置き換わる(影響・大)という場合について、それぞれ緊急事態宣言が有り無しの場合の4つのパターンについて紹介します。

そうすると、デルタ変異体の影響が小さい場合(宣言解除後人流が10→15%増加)および大きい場合(宣言解除後人流が10→15%増加)の、新規陽性者数が1,000人に達する時期は、それぞれ7月23日頃(図2左)、7月5日頃(図2右)になると予測されました。そして緊急事態宣言が発出されると、そこから新規感染者数が減少していくと予測されています(図2下)。

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図2. 専門家による東京都における新規陽性者数の推移のシミュレーション(資料 [4] からの転載).

このシミュレーションは現在の感染流行をかなり近似していると思われます。デルタ変異体の感染力をアルファ株の1.38倍とした私の予測はちょうど、図2右と左の間になるようなラインを描いています。

しかし、当該専門家による考察には以下のことが述べられており、都民の自粛疲れ、宣言慣れによる行動予測を見誤っているように思われます。

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• デルタ株の影響が非常に大きい場合は、7月前半〜中旬にも緊急宣言の再発令が必要となる可能性がある(最も悲観的なシナリオ)。ただし、実際には感染報告者数がシミュレーションのように急増した場合には、宣言が発令される前の段階でも市民が自粛モードとなり、新規感染者数の鈍化が起こると考えられる。

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3. メディアはどのように伝えたか

東京新聞は三菱総研のシミュレーションを報道し [3]NHKはこの国の専門家グループのシミュレーション結果をすぐに報道しました [5]。しかし、NHKが取り上げた絵は、図3のようにデルタ株の影響が少ない(宣言解除後人流が10%増加)とするパターンです。この場合だと、新規陽性者数が1,000人に達するのは、五輪で人流が5%増しになったとしても8月1日頃になります。つまり実際とはかなり外れたシミュレーションになります。

f:id:rplroseus:20210718210050j:plain 図2. NHKが伝えた専門家による東京都における新規陽性者数の推移のシミュレーション [5].

三菱総研のシミュレーションといい、NHKが伝えた国の専門家によるシミュレーション結果といい、東京五輪への影響を少しでも軽く見ようという、何か恣意的な思惑を感じるのですが。

おわりに

上記したように、第4波の感染流行をモデルに、デルタ変異体の感染力を考慮した簡単な予測だけで、(たまたまそうなったかもしれませんが)今回の流行を近似できることがわかりました。実際はデルタ変異体の拡大に伴って、これよりも新規陽性者数は急増していくでしょう。

このように考えると、感染を予測するためのシミュレーションがよく外れるというのは、一つはそれまでの流行パターンや住民の意識や行動生態を考慮せずに、単純にシミュレーション計算のためだけに条件設定するということがあるのではないか、ということを感じました。

そして、三菱総研のシミュレーションにあるように、当事者にとって都合のよい条件設定をすれば、完全に外れてしまうということがありますし、メディアがどのように報道するかで、シミュレーション結果が誤ったメッセージとして伝わる危険性も感じました。

今回の東京五輪は外側では感染流行、バブルの中でも陽性者続出で完全に失敗に終わるでしょう。まさに、カオス状態の、ウイルス交換国際大会になるはずです。酷暑のこの時期に大会を行うという上に、パンデミックというとんでもない状況下で強行しようとしているわけですから、むしろ当然です。もともと、この時期が温暖でスポーツに最適とウソをついて招致したことと、そのようなウソを是とする希薄な倫理観の大会組織委員会の姿勢や危機に対する楽観主義が招いた結果だと思います。

引用文献・記事

[1] 西浦博: 感染症の家庭内伝播の確率モデル: 人工的な実験環境. 統計数理 57, 139–158 (2009). https://www.ism.ac.jp/editsec/toukei/pdf/57-1-139.pdf

[2] 岩永直子: 緊急事態宣言「効果はあったが減らし切れなかった」 もったいない政策を繰り返していいのか? BuzzFeed News 2021.04.10. https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-nishiura-20210409-2

[3] 原田遼: 五輪開催で感染者が急増、東京1日1000人に…政府が試算 パラリンピック開幕を直撃. 東京新聞 2021.06.11. https://www.tokyo-np.co.jp/article/110157

[4] 厚生労働省: 第39回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(令和3年6月16日)資料3-2 鈴木先生提出資料. https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000793713.pdf

[5] NHK特設サイト「新型コロナウイルス」: 宣言解除後 人出増えれば 五輪期間中に感染者増の可能性も. 2021.06.16. https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/emergency_third/detail/detail_92.html

引用した拙著ブログ記事

2021年6月13日 感染五輪の様相を呈してきた

2018年5月26日 感染症と集団免疫

                

カテゴリー:感染症とCOVID-19