イベルメクチンを巡るCOVID-19医薬品研究の課題
はじめに
今月はじめ、ネイチャー誌に、"Flawed ivermectin preprint highlights challenges of COVID drug studies"「欠陥のあるイベルメクチンのプレプリントは、COVID医薬品研究の課題を浮き彫りにする」というNews [1] が掲載されました。このNews記事は、イベルメクチンの効果を報じた有力論文の一つの撤回とその背景を伝えています。
イベルメクチン(ivermectin)は、安価で有望なCOVID-19の治療薬(抗ウイルス剤)として期待の声がある一方で、開発元の製薬メーカーや先進諸国の多くは効果を否定したり、あるいは治療薬として無視する姿勢を示しています。
このようななかで、今度はイベルメクチンの効果を報じた有力論文の撤回となったわけで、本薬の支持派にとっては少なからず衝撃を与えています。そこで、本ブログではこのネイチャー記事の全訳を掲載して、イベルメクチンを巡る動向を考えたいと思います。
以下筆者によるネイチャー記事 [1] の全訳です。
Flawed ivermectin preprint highlights challenges of COVID drug studies
パンデミックの期間中、抗寄生虫薬イベルメクチンは、COVID-19の治療薬として、特にラテンアメリカで注目を集めていた。しかし、この薬がCOVID-19による死亡を大幅に減少させると報告したプレプリント論文 [2] のデータに広範囲にわたる不備があったことが最近分かり、イベルメクチンの将来性に陰りが見えてきたと科学者たちは話す。また、パンデミック時の薬効調査の難しさも浮き彫りになった形だ。
この研究には参加していない、コロンビアのカリにある小児感染症研究センターの小児科医、Eduardo López-Medina氏は、イベルメクチンによるCOVID-19の症状の改善の有無について調査し、以下のように述べた。「おそらく科学界の誰もがそうであるように、私もショックを受けた」。そして、「この論文は、臨床試験においてイベルメクチンが有効であるという考えにわれわれを導いた、最初の論文の1つである」と付け加えた。
このプレプリント [2] は、イベルメクチンがCOVID-19の死亡率を90%以上減少させたと解釈できる臨床試験の結果をまとめたものであり、COVID-19に対する薬剤の効果を検証した研究としては、これまでで最大規模のものであった。しかし、盗用やデータ操作の疑いがネット上で指摘されたため、7月14日、プレプリントサーバー、リサーチ・スクエア(Research Square)は、「倫理的な問題」を理由にこの論文を取り下げた。
この論文の著者の一人であるエジプト・ベンハ大学のアフメド・エルガザール(Ahmed Elgazzar)氏は、ネイチャー誌に対し、論文が削除される前に自分の研究について弁護する機会が与えられなかったと語っている。
パンデミックの初期に、科学者たちは実験室での研究で、イベルメクチンが細胞内のコロナウイルスSARS-CoV-2を抑制できることを示した [3]。しかし、人のCOVID-19に対するイベルメクチンの有効性に関するデータはまだ少なく、研究の結論は大きく対立しており、今回の大規模な試験の取り下げは特に注目されている。
世界保健機関(WHO)は、COVID-19の治療薬としてイベルメクチンを臨床試験以外で服用することを推奨しているが、世界の一部の地域では市販薬として普及している。まだ効果が証明されていないにもかかわらず、「ワクチンができるまでの間の応急処置」という見方をする人たちもいる。一方、科学者たちは、効果の高いワクチンの代わりにイベルメクチンが使われることに懸念を示している。
◆波及効果
この論文の不正が明らかになったのは、ロンドン大学大学院の修士課程学生であるジャック・ローレンスが、授業の課題として論文を読んでいた際に、他の出版物に掲載されているフレーズと同じものがあることに気づいたことがきっかけだった。科学出版物の不正チェックを専門とする研究者に連絡を取ったところ、重複していると思われる数十人の患者の記録、生データと論文の情報との間の矛盾、研究開始日以前に死亡したと記録されている患者、偶然に発生したとは思えないほど一致した数字など、他にも懸念すべき重要箇所が見つかった。
リサーチ・スクエア社は、社説で、ローレンス氏らが提起した懸念事項について正式な調査を開始したとしている。エジプトの新聞"Al-Shorouk"によると、エジプトの高等教育・科学研究大臣もこの疑惑を調査しているとのことだ。
エルガザール氏は、ネイチャー誌への電子メールで、「私に知らせず、尋ねることもなく、リサーチ・スクエアのプラットフォームから論文が撤回された」と書いている。同氏は論文を正当として擁護し、盗用疑惑については、研究者がお互いの論文を読む際に「しばしばフレーズや文章がよく使われ、参照される」と述べている。
過去1年間に何十ものイベルメクチンの臨床試験が開始されてきたが [4]、エルガザール論文は、最初のポジティブな結果の1つを報告しただけでなく、COVID-19の症状を持つ400人を対象にしたという規模の大きさと、薬の効果の大きさで注目された。死亡率をこれほどまでに減少させることができる治療法はほとんどない。英国リバプール大学で再利用医薬品を研究しているアンドリュー・ヒル(Andrew Hill)氏は、「有意な差があり、それが際立っていた」、「当時から注意を促すべきだった」と話す。
ローレンス氏も同じ意見でであり「誰も気づいていなかったことにショックを受けた」と述べた。
撤回されるまで、このプレプリントは15万回以上閲覧され、30回以上引用され、試験結果を統計的に重み付けして1つの結果にまとめる「メタアナリシス」にも、数多く含まれていた。イベルメクチンがCOVID-19による死亡を大幅に減少させたとするAmerican Journal of Therapeutics誌に掲載された最近のメタアナリシスでは、エルガザール論文が、効果の15.5%を占めている [5]。
メタアナリシスの著者の一人である英国・ニューカッスル大学の統計学者アンドリュー・ブライアント(Andrew Bryant)氏によると、同氏のチームは論文を発表する前にエルガザール氏と連絡を取り、いくつかのデータを明らかにしたという。
「エルガザール教授の誠実さを疑う理由はなかった」とブライアント氏は電子メールで述べている。また、ブライアント氏は、パンデミックの状況下では、論文を書く際に患者記録の生データをすべて再分析することはできないと付け加えた。さらに彼は、調査をして研究の信頼性が低いと判断された場合は、結論を修正すると述べている。とはいえ、この研究部分が削除されたとしても、メタアナリシスでは、イベルメクチンがCOVID-19による死亡を大幅に減少させることが示されるだろう、と彼は言う。
◆信頼できるデータが必要
この論文の撤回は、イベルメクチンとCOVID-19の失敗研究における最初のスキャンダルではない。ヒル氏は、彼が探索した他のイベルメクチンの試験研究論文の多くは、欠陥があったり、統計的に偏っていたりする可能性が高いと考えている。多くの論文は、サンプル数が少なく、無作為化されておらず、十分に研究管理されていないという。また、2020年には、COVID-19に対する様々な再利用薬を調査したSurgisphere社のデータを用いた観察研究が、科学者からの懸念の声を受けて撤回されている。「信頼できない情報を公開するパターンが見受けられる」とヒル氏は語る。「COVIDと治療に関する研究は、データベースの歪曲なしでは実際難しい」。
スペインのバルセロナ国際保健研究所の研究者であるカルロス・チャッコウル(Carlos Chaccour)氏は、イベルメクチンに関する厳密な研究を行うことは困難であると言う。その理由の一つは、裕福な国の資金提供者や学術関係者が研究を支援してこなかったこと、また、イベルメクチンの臨床試験のほとんどが低所得国で行われていることから、それらを相手にしてこなかったことがあると彼は考えている。さらに、アルゼンチンのコリエンテス心臓病研究所の心臓病医であるロドリゴ・ゾニ(Rodrigo Zoni)氏は、特にラテンアメリカでは、多くの人がCOVID-19を予防するために、すでに広く出回っている薬を服用しているため、参加者を募るのが難しいと言う。
これに加えて、イベルメクチンの効果は証明されているものの、製薬会社は安価な治療法を国民には与えるつもりはないという陰謀論もあり、困難をきわめている。チャッコウル氏によると、この薬を支持するだけでなく、研究していることで「ジェノサイド(大量虐殺)」と呼ばれたこともあるという。
イベルメクチンの評価はまだ定まっていないが、今回の論文撤回は、パンデミック時に研究を評価することの難しさを物語っていると多くの人が語っている。エルガザール論文の分析に協力したオーストラリア・ウーロンゴン大学の疫学者ギデオン・メイヤロウィッツ−カッツ(Gideon Meyerowitz-Katz)氏は、「個人的には、これまでに発表された臨床試験の結果を全く信用できなくなった」と述べている。同氏は、イベルメクチンがCOVID-19に対して効果があるかどうかを評価することは、現在入手可能なデータが十分に質の高いものではないため、まだできないとしており、加えて、空いた時間に他のイベルメクチンの論文を読んで、不正やその他の問題の兆候を探していると述べた。
イベルメクチンを研究しているチャッコウル氏らによると、COVID-19に対してイベルメクチンが有効であるかどうかを証明するには、3,500人以上が参加しているブラジルでの試験を含む、進行中の大規模な試験が必要だと話す。2021年末までには、約3万3,000人が何らかのイベルメクチンの臨床試験に参加しているだろうと、ゾニは言う。
チャッコウル氏は、「潜在的なベネフィットをすべて出し切ることが私たちの義務だと思う」と語り、特に、ほとんどの国ではいまだにワクチンへのアクセスが普及していないことを考慮している。「最終的に試験を行って失敗したとしても、それはそれでいいのだ、少なくとも私たちは試みたのだから」。
筆者あとがき
このネイチャー記事を読んで、あらためてイベルメクチンを巡るCOVID-19治療薬の開発の難しさを感じました。製薬メーカーの思惑、研究資金や利権を通じた製薬企業と国、科学者との関係、富める国と低所得の国との立場の違い、そこから生まれる臨床研究に関する論文の質や不正の問題などが複雑に絡んでいる気がします。
イベルメクチンはとうに特許が切れ、ジェネリック製品がインド、中国などで大量に製造されている程度です。最初に開発したメルク社と日本MSD社は、COVID-19の治療薬としてのイベルメクチンの再利用には興味がなく、新薬開発に取り組んでいることを発表しています。
ネイチャーの記事は陰謀論と言っていますが、この方針の裏には、COVID-19の治療薬としてのイベルメクチンには商業的価値がなく、新薬を手がけた方がはるかに儲かるという側面もあるのではないか、というのがもっぱらの見方になっています [6]。
WHOも米国もその他の先進諸国もイベルメクチンに積極的でないのは、こうした事情と無関係ではないでしょう。イベルメクチンは「効果なし」と思いたい人たちがたくさんいて、そこに低所得の国の研究者から出た「効果あり」の論文の撤回は、まさしく都合のよい展開ではないでしょうか。
抗寄生虫薬としては世界的に承認されており、抗ウイルス剤としての科学的知見もあるイベルメクチンですが、COVID-19の治療薬としての効果と安全性については、信頼性の低い論文が多いこともあって、まだ確定しないと言ってもいいでしょう。一方でCOVID-19治療薬としてのイベルメクチンについては、科学的根拠がないという批判も多く見られますが、それこそ根拠に基づく批判ではないように思います。
抗ウイルス剤としてのイベルメクチンの主な作用機序は、ウイルスタンパクのインポーティン依存性核内輸送の阻害と言われていますが、これは宿主細胞のタンパク質輸送と共有しています。したがって、宿主(ヒト)のタンパク輸送や機能に悪影響を与えず、ウイルスの減衰を達成できるレベルを臨床試験で確かにするというのが緊急課題というところでしょう。
現在、国内のイベルメクチン臨床試験は、北里大学が興和と組みながらで取り組んでいるだけです [7]。創薬を巡る商業的・政治的思惑、資金、被験者の確保など数々の難題があるなかで、どのように進むのか注視したいと思います。
引用文献・記事
[1] Reardon, S.: Flawed ivermectin preprint highlights challenges of COVID drug studies. Nature 596, 173-174 (2021). https://doi.org/10.1038/d41586-021-02081-w
[2] Elgazzar, A. et al.: Efficacy and safety of ivermectin for treatment and prophylaxis of COVID-19 pandemic. Res. Square https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-100956/v3
[3] Caly, L. et al.: The FDA-approved drug ivermectin inhibits the replication of SARS-CoV-2 in vitro. Antiviral Res. 178, 104787 (2020). https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7129059/
[4] Popp, M. et al. Ivermectin for preventing and treating COVID‐19. Cochrane Data. System. Rev. Published July 28, 2021. https://doi.org/10.1002/14651858.CD015017.pub2 (2021).
[5] Bryant, A. et al.: Ivermectin for prevention and treatment of COVID-19 infection: A systematic review, meta-analysis, and trial sequential analysis to inform clinical guidelines. Am. J. Ther. 28, e434–e460 (2021). https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8248252/
[6] 馬場錬成: イベルメクチンはコロナ治療に有効か無効か 世界的論争の決着に日本は率先して取り組め. 読売新聞オンライン 2021.04.28. https://www.yomiuri.co.jp/choken/kijironko/cknews/20210427-OYT8T50019/
[7] 化学工業日報: イベルメクチン 興和、コロナ治験実施へ. 2021.07.21.
カテゴリー:感染症とCOVID-19