Dr. Tairaのブログ

生命と環境、微生物、科学と教育、生活科学、時事ネタなどに関する記事紹介

乳酸疲労説とインターバル速歩


激しい運動をすると筋肉内に乳酸が溜まり疲労する」といういわゆる「乳酸疲労」があります。これは、1929年、A. ヒル(A. Hill)博士らによって提唱されました。ちなみに彼は、1922年「筋肉中の熱発生と乳酸生成」でノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

昨日のNHK「クロ現」では、従来の常識であったこの乳酸疲労説を否定し、逆に乳酸がエネルギー源となり、持続性の向上に役立つと放送していました(図1)。この内容の一部は、2004年に発表されたサイエンス誌の論文 [1] が基になっています。

イメージ 1
図1. NHK「クロ現」の一画面と乳酸疲労説を変えるきっかけとなったサイエンス誌の論文

乳酸疲労説を理解するためには、エネルギー源としてのグルコースの分解様式を知る必要があります。私たちは体内でグルコースを分解することにより化学エネルギーの実体であるATPをつくり、運動や体の維持に常時利用しています。少し長くなりますが、乳酸疲労説と関連してグルコースの分解過程を以下に説明します。

激しい運動を行うためには、そのエネルギーをまかなうための大量のATPが必要になります。ATPをつくるためにはグルコースの分解を活発にしなければなりません。

グルコースの分解は、まず解糖系と呼ばれる複数の反応が関わる代謝系で起こります。グルコースはこの解糖系を経てピルビン酸に変換されます。ピルビン酸はさらにミトコンドリアに運ばれ、TCA回路という代謝系で酸素呼吸により完全に分解されます。

図2に真核生物と原核生物の細胞とグルコースの分解系を示します。私たちの細胞では解糖系は細胞質の中にありますが、ピルビン酸分解以降のTCA回路を含む代謝系はミトコンドリアに存在します図2左。一方、原核生物では解糖系もTCA回路も細胞質に存在します(図2右)。

イメージ 2
図2. 真核生物および原核生物の細胞とグルコースの分解系

ここで重要なのが、解糖系は酸素を必要としない分解系であるということです。一方、ミトコンドリアでの反応(ピルビン酸→アセチルCoA→TCA回路)は酸素を要求します図3)。図には直接示していませんが、この過程で生じたNADH(還元力)がミトコンドリアにおいて酸素と反応し(すなわち酸素呼吸によって)、大量のATPがつくられます。解糖系でも一部ATPを生成します。

具体的にいうと、ミトコンドリアにおけるNADH→O2という電位差 (|–0.32 V – 0.82 V|=1.14V)を利用した電子伝達によってATPが生産されます。

イメージ 5
図3. 解糖系、アセチルCoA生成系、TCA回路を経たグルコースの完全分解(この分解の生じたNADHは酸素で酸化される)

通常のグルコースの分解系では、図3の太い矢印の方向に進み、乳酸を生じることはほとんどありません。ところが私たちが激しい運動を行うと酸素の供給が追いつかず、ミトコンドリアの反応に進めなくなって、解糖系で生じたピルビン酸がダブついてきます。そして代わりにピルビン酸を乳酸に変えることによって、還元力(NADH)を処理します(図3上部の右側の方向)。

乳酸疲労説では、激しい運動に伴う酸素不足によって筋肉に乳酸が溜まるとプロトン(水素イオン)が大量にでき、それが筋肉の酸性化(アシドーシス)を引き起こし、これが筋肉の収縮を妨害する原因、つまり疲労の原因であるとされてきました。まとめると以下のようになります。

●激しい運動による酸素不足
      ↓
●筋肉内に乳酸が蓄積
  ↓
●筋肉内が酸性化
  ↓
疲労(筋収縮を阻害)


以上のように、この乳酸疲労説では、乳酸が運動に伴う老廃物のような位置づけにされています。このことから、乳酸蓄積=悪影響というイメージが定着しました。

乳酸疲労説は、グルコースの分解メカニズムを考えると一見妥当のように思えます。しかしながら、図3をよく見ると、酸素があれば溜まった乳酸は、逆にピルビン酸に酸化され、エネルギー源となり得ることがわかります。その後、分子レベルでの研究によって、実際の筋肉中の乳酸生成についてはまったく違う解釈がなされるようになりました。

乳酸疲労説を本格的に覆したのが、2004年のサイエンスに発表されたPedersenらの論文です [2]。彼らは筋肉の酸性化によって塩化物イオンの細胞透過性が落ちることを示し、それが逆に筋肉疲労を防ぐ働きがあることを示しました。同年にこのPedersonらの論文に基づいて、筋肉疲労説を否定する総説が同じくサイエンス雑誌に発表されました [1]。それが図1に示した論文です。

最近の研究では、激しい運動後はATPの分解によってリン酸が蓄積し、これが筋肉細胞から漏れ出したカルシウムイオンと結合することで、筋収縮にカルシウムが作用しにくくなる説や、カルシウムイオンがタンパク質分解酵素を活性化し筋肉にダメージを与えるなどの説も考えられているようです。

いずれにせよ、筋疲労の研究はまだ発展途上ですが、筋肉疲労説の常識は崩れ去ったと言えます。

図1に戻りますが、放送では乳酸がエネルギー源として運動能力を高めることが示されていました。要は、筋肉中の乳酸濃度を高めるような運動の仕方を取り入れ、それをエネルギー源として持久力をつけるというものです。

キーポイントは筋肉中の速筋繊維遅筋繊維です(図4)。速筋繊維は爆発的な運動で機能する筋肉で、解糖系でのグルコース分解のATPを使用し、乳酸を生成します。一方、遅筋繊維はミトコンドリアの酸素呼吸を使うタイプの筋肉で持久力に関わるものです。

つまり、遅筋繊維による運動で乳酸を生成し、生じた乳酸を遅筋繊維でエネルギーに変えて持久力を生み出そうというのが、乳酸エネルギー運動の戦略です。

イメージ 3
図4. 速筋繊維と遅筋繊維(2018.10.11 NHKクローズアップ現代」より)

図4のメカニズムを利用しながら、誰もが簡単に行える運動がインターバル速歩です。体力と運動能力の向上、持久力アップ、健康増進に有効な方法として今注目されている運動法です(図5)。

イメージ 4
図5. インターバル速歩の方法(2018.10.11 NHKクローズアップ現代」より)

インターバル速歩のポイントとしては、歩くときに「ややきつい」と「きつい」の中間ぐらいの速度をまず探ります。この速度が最も乳酸を出しながら歩行を持続できるということでした。2番目として、姿勢を正しくして大股歩きをするということです。3番目としては、1日15分以上速歩を行うということです。

これもNHKの別番組で放送していましたが、具体的なインターバル速歩の方法は、速歩を3分、通常の歩行を3分、交互に5回繰り返すということです。これを週4日以上行います。期待できる効果をまとめると以下のようになります。

●筋力がついて体力向上
生活習慣病の予防や改善
●見た目や自身の意識が変わる


参考文献

1. David Allen, D. and Westerblad, H.: Lactic acid--The latest performance-enhancing drug. Science 305, 1112-1113 (2004). http://science.sciencemag.org/content/305/5687/1112

2. Pedersen, T. H. et al.: Intracellular acidosis enhances the excitability of working muscle. Science 305, 1144-1147 (2004). http://science.sciencemag.org/content/305/5687/1144