Dr. Tairaのブログ

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RADWINPSの「HINOMARU」考察

 はじめに
 
RADWINPS(RAD)の「HINOMARU」がリリースされて [1] 軍歌だという批判が起きました。これを受けてSNS、ウェブ上で賛否両論の応酬や論評がみられます [2–13]。作詞・作曲したRADのヴォーカル野田洋次郎氏は「何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」と当初語っていましたが [2, 3]、批判が一部で噴出したことで謝罪するに至っています [4]。抜粋すると以下のようになります。
 
「この曲は大震災があっても、..どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です」「日本の歌を歌う上で歴史の上に成り立っている...その想いものせたかったので古典的な日本語を用いた..」と彼は説明しました。その上で、「意見を聞いていて...戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと...傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪しました。
 
今井絵理子参院議員は、自身のブログで「表現の手法は作家の自由であり、言葉遣いや色使いに正しいも間違いもありません」とRADを擁護する持論を展開しました [7]。また、ウルフルズウルフルケイスケ氏や何人かのタレントも謝罪は必要ないとのコメントを出しています [8]
 
いろいろなウェブ上やSNSでのたくさんの意見やコメントを見てきましたが、あまり指摘されていないことがあります。その一つは創作活動において答責性をもっているか、という点です。いわゆる説明責任ということです。
 
社会へ向けて行う創作活動は自由が保証されていますが、それはまた責任が伴う仕事です。責任とルールがない自由は法治国家では存在しません。プロの場合は創作は営利活動であり、かつ有名であればあるほど、社会へ対する影響度が高いほど、余計にこの責任があると思われます。つまり、作品には常に批判・批評が伴いますが、その作品でお金を得る作者にはこれに応える責任があるということです。
 
もう一つ、あまり指摘されていないことはRADの作風です。とくにこれまでの作品の歌詞にみられる特徴は、今回の「HINOMARU」騒ぎにつながっているように思います。一部ウェブ上で作者の稚拙さや無教養を指摘する意見もあり、私もSNSで類似の意見を示しましたが、ここでRADを聴いてきた者の一人として、少し長くなりますが、あらためて勝手な個人的見解を述べたいと思います。
 
ちなみに私が最初にRADを聴いたのは2006年の「有心論」だったと思います。学生とのコンパで音楽の話になり、ある学生が「RADが好き」と言っていたことがきっかけです。以来、とくにこのバンドが好みというわけでもないのですが、私の音楽活動(あくまでも趣味の域を出ませんが)の参考の一つとするため聴き続けてきました。
 
1. RADの歌詞にみる特徴
 
RADの曲・歌詞は全部ヴォーカル担当の野田氏が書いています。歌詞の特徴は、時系列での物語性や風景描写があまりなく、観念的、抽象的かつ散文詩的なところにあり、ときとして難解です。これは最近の一部の歌い手の傾向でもあり、2000年以降から際立ってきたように思います。
 
RADの曲では、とくに「寿限夢」、「記号として」、「会心の一撃」などには散文的傾向が顕著です。季節感も「謎謎」に少し感じられるところはありますが、全体的にはほとんどありません。
 
一般に、愛とか恋とかいう言葉は、歌の中で普通に使われますが、これらに加えて野田氏の詞には、殺める、死、自殺、精子(精液)、父と母(母ちゃん、父ちゃん、パパとママ)、血、心臓、嘘、神(様)、地球(ほし)などの単語、およびそれに関連する言葉がわりと頻繁に出てきます。あと数字が好きなようで、意味がよくわからない数字の羅列や、「60億個」という言葉も目にします。
 
野田氏は「神は信じられない」とどこかで言っていたと記憶していますが、神(様)という言葉は頻繁に出てきます。
 
遺伝子や染色体という専門的な言葉も出てきますが、これらには生物学的な意味がありますので、「25個目の染色体」とか「100%君の遺伝子が伝わりますように」という言い方をされると、やはりダサいというか、不用意な感じを受けます。
 
また、英語でのフル・ヴァージョンの歌詞、英語と日本語のチャンポンの歌詞が多く、歌をボーっと聴いていると「うん? 今何と言った?」という風になります。散文的な詞の傾向を考えると、曲の中では言葉としてよりも一種の音として流れている感じが強いです。これはRADに限らず、多くのアーティストに見られる傾向で、70年代に端を発した「はっぴいえんど」に代表される「日本語ロック」が言葉を大事にしていたこととは対照的です。
 
おもしろいのは、英語の歌なのに、たとえば、「ぼくと僕」、「バグパイプ」、「傘拍子」、「グーの音」のように日本語のタイトルがついている曲があることです。英語のタイトルにもかかわらず中は日本語の歌詞というのは、多くの日本人アーティストに見られる傾向ですが、その逆は少ないように思います。
 
2. HINOMARUへの序奏
 
私が「HINOMARU」を聴いて、あらためて聴き直した曲は、「コンドーム」と「にっぽんぽん」の2曲です。
 
「コンドーム」はマイナー曲(Em)ですが、強いバックビートとともに英語と日本語が混じった早口の歌唱で、言葉が捉えづらいです。歌詞カードを別途見ないとわからないと思います。注目すべきは、ここで「HINOMARU」でも話題になった「御霊(みたま)」という言葉がすでに出てきていることです。
 
実際の使われ方は、「彼等(精子)の御霊はどこへ」といフレーズです。専門的に言えば精子は命ではないので(卵子と結合して初めて命を授かる)、(精子の)御霊という使い方もおかしいのですが、ここで神道的な御霊という言葉がどのような意味で使われているのか、今ひとつわかりません。
 
次に「にっぽんぽん」です。これは、アニメ映画「君の名は。」の主題歌になった「前前前世」の走りの曲で、キー(Bメジャー)とテンポも同じです。「日本語で歌いたいんだ」、「ソースよりも醤油だろ」のような日本礼賛風のフレーズがたくさん出てきます。しかしながら、この曲でわけのわからないカタカナ語(ドイツ語も混じっている)が出てくることや、さらに多くの曲を彼が英語で歌っていることを考えると、しっかりとしたポリシーがあるのか今ひとつ疑問が残ります。
 
「にっぽんぽん」の内容を突き通すなら、「英語よりも日本語で歌え」、「エレキよりも三味線を弾け」と突っ込みたくもなりますが...。少なくとも整合性は感じません。また、私たちの国名を「にっぽんぽん」とおふざけのように(気をてらったように)言うことは、同じ日本人として気持ちのいいものではありません。
 
さらに「にっぽんぽん」に出てくる「嫁さんは美しい味噌汁を作れる人と決めてるんだ」というフレーズには、女性をそのように捉えている?という感じで、少し気持ちがシラけました。30代の若者にしては表現が時代遅れで未来志向に欠けます。
  
3. 「五月の蝿」に内面性を見る
 
それまでのRADの印象を大きく変えたのが「五月の蝿」という曲です。カオナシの吐息のようなイントロで始まるこの歌は キーがB♭mのマイナー曲ですが、バックの6拍子がガンガン鳴っていて、割とハードな曲調で歌詞が流れます。曲調と歌唱はマッチしていると思いますが、実際歌詞は聴き取りにくいです。ただ、歌詞だけを切り取ってみるとビックリです。たとえば、以下のような下りがあります。
 

君が襲われ 身ぐるみ剥がされ
レイプされポイっとされ途方にくれたとして
その横を満面の笑みで スキップでもしながら
鼻歌口ずさむんだ
・・・・・・・・
・・・・・・・・
もうフォークを突き立てたいよ
あぁ死体 死体になった君を見たい
・・・・・・・・
・・・・・・・・
通り魔に刺され 腑は溢れ 血反吐吐く君が助け求めたとて
ヘッドフォンで大好きな音楽聴きながら 溢れた腑で縄跳びをするんだ

 
普通、レイプとか死体とか殺めるとか凶悪犯罪に関わるような言葉はあまり歌にはしないと思いますが、彼はそういうことをわりと平気でできるようです。「腸で縄跳びする」とは恐ろしい表現です。そのため、この歌もツイッター上で批判されています。RADの女性ファンはたくさんいると思いますが、このような歌をどう捉えているでしょうか。
 
さらに言えば「五月の蝿」では、「成仏せよ」という仏教用語が出てきます。具体的には以下の通りです。
 

君にあげた僕の言葉たちよ成仏せよ
その身体に解き放った 愛しの僕の精液を お願いよ 取り返したいの

 
成仏とは無上の悟りを開き仏になることなので、前後の歌詞とは整合性がないように思えます。RADの歌には神様や御霊が登場し、ときとして仏も出てきますが、悪く言えば節操がありません。
 
「五月の蝿」だけではなく、いろんな曲の歌詞だけ並べて見ていると、恋愛と憎悪と体液と内向きの観念性が混じり合い、どろどろになって身体に降りかかってくるようで、決して気分はよくありません。
 
観念的、散文的な歌詞は、たとえエログロであっても、ひょっとしたら言葉の戯れ、気をてらったシュール感としてあまり意味をもたせていないのかもしれませんが、少なくとも野田氏の内面性の現れとしては捉えることができるのかな?とも思います。
  
4. HINOMARUを聴いて
 
私は「HINOMARU」を最初聴いたときに、歌詞が単語ごとしか聴き取ることができず、全体のイメージを描くことができませんでした。すなわち、曲が歌詞を上回って聴こえてきました。どこかで聴いたようなスローテンポのメロディーラインにせよ、素直にいいメロディーだと思いました。曲調からは、むしろエレキより三線の方が合うのでは?とも思いました。
 
ただ、和太鼓を思わせるイントロや、スネアのリズムとロール、それに後半の合唱のような部分とブラスセクションの音重ねは、作者の愛国心の表現がこのアレンジなのか、と直感的に違和感を覚えました。曲調は特徴があります。バックビートもシンコペーションもアンティシペーションもありません。このような曲調は、タイトルの「HINOMARU」と合わさって「軍歌」、「行進曲」を連想させます。
 
これと類似の感覚は、ウェブ上で外国人の意見としても述べられています [9]。私もRADを知るか知らない、あるいは歌詞の意味がわからない中国、韓国、アメリカ、ドイツ人の知り合いにこの曲を聴いてもらいましたが、異口同音「軍隊の歌として作られた曲?」という感想でした。
 
このようなアレンジにする必要はなかったと思います。このアレンジで、愛国心が内向きで偏狭なものになったように思います。
 
HINOMARU」というタイトルを見てある程度予想はしていましたが、「にっぽんぽん」にあったイメージを膨らませた感じになっていて、野田氏はこれで一つの着地点を作りたかったというのではないかと思います。それをヒップホップ調の「カタルシスト」とカップリングすることで、対照的な曲調でありながら、思想的(心情的に)には同一性を保とうとしたのではないかと思います。
 
ただ、「カタルシスト」と「HINOMARU」がW杯2018へ向けたカップリング曲であり [1]、その日程に合わせてリリースされ、かつフジテレビ系列のWCテーマ曲とされているところに、売り手側の愛国心に名を借りた宣伝と営利の嫌らしさを感じ受けました。まさか「HINOMARU」の販売をチャリティーにするというものでもないでしょう?
 
5. HINOMARUを見て
 
HINOMARU」の曲を聴いた後、あらためて歌詞に目を通したときには、強い違和感を覚えました。とくに以下のフレーズです。どういう意図だろうと思いました。
 

気高き御国の御霊
さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に
・・・・・・・・
・・・・・・・・
受け継がれし歴史を手に 恐れるものがあるだろうか
ひと時とて忘れやしない 変えるべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ

 
間違った(意味不明の)言葉の使い方もありますが(これはツイッター上でも指摘されています)、「歴史を手に恐れるものがあるだろうか」の下りは、軍部の戦前・戦中思想歴史修正(改ざん)主義を、「この身が滅ぶとて..」は先の大戦特攻や「玉砕」戦を思い起こさせます。
 
私の叔父は、フィリピン沖に零戦で突っ込み戦死しました。兄弟の中で最も優秀でありながら、次男ということで叔父が死に場所に赴かなければならなかったことをあらためて思い出しました。
 
私に限らず似たような境遇・体験下にある方々は、あるいは、たとえ体験がなくともこの100年の歴史を真っ当に学んだ方々は、「HINOMARU」の詞に多少なりとも憤りや違和感を感じることでしょう。これが誤解だとすれば、野田氏自身による説明が必要だと、その時は思いました。
 
このような一般人に限らず、何よりも一部のRADファンによる野田氏のツイートに対するリプに、彼らが「HINOMARU」に感じた違和感を読み取ることができます。リプの大半は本曲を礼賛するものですが、謝罪前の彼のツイートに対する一部のリプには以下のような批判めいたものがありました(図1)。
 
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図1. 野田氏のツイート(HINOMARU)に対する一部のコメント(謝罪前)
 
6. RADの曲調
 
RADはウィキペディアを見るとロックバンドと紹介されていますが、個人的にはロックバンドとは思っていません。その理由の一つはメロディーラインや曲調にあります。メロディーやギターフレーズには、ロックに特徴なブルーノートがほとんど出てきません。平行コードやマイナー曲での5音階スケール(ペンタトニック)は出てきますが、メジャー曲ではほとんどなしです。
 
したがって、メロディーやコードにはブルースやR&Bの要素は見られず、バッハやモーツァルトをベースにしたようなポップスに仕上がっています。つまりRADはポップスのバンドです。
 
実はこれが曲者なのです。どろどろの体液に塗れたような、血に塗れたような歌詞であっても、それが散文的であり、観念的であり、かつ聴き取りにくい歌唱で表現されると、聴き手はポップなメロディーラインとリズム感しか印象に残りません
 
これがブルージーでギンギンのハードロックであれば全く印象は変わるでしょう。
 
もう一つロックと思えない理由は、歌詞が観念的な内向き思考であるからです。およそ風刺、皮肉、笑い、権力批判の姿勢はなく、社会へ向けた爆発的なエネルギーの発散というものも感じません。ロックバンドが反体制を歌うことはあっても、愛国心を前面に出して曲を出すことは稀です(Madison Risingのようなバンドもいますが)。理由の一つは時の権力に政治的に利用されやすいからです。
 
B. スプリングスティーンが、"Born in the U.S.A."をリリースしたときに愛国主義的と曲解され、ロナルド・レーガン大統領が選挙運動の際、この曲を利用したことはよく知られています。
 
とはいえ、料理と音楽は個人の嗜好性があるので、これは私個人の受け取り方であり、かつロックバンドかどうかということもあまり意味がありません。あくまでも重要なことは、RADのポップ的曲調が、歌詞の表面的なきわどさや意味をマスクしてしまうということです。
 
HINOMARU」で言えば、思想的意味を有する歌詞であってもポップなメロディーラインに乗せられると、単語しか聴き取れず、全体としての意味がボヤけるのです。ポップ的メロディーと「日本が好き」という観念のオブラートで包まれることで、歌詞で使われた言葉の深い意味は理解されることなく、ファンは「ああ素晴らしい! なぜこれが批判されるの?」ということになるのでしょう。
 
7. HINOMARUは愛国歌か
 
HINOMARU」に対する批判が湧き上がったことで、私は、野田氏は謝罪せずに、愛国歌としての自論を展開する突っ張りを見せるのかとある意味期待をしていました。しかしながら、そうではありませんでした。
 
そのことで、逆にこの歌詞が、昔からあるフレーズや神道の言葉を安易に使い、薄っぺらな知識と稚拙さの中で作られたものだと感じました。それは、この曲のみならず、従来の曲の端々で感じられる観念的なノリと彼の独自スタイルの延長線上での創作だということです。
 
言い換えれば、歴史を背負った重い言葉を含んでいるにもかかわらず、それに気づかずまま、ルーチン作業の中で加工され、吐出されたものが今回の歌ということになるでしょう。今回の謝罪という行動でそれが露呈した格好になりました。
 
その瞬間、私は、これが多くの人々が共有できる愛国歌でも何でもなく、野田氏個人の従来どおりの感覚的な歌だというように理解しました。
 
「この曲は大震災があっても、..どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です」という彼のコメントの中に、果たして先の大戦で爆死、焼死、戦死(大半は病死と餓死)した300万人余の犠牲者の影は見いだせるのでしょうか。
 
少なくとも、神道の言葉や昔からある言葉のフレーズはそれなりのimplicationsがあるので、安易に使うべきではないと思います。愛国心を歌うのなら、使う言葉への重みを理解の上でもたせ、かつ国粋主義的なイメージを払拭すべきでしょう。
 
近現代史研究者の辻田真佐憲氏は、「HINOMARU」が、定型的な愛国歌そのものであるとしながらも、歌詞が空虚では、愛国歌として十全な機能を果たせないとしています [6]。その上で、純粋な気持ちほど、偏見とは裏腹であり、創作に頼りにならないものはないと指摘しています。

おわりに
 
今回の野田氏の謝罪は格好悪いものでした。しかし、その行動や中身の是非はともかくとして、彼なりの今できる説明責任のとり方だったと思われます。上記の「謝罪は必要ない」という擁護?コメント [8] SNS上のコメントが「説明責任はなくてよい」としているのであれば、小門違いです。
 
一方で、彼の謝罪を超えたところで事態はより進行し、騒ぎは一向におさまる気配はありません。
 
自民党今井絵理子議員や小野田紀美議員が擁護の立場で口を挟んでいますが、政権側の議員が出てきた途端に、政治利用の嫌らしさが色濃く出てきます。またSNS上で、早速政権側に寄り添う礼賛、擁護の意見がたくさん出されています。批判側は抗議集会さえ持ち出しています [13](ただしこれはネトウヨの扇動との情報もあり)。野田氏にとってはこれらの反応は、謝罪後でさえ想定外ではないでしょうか。
 
さらに、一部のメディアが「音楽や映画など娯楽の表現にまでいちいちクレームをつける行為こそ、戦前の検閲に似てはいないか」と述べていますが [12]、これはまったく的外れな意見です。検閲とは、国家などの公権力が行うものであり、憲法上も「行政権が主体となって行うもの」と規定しています。今回の場合は市民側による批判です。
 
最後に、「愛国心をもって何が悪い」というRADファンを中心とする声もありますが、話が矮小化されています。日本人であれば、他人にとやかく言われなくても、たとえ声に出さなくても、誰にも愛国心はあるのです。そして「愛国心をもって何が悪い」という主張は、「この国が嫌なら出て行け」などと類似する一方的に相手に議論の責任を課してしまう拒絶論法であって、それを発した当人自身の責任や思考停止には気づかないという不幸があります。
 
引用文献・記事
 
1. 毎日新聞RADWIMPSカタルシスト」ドラマチックな新曲はフジテレビ系サッカーのテーマ曲. 2018.6.8 https://mainichi.jp/articles/20180608/dyo/00m/200/046000c

2. niftyニュース:RADWIMPS新曲『HINOMARU』の歌詞に「軍歌」と批判 野田洋次郎がインスタで説明. 2018.6.8 https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-8682/
 
3. Yahooニュース・excite MUSCIC: RAD野田「HINOMARU」歌詞について謝罪 「軍歌だという意図は1ミリもない」. 2018.6.11  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180611-00000009-exmusic-musi
 
4. livedoor News: RADWIMPSの「HINOMARU」軍国歌との批判受け野田洋次郎が謝罪. 2018. 6.11 http://news.livedoor.com/article/detail/14849125/
 
5. Gambling Journal(文責署名なし): RADWINPS「軍歌」批判に「どこが?」「過剰反応」の声殺到......無意味な「検証」と「戦争想起は発送飛びすぎ」2018.6.11 http://biz-journal.jp/gj/2018/06/post_6927.html
 
6. 辻田 真佐憲: RADWIMPS衝撃の愛国ソング「HINOMARU」を徹底解剖する. 2018.6.11 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56060
 
 
8. J-CASTニュースRADWIMPS野田は「謝罪する必要ない」HINOMARU釈明なお異論 . 2018.6.12 https://www.j-cast.com/2018/06/12331119.html?p=all
 
9. ロケットニュース24・中澤星児:「軍歌」と批判が殺到したRADWIMPSHINOMARU』炎上騒動についてアメリカ人に意見を聞いてみた. 2018.6.12 https://rocketnews24.com/2018/06/12/1076168/
 
10. 朝日新聞DIGITAL:RADWIMPSの新曲、軍歌のよう?歌詞めぐり議論に. 2018.6.13 https://digital.asahi.com/articles/ASL6D42L6L6DUCVL006.html
 
11. Hatena blog Vergil2010(文責署名なし):RADWIMPSの「HINOMARU」は教育の失敗が生んだ歌. 2018.6.13 http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/06/13/202350
 
12. Yahooニュース・デイリー新潮:RADWIMPSの新曲を“愛国歌”と批判する人たちは正義なのか. 2018.6.14 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180614-00543716-shincho-soci
 
13. J-CASTニュース:RADの「HINOMARU」騒動、抗議集会に発展か 告知の主催側「2度と歌わないこと求める」2018.6.14 https://www.j-cast.com/2018/06/14331406.html?p=all
 
             
 カテゴリー:音楽と芸術