Dr. Tairaのブログ

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SARS-CoV-2のPCR検査陽性はリアルタイムの感染を意味しない?

はじめに

COVID-19患者が、初感染から回復してから時間が経ち、ウイルスに再暴露されていないにもかかわらず、PCR検査で陽性となるというのは、このパンデミックの初期からの不可解な謎でした。この謎を解く論文が米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載されたのは先月(2021年5月)です [1]。前のブログ記事でもそれを紹介しました(→新型コロナウイルスのRNAがヒトのDNAに組み込まれる)。

先行のプレプリントは昨年の12月にバイオアーカイヴbioRxivで公開されていますが [2]、このPNAS論文では、その内容の問題点を解決し、発展する形で出版されています。すなわち、ヒト培養細胞を使って、感染したSARS-CoV-2のRNAが逆転写されてゲノムに組み込むこまれ、患者由来の組織でも発現することができるということを証明しています。

この論文の責任著者である米国ホワイトヘッド研究所/マサチューセッツ工科大学(MIT)の生物学教授、ルドルフ・イェーニッシュ博士とリチャード・ヤング博士(ともに米国科学アカデミー会員)は、この研究の経緯についてGEN-GEN-Genetic Engineering & Biotechnology Newsの独占インタビューに答えています [3](下図)。ここではこのインタビュー記事を翻訳しながら、紹介したいと思います。

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1. PNAS論文の研究の経緯と意義

イェーニッシュは、上記のCOVID-19患者の回復時におけるPCR検査の再陽性の現象に非常に驚いたと言っています。「私たちは、通常のライフサイクルでゲノムに統合されるレトロウイルスを研究してきたので、通常それが起こらないSARS-CoV-2が、レトロウイルスのようなトランスポゾン因子に乗っ取られて組み込まれるのではないか、その結果、感染力のあるウイルスが存在しなくても、PCRで検出可能なウイルス配列が長期間にわたって発現する可能性があると考えた」とインタビューに答えています。

イェーニッシュらの研究チームは、3つの独立した塩基配列決定法(→ブログ記事参照)を用いて、感染させたヒトHEK293T細胞の培養液や患者由来の組織に、ヒト-ウイルスのキメラ転写産物が存在することを示し、SARS-CoV-2のゲノムRNA配列の断片のDNAコピーがヒトゲノムに組み込まれ、さらにRNAに転写されることを実証しました。

この統合が起こるメカニズムの少なくとも1つは、LINE1因子が関与したものです。LINE1とは、RNAを鋳型としたDNAへの逆転写によってゲノム部位に自分自身(および他の配列)を挿入することができる自律的なレトロトランスポゾンです。研究員らは、組み込まれたウイルス配列に隣接するヒトのDNA配列の大部分に、コンセンサスまたはさまざまなLINE1認識部位が存在することを見いだしました。

これらの斬新な発見は、パンデミックの中にあるということでまったく当然のごとく、科学界で激しい議論と批判を巻き起こしました。

まずは、オーストラリア国立大学の科学者であるガエタン・バージオGaetan Burgio博士は、コンソーシアム研究チームを率いて、イェーニッシュのチームによる初期の研究を再現しようと試みましたが、失敗に終わりました。

バージオはGENに対して次のように述べています。「ヒトゲノムに挿入されたウイルスの断片は、ゲノムに付着したランダムなウイルス断片のようなものだ。これらの配列は、ライブラリの調製、PCRでのコンタミ、および配列決定の際のアーチファクトであると考えられる。たとえば、これらの配列では、ウイルスゲノムのpoly(A)テールが欠落しており、ウイルスゲノムの3'末端もこれらのキメラ配列には見当たらない。ウイルスゲノムが組み込まれるということは、ナンセンスだ」。

また、最近公開されたバイオアーカイブプレプリントでは、RNAシークエンシングによって検出されたヒトSARS-CoV-2キメラ転写産物は、真の逆転写、統合、発現ではなく、サンプル前処理によるアーチファクトとして生じた可能性が高いと指摘されています。

エール大学医学部実験医学科の助教授であるエレン・フォックスマンEllen Foxman博士は、同様な懸念があるとし、「この論文についての私の全体的な見解として、データはSARS-CoV-2ゲノムの断片がヒト細胞に統合されることを示しているが、著者たちの考察以外の説明も可能であるということだ」と述べました。ただ、彼女は探索的な基礎研究は、長期的には非常に重要であり、私たちの体やウイルスがどのように機能するのかをより深く理解するのに役に立つ」と付け加えています。

イェーニッシュは、先行して公開されたプレプリントの結論は「不運」であり、その知見は強力な証拠に裏付けられていなかったことを認めています。つまり、配列決定のためにcDNAライブラリを調製する際に、キメラRNAが人工的に生成される可能性があり、ゲノムに組み込まれたことを示す直接的な証拠がなかったということです。しかし、今回のPNAS論文は、LINE1を介したレトロポジションによってゲノムへの組み込みが起こる明確な証拠を示しており、他者からは反論の余地がありません。

イェーニッシュ氏のチームが探るべき重要な問題は、ウイルスの配列が患者のゲノムに組み込まれ、発現するかどうかということでした。ゲノムDNAにまれに起こる統合現象を直接証明することは技術的に困難であるため、この疑問には間接的にしか答えられません。しかし、細胞内でより多くのコピー数で存在する、転写されたウイルスRNAの配列の「センス」または「方向性」を分析すれば、重要な手がかりが得られます。

SARS-CoV-2のRNAは、そのままmRNAとなり得るポジティブセンスRNA鎖(5'-3')です。したがって、SARS-CoV-2が宿主細胞に感染して複製する際には、プラス鎖が優勢となります。「SARS-CoV-2が宿主細胞に感染して増殖するとき、プラス鎖が優勢になるはずだが、そうではなかった。DNA解析の結果、半々であることがわかった」とイェーニッシュは言っています。

すなわち、ウイルスが活発に複製されている感染細胞では、マイナス鎖のウイルスRNA数は1,000以下でしたが、ウイルス複製の臨床的証拠がない患者由来の組織では、ウイルス転写物の最大50%がマイナス鎖であることがわかったのです。

これは、2つの結論を導く非常に説得力のある証拠だった。1)患者の体内には、実際にこれらのウイルス配列が組み込まれている可能性があること、2)それらが発現する可能性があること、という結論だ」とイェーニッシュは述べています。著者らは、感染したヒトHEK293T細胞と患者由来の組織の両方から、マイナス鎖RNAを含むキメラ配列を検出しました。

ヒトの細胞培養で得られたウイルス統合の証拠に関する懸念の1つは、生体内でも同じことが言えるのかということです。イェーニッシュは、マイナス鎖のウイルスRNAに融合したヒトの細胞内RNAは、ゲノム統合以外の説明ができない、DNAではむずかしいけれどもRNAはコピーをたくさん作るので検出しやすい、と述べています。つまり、ウイルスのゲノムへの組み込みが起こり、転写されていることを示唆しています。

ヒト細胞における逆転写システムの生理的レベルは非常に低く、SARS-CoV-2の細胞内統合には不十分であると主張する人もいます。イェーニッシュのチームは、まれな組み込み現象を検出するために、SARS-CoV-2を感染させる前にHEK293T細胞にLINE1をトランスフェクトし、その発現レベルを高めています。このため、検出されたキメラ転写産物の生物学的関連性を疑問視する声も上がりました。

バージオは、これらの組み込み事象は、LINE1の転位因子が強く過剰発現している状況下で発見されたものであって、現実の環境では見られない、と述べました。

しかし、LINE1の発現は、ストレスを受けた細胞で誘導されるとイェーニッシュは反論しています。「ストレスは、ウイルスの感染、サイトカインの暴露、加齢、がんなどによって引き起こされる。つまり、患者がSARS-CoV-2に感染すると、LINE1が誘導され、それによってゲノム組み込みが促進されると言えるのではないか...非常に明快な可能性だ」。研究チームは、ウイルス感染によるLINE1の誘導を裏付ける証拠を提示していますが、同様の結果は、他のグループでも観察されています。

ヤングは、「ここでの合理的な仮説は、ウイルス感染のストレスが逆転写酵素のレベルを上昇させたということだ」と付け加えました。ホワイトヘッドチームは、この仮説を確認するための実験を進めているようです。

これらのウイルス断片の統合部位に特異性があるかどうかは、技術的な問題が主な原因で、現在のところ未解決です。「これらは稀な組み込みである。細胞が死んでしまうので、これらの細胞をクローン化することはできない。集団のスナップショットがあるだけだ。レトロウイルスでできるような実験は、ここではできない」とイェーニッシュは述べています。また、ヤングは、予備的なデータでは、統合の部位がたくさんあることが示唆されていると付け加えています。

2. 懸念の表明

このように統合されたウイルス配列が、感染性ウイルスを生成し、宿主のDNAを変化させて悪影響を及ぼす可能性については、多くの議論がなされています。

フォックスマンは、この論文で提案されているような極めて稀な現象が、人間の健康に害を及ぼしたり、生きたSARS-CoV-2ウイルスが生成されたりするという証拠は示されていないと述べています。イェーニッシュもこれに同意し、発見された統合DNAは最大でウイルスゲノムの5%、1,600塩基であるであることを挙げながら、これらの配列から感染性ウイルスが作られることは、絶対にありえない、と強調しています。

しかし、SARS-CoV-2のPCR検査の解釈は、今回の結果を受けて、さらに複雑なものとなりました。つまり、PCR検査が陽性であっても、ウイルスを排出していることを意味するものではない、というのが明確な結論です。つまり、検査陽性が、必ずしもウイルスが排出されていて感染しているということにはならないということです。

もう一つ、今回の研究が大きな反響を呼んだのは、mRNAワクチンが同様にヒトのDNAに組み込まれて悪影響を及ぼす可能性があるかどうか、という大きな議論があったからです。

フォックスマンは、「今回のような議論を呼ぶ結果は、新しい分野の研究の動機付けとしては重要であり、最終的には大きな発見につながる。しかし、この論文が現在のパンデミックにおける患者の治療やワクチンに重要な意味を持つと過剰に解釈するのは間違い」と述べています。"

いかなるワクチンのmRNAにおいても、同じことが起こると考える理由は全くない。ウイルスのスパイクタンパク質のmRNAは、ごく一部である。ワクチンはLINE因子の逆転写酵素を誘導するものではない」とヤングは述べています。同時に彼は、ワクチンは、長期にわたる深刻な衰弱性疾患や死の可能性から守っているというベネフィットを強調しています。

イェーニッシュらのプレプリントをめぐる騒動は、科学的プロセスにおけるプレプリントの有用性についても疑問を投げかけています。イェーニッシュはプレプリントの有用性は認めつつも、論文の公開を前提とした査読の議論をすることは望んでいなかったにもかかわらず、実際に公開の議論になったことは非常にトラウマになった、と語っています

科学的批判は真実についての見解を得るための重要な部分であり、それがプレプリントの形で起こるかどうかは関係ないけれども、一部の科学的観察が政治的またはその他の目的のために利用されている感情的な環境では、議論の有用性は曲げられてしまう、とヤングは付け加えています。

ホワイトヘッド・チームの研究結果は、多くの疑問を残しています。イェーニッシュは、「重要な疑問は、これらの統合された配列は翻訳されているのか、ということである。もし翻訳されていれば、細胞表面に提示され、自己免疫反応を引き起こす可能性がある」と述べています。すでに、COVID-19の患者の中には、新しい自己抗体のレベルが上昇しているという研究結果もあります。

イェーニッシュとヤングの研究チームは、患者のどの組織にウイルス配列が発現しやすいかを明らかにすることを目的として、Brigham and Women's Hospitalと共同でヒトの組織サンプルの分析を進めています。

ヤングは、「既知のプロセスの理解に適合しないアイデアは、新しい理解を探る上で非常に貴重だ。これらのコロナウイルスがゲノムに統合する手段を持っているとは考えられていなかった。私たちは、それがLINE1/逆転写を介したメカニズムで起こりうることを提案したわけだ。当然のことながら、興味深い議論を引き起こすことになるだろう。私たちはその議論を歓迎する」と述べています。

同時に「私たちは科学的な議論を歓迎するが、政治的な動機による歪曲は歓迎しない」とイェーニッシュは述べています。

おわりに

今回のインタビュー記事を読んでみると、あらためて、イェーニッシュらPNAS論文の研究の経緯と彼らの考え方がよく理解できます。論文で明らかになったこと、そして考えられることをまとめると、以下のようになると思います。

・ウイルスのRNAがレトロポジション現象でヒトゲノムに組み込まれる

・COVID-19患者がすでにウイルスを排出していないにも関わらず、DNAに組み込まれたウイルス断片が転写され、PCR検査で陽性になる

・もし、DNAに統合されたウイルス断片からタンパク質ができるとするなら自己免疫疾患を引き起こす可能性がある

気になったのは、LINE1はストレスで誘導され、SARS-CoV-2の感染はその一つであると言っていますが、mRNAワクチンでは誘導されないと断定しているところです。mRNAワクチンがストレスにならないという理由はどこにあるのでしょうか。彼らが使ったHEK293T細胞にmRNAワクチンを導入して確かめたのでしょうか? もしそうでないなら、同じ実験系で確かめるべきではないでしょうか。 

引用文献・記事

[1] Zhang, L. et al.: Reverse-transcribed SARS-CoV-2 RNA can integrate into the genome of cultured human cells and can be expressed in patient-derived tissues. Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 118, e2105968118 (2021). https://www.pnas.org/content/118/21/e2105968118

[2] Zhang, L. et al.: SARS-CoV-2 RNA reverse-transcribed and integrated into the human genome. bioRiv Posted December 13, 2020. https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2020.12.12.422516v1

[3] Sarker, A.A.: Eminent MIT Scientists Defend Controversial SARS-CoV-2 Genome Integration Results. GEN-Genetic Engineering & Biotechnology News. May 13, 2021. https://www.genengnews.com/insights/eminent-mit-scientists-defend-controversial-sars-cov-2-genome-integration-results/

                

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