Dr. Tairaのブログ

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コロナ禍で浮き彫りになった日本の科学の脆弱性と今後(その1)

はじめに

新型コロナウイルス感染症の流行下においては、感染症抑制の対策とともに、病気の治療法を確立することやワクチン開発などが喫緊の課題としてあります。このためにはウイルスや病気の特性に関する科学情報が必須になります。7月26日放送のTBSテレビの番組「サンデーモーニング」では、このコロナ禍における科学情報の重要性と日本の科学力の低下を話題として取り上げていました。

そこでこのブログ記事では、先進諸国と比べた日本の科学力をこの期に考えてみたいと思います。私の研究生活は大学に在職していた正味20年間ですが、それ以前の民間会社での経験をも踏まえて科学や研究の意義について常々考えてきました。そして日本に根深く存在する、国民性とも関係すると言いましょうか、探究心の広がりのなさや大学と民間企業と官僚組織の間にある相互理解のギャップも感じています。これらの科学文化の土壌が日本の科学力の程度にも影響しているとも考えています。

これはすでに論文、メディア、SNS上でも言い尽くされていることですが、この20年でいつの間にか日本は科学研究と科学者の力は低下してきたという印象をもっていました。そしてコロナ禍において、それはさまざまな面で露呈したということを感じます。

1. 基礎研究の意義

番組では2016年のノーベル生理学・医学賞大隅良典氏(東京工業大学栄誉教授)が登場していて、「基礎研究は科学そのもの」と述べていました。確かにそのとおりで、自然に起きている現象を解き明かし、その知見を蓄積し、私たちの知的概念として成立させていくという基礎研究のプロセスが、科学の骨格をなすと言えます。一般的には、もう少し広い範囲で(技術も加えて)科学の意味が捉えられていると思います。

そして、あらゆる偉大な発明や技術革新も、基礎研究の知見の上で成り立っていると考えても過言ではありません。つまり、目的を考えない(何の役に立つかわからない)、知的好奇心や探究心に基づく基礎研究であったとしても、何らかの技術開発や応用研究のベースになっているし、時には大化けすることもあるということです。

上記番組では、例として動物学の基礎研究の知見がもたらした、ハンセン氏病研究への応用を紹介していました。ここで登場した動物は南米に生息するアルマジロです(図1)。ハンセン氏病の原因菌であるらい菌 Mycobacterium leprae は至適生育温度が31℃であるため、ヒトの皮膚上に感染して侵します。しかし、培地上での培養ができないために長らく研究が進展していませんでした。ところが、低体温(34–35℃)であるアルマジロの体内で生育できるということがわかり、アルマジロを培養基として利用することで研究が進みました。

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図1. テレビの情報番組で紹介していたハンセン氏病研究の基礎となった動物学研究(2020.07.26 TBS 「サンデーモーニング」).

またコロナ禍で多くの人に知られることになったPCR検査ですが、これも基礎研究の恩恵なしでは語れません。PCR(polymerase chain reaction)はいわゆる「試験管内のDNA増幅技術」ですが、三つの大きな要素がベースとなって完成した技術です。

まず第一の要素は、生物学の先行研究によって明らかとなっていた細胞内のDNA複製のメカニズムの利用です。生物が細胞分裂を起こす際、これに先立って細胞内の二本鎖DNAが複製されます。この複製に触媒として関わるのがDNA合成酵素(DNA polymerase)です。複製においては、鋳型DNAにプライマーと呼ばれる6塩基以上の短いRNAが結合し、このRNAの3'末端のOH基を認識して、酵素がDNAを忠実に複製・合成していきます。

第二の要素は、温泉を含む熱水環境に生息する好熱性細菌の一種 Thermus aquaticusの発見(1969年)と分離・培養という微生物生態学の先行研究成果があり、この細菌が持つ耐熱性DNA合成酵素(属・種名を略した接頭語を付けてTaq DNA polymeraseと略称)を触媒として利用したことです。PCRでは、熱変性、アニーリング、伸長反応という3段階の温度変化の反応を繰り返しますが、このプロセスの商業的実用化は耐熱性酵素の利用なしでは成し得ませんでした。

第三の要素は、PCRを装置として自動化するためのペルチェ素子の利用です。ペルチェ素子は、直流電流により冷却・加熱・温度制御を自由に行える板上の半導体熱電素子であり、19世紀に発見されたペルチェ効果(金属を接合して直流電流を流すと、接合点で熱の吸収・放出が起こる)が基になっています。短時間に温調変化を伴う自動PCR装置の開発には、このペルチェ素子の利用が必須でした。

このように科学は革新的技術の基礎になっているわけですが、元の基礎研究の時点ではこれが何かの役に立つということは、多くの場合断言できません。かといって、科学や基礎研究を比喩するのに、「役に立たないことが基礎研究」あるいは「役に立たない科学が役に立つ」と開き直り気味に形容するのも、さすがに言い過ぎなように思います。基礎研究を行なうことのいい訳に使われているような印象があって、気持ちのいいものではありません。

「役に立たないのが基礎研究」風の表現は、もちろん世界中で見られますが、圧倒的に日本人の研究者が用いることが多いように思います。そのような表現をする必要もありません。欧米ではもっとポジティヴに基礎研究の有用性を主張することが多いようです。

真面目なことを言えば、科学の研究に税金あるいは他人のお金を原資として使う限りにおいては、少なくとも研究者は一般人に向かって「役に立たない」とは言ってはいけないのです。自分の基礎研究は価値がないと思う科学者または研究者は皆無でしょう。だとすれば、その価値を一般人に理解させる程度の情宣(科学コミュニケーション、サイエンス・コミュニケーション)の能力を研究者は備えるべきであり、かつ多かれ少なかれそれは実践されるべきでしょう。すなわち研究者は、自らの研究成果を一般人に対して可視化し、その意義を理解できるように努めることで「科学者としての道義的責任」を果たすことになります。

目的基礎研究は別にして、発明や技術革新に資するという意味で役に立つかどうかは簡単には言えないのが科学の基礎研究です。しかし、それを抜きにしても、あらゆる基礎研究が社会に貢献できると明言できることがあります。それは教育です。ほとんど誰も知らない、何に応用できるかわからない研究でも、それを手段として学生、生徒、さらには一般人にまで科学の意義を説くことはできますし、そのプロセスで、自分の研究の価値を知らせることもできるのです。

2. 論文数の減少にみる研究力低下

日本の科学技術力の低下が数字となって現れているものの一つが科学論文数の減少です。海外の先進諸国における論文数はこの10年間軒並み増加しており、とくに中国の台頭が顕著です。一方、現在、先進諸国の中では唯一日本だけは論文数は減少しています。日本の傾向を見ると1990年代前半迄は増加していたものの、後半には横ばいとなり、2013年以降は減少に転じてしまいました(ただ直近では微増しているようです)。

令和元年版「科学技術白書」[1] で主要国における論文数の推移を見てみると、国・地域別の論文数ランキングでは、日本の論文数はこの10年間(2006–2016年で少々古いですが)で2位から4位に下がっています(表1上)。論文の注目度や質の指標として扱われる被引用数においては、Top10%論文数は4位から9位に転落しています(表1下)。つまり論文生産の観点から見た全体の研究力の低下だけでなく、質の高い論文も次第に生み出せなくなっている傾向がうかがわれます。

表1. 過去10年間(2006–2016年)における国別論文数トップ10ランキング(文献[1]より転載)

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表1に示した各国の論文数を人口100万人当たりで表すと、日本の順位は8位とさらに下がります(図2)。Top10%論文数を人口100万人当たりで表すともはやトップ10の圏外になってしまいます。つまり、国民1人当たりが産み出す科学論文の数は、世界のトップ10に入るか入らないかという状況です。

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図2. 人口100万人当たりの科学論文数(表1上の論文数を人口で割ったもの).

2017年にはNature Indexにおいても、日本の科学研究が論文の国際シェアの減少などからみて失速傾向にあると指摘され、40歳以下の若手研究者の増加が必要と提言されています [2]

そして、このコロナ禍におけるCOVID-19関連の論文に目を投じると、ここでも日本の劣勢ぶりが見てとれます。文部科学省科学技術・学術政策研究所は、世界保健機構WHO が公開している文献・論文データやバイオアーカイブ(bioRxiv)やメドアーカイブ(medRxiv)のプレプリントサーバが共同で公開しているCOVID-19・SARS-CoV-2関連論文を調査し、その分析結果を発表しました [3, 4]

それによると、2020年4月時点でのデータですが、査読済み論文数では中国と米国の2国が抜きん出ており、表1と同様な傾向になっています(図3)。3位以下はイタリア、英国、フランス、ドイツ、インド、スペインと続き、やはりヨーロッパの先進諸国やCOVID-19の感染者が多い国が目立ちます。そして日本ですが、17位とかなり後ろであり、シンガポール、香港、韓国、台湾などの東アジアの国・地域の後じんを拝しています。

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図3. COVID-19・SARS-CoV-2に関連する論文の国別出版状況(文献[4]からの転載図).

バイオアーカイブやメドアーカイブなどの査読前論文において、日本の順位は若干上がるものの、中国、欧米の国々に水を開けられている傾向は同じです。

3. なせ論文数が少ないか?

SARS-CoV-2やCOVID-19の研究については、従来に例を見ない量と速さで論文が刻々と発表されています。もちろんこの背景には、パンデミックという危難に対応する研究の喫緊性という世界共通の認識があり、過去の感染症(とくにSARSやMERS)についての知見の蓄積もベースにあります。加えて、医療技術や分析技術の向上,データベースの充実、出版プロセス・データ共有空間の電子化、高速化、オープン化が相互に影響していると推察されます。ソーシャルメディアの発達(FacebookTwitterYouTube、および研究者専用のAcademia、ResearchGateなど)も少なからずこれに影響を与えているでしょう。

しかし、日本はこの流れに完全に乗り遅れているという印象です。いろいろ理由は考えられますが、やはり第一に日本の科学研究界全体の地盤沈下が影響していることは否めないでしょう。これについては国立大学の法人化の影響と合わせて、次回(その2)で述べたいと思います。

そして第二に、医学系研究分野の偏在化も影響しているかもしれません。最近の医療分野の研究開発予算配分 [5から見えることとしては、ICT活用医療技術、再生・細胞医療、遺伝子治療、ゲノム医療・創薬が注目され、疾患基礎研究としては難治性疾患、がん、免疫、脳・神経科学に焦点が当てられているようです。

疾患基礎研究として感染症も含まれてはいますが [5]、例としては肝炎やエイズなどが挙がっており、今回のようにパンデミックを起こすような感染症は具体的に想定されていないように思われます。臨床微生物、ウイルス感染症、公衆衛生、疫学などの研究分野は、近年どちらかと言えば隅に追いやられてきた印象があり、研究人口も専攻する学生も減っているのではないかと考えられます。そして今回のいざ流行というときに、世界と肩を並べてスタートダッシュできなかったということではないでしょうか。

そして第三として、より重要なのが、日本の科学文化の醸成度が低いのではないか?ということが挙げられます。この傾向の一つとして、大学院教育の欠陥が原因なのかもしれませんが、研究者や専門家自身が科学を根拠として物事を考える地盤がきわめて弱いということが、このコロナ禍で明らかになったということが言えます。つまり、専門家や研究者自身から発信された根拠のない数多くの言説や謬言が、テレビ媒体、ウェブ記事、SNSなどを通して飛び交っていることがその現れです。

これは世界と比べると、圧倒的に日本の医学界の研究者・専門家に多い現象です。たとえば、PCR検査の特異度を基にした「PCR検査を広げれば、事前確率が低いほど、偽陽性が出る確率が高くなる」という言説です。

検査は事前確率が低い程偽陽性が多くなる」というのは古典的医学ドグマですが、このドグマに拘泥してPCR検査そのものの信頼度を貶め、検査を拡大すべきでないと吹聴しているのが日本の感染症コミュニティと一部の医者集団(いわゆる医療クラ)です。

このような検査精度を盾にしたPCR検査抑制論は、世界では聞いたこともなく、論文も一切見つけることもできない日本固有の謬言です(世界の主張は「検査を繰り返せ」)。インフォデミックは世界的な現象ですが、日本の深刻性は、厚生労働省の医系技官、旧政府専門家会議や関連学会といった実際の対策の中心にある感染症研究コミュニティが発信源になっていることです。

そしてこれも科学文化に関連しますが、SARS-CoV-2と言う共通の敵に異分野の研究者が勇気をもって声を出すという、科学コミュニケーションの力も行動力も弱い気がします。さらに世界を見ると、医療関係者、感染症、ウイルスの専門家はもとより、生命科学、物理学、数学・統計学、経済学、社会学などさまざまな分野のたくさんの科学者や研究者が、新型コロナに関連する論文を発表したり、SNSを通じて見解を述べています。

たとえば、プレプリントサーバーには、普段は物性や高エネルギー物理を研究している物理学者による、数理モデリングや疫学の論文がたくさん見られます [6]。数学、財政学、経済学などの研究者が、新型コロナ関連のソーシャルネットワークに焦点を当てた論文を発表していることも注目されます。一方、日本では、異分野研究者による新型コロナ感染論文投稿はほとんど見られません。

おわりに

以上、新型コロナウイルスとCOVID-19関連の日本発の論文が少ないこと、およびその理由について若干の私見を述べました。次回(その2)では、科学と研究力の弱体化に及ぼした大学法人化と運営費削減の影響に触れながら、コロナ後の大学や科学界のあり方を考えたいと思います。

引用文献・記事

[1] 文部科学省: 令和元年版科学技術白書. https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201901/detail/1417228.htm

[2] Nature Index 2017 Japan. Nat. Index. 543, S1–S40 (2017). https://www.nature.com/collections/hmjqglbjjn

[3] 大学ジャーナルONLINE: 新型コロナ関係論文、国別発表数と感染者数に相関関係. 2020.05.18. https://univ-journal.jp/32326/

[4] 科学技術・学術政策研究所:COVID-19 / SARS-CoV-2 に関する研究の概況 [DISCUSSION PAPER No. 181]の公表について. 2020.05.15. https://www.nistep.go.jp/archives/44297(小柴 等,伊神 正貫,伊藤 裕子,林 和弘,重茂 浩美 「COVID-19 / SARS-CoV-2 に関する 研究の概況 ─ 2020 年4 月時点の論文出版等の国際的なデータからの考察」,NISTEP DISCUSSION PAPER,No.181,文部科学省科学技術・学術政策研究所. DOI: http://doi.org/10.15108/dp181

[5] 内閣府健康・医療戦略推進本部: 令和2年度 医療分野の研究開発関連予算のポイント. 2019.12.20. https://www8.cao.go.jp/iryou/council/20200109/pdf/sankou4.pdf

[6] Gibney, E.: The pandemic mixed up what scientists study – and some won’t go back. Nature 05 June 2020. https://www.nature.com/articles/d41586-020-01525-z 

                                    

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