Dr. Tairaのブログ

生命と環境、微生物、科学と教育、生活科学、時事ネタなどに関する記事紹介

東京五輪のオープニングを飾った悪名高き作曲家の曲

昨日の東京オリンピックの開会式では、ビックリすることが起こりました。噂されてはいましたが [1] 、選手の入場行進のオープニングで「ドラゴンクエスト」(ドラクエ)のテーマ曲が流れたからです。なぜ驚いたかと言えば、この曲の作曲者は反LGBTQ超国家主義者として知られているすぎやまこういち氏だからであり、この不祥事続きのなかの出来事だったからです。

国内外のメディアは、早速、一連の不祥事の延長とも思えるこの開会式の出来事を批判的に伝えています [2, 3]。とは言っても、大手新聞やテレビは私が知る限りは無視を決め込んでいるように思えます。

そこでこのブログでは、米国のリベラル系ニュースサイトであるデイリー・ビースト(The Daily Beast)が掲載した「東京オリンピックのオープニングを飾った、悪名高き日本人作曲家の曲」(A notoriously hateful Japanese composer’s music just opened the Tokyo Olympics)という題目のウェブ記事 [3] を紹介したいと思います。以下に私が訳した全文を記します。

f:id:rplroseus:20210725001831j:plain

筆者全訳

-------------------

組織委員会は、多くの警告を受けていたにもかかわらず、強烈な同性愛排斥者で超国家主義者の歌をオリンピックのオープニングに使用するという、またしてもトンチンカンなことをやらかした。

世界の多様性と調和を称えるはずの2020年東京オリンピックパラリンピックは、スキャンダルとCOVID-19に悩まされてきた。外国人排斥、差別、残酷さを象徴するようになり、金曜(7月23日)の夜には、加えて、同性愛排斥・歴史修正主義を見ることができる。

日本の平和主義者である天皇陛下皇后陛下である雅子様が開会式を欠席したかったのは当然のことである。天皇は1ヶ月前にこっそりと、大会が日本にとってよくないかもしれないという懸念を口にしていたが、その最悪の懸念が現実のものとなった。

今夜のオープニングでは、組織委員会は、きわめて悪い状況を生むという警告にもかかわらず、同性愛排斥の超国家主義者として知られる日本人作曲家、すぎやまこういちの音楽を使用した。

すぎやまこういち氏は、ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽で知られる作曲家だが、過激な思想の持ち主としても知られている。自民党杉田水脈氏のようなLGBTQバッシングをする人と仕事を共にしたことがある。1930年代後半の日本軍による南京大虐殺を否定している。日帝の性奴隷として働いていた朝鮮人女性は、実は幸せな売春婦だったと発言している。彼は男女の平等を信じないミソジニストであり、子供たちに同性愛について教えるべきだとは思わないし、LGBTQの人々が "子供を生まない "として政府の支援を受けるべきだとも思わない、という同性愛排斥主義者である。

彼はまた、保守的なテレビ局の番組では、杉田氏と一緒に人種や民族の違いを笑いのネタにしていた。また、杉田氏は、安倍晋三(元)首相の伝記作家にレイプされたとされるジャーナリストの伊藤詩織さんを揶揄している。すぎやま氏はおかしな付き合いをしているものだ。

多くの人は、アーティストとその芸術を切り離すことができると主張するかもしれない。しかし、多様性を祝福するはずの大会において、それに声高に反対する人の音楽を使う正気の人がいるだろうか? 確実に、日本の戦争犯罪についての彼の発言は、調和を生み出すものとは言えない。

午後8時38分、「ドラゴンクエスト」のテーマに乗って新国立競技場にオリンピック第1号選手が入場すると、お馴染みだが"おぞましい"曲のイントロがテレビを通じて世界中に鳴り響いた。

日刊スポーツは、開会式に向けた競技場の準備状況を取材した際に、すぐにこの曲を確認した。JOC組織委員会が、2度にわたるクリエーターの不祥事の傷跡を癒すなか、日刊スポーツの記者は、オリンピック関係者にこの曲について尋ねた。

スタッフは「入場練習をカモフラージュするために、ダミーの曲を使うことがあります」と答えた。

それはウソだった。

2020年の東京オリンピックの人材採用・審査の担当者は、この数日間、見事に失敗している。この開会式は、始まる前から大失敗だった。先週だけでも、事態は最悪の方向に向かっている。

月曜日(7月19日)、オリンピック開会式の作曲家である小山田圭吾氏が、少年時代に障害を持つ仲間への性的暴行、傷害、殺人未遂をおもしろがりながら語っている雑誌のインタビュー記事が再浮上し、辞任した。

その2日後には、開会式の音楽監督を務めた小林賢太郎氏が、ホロコーストを「ユダヤ人を虐殺するゲーム」と表現したことが、コメディーパフォーマンスの古い映像に残っていたことが表面化し、辞任した。

サイモン・ウィーゼンタール委員会の副学部長であり、グローバル・ソーシャル・アクション・ディレクターでもあるラビ・エイブラハム・クーパー(Rabbi Abraham Cooper)氏は、ナチス強制収容所でも障害者を殺害しており、その殺害を冗談で表現することは、特にこの大会においては非常に不適切であると指摘した。

パラリンピックは障害者を祝福するものであり、障害者を侮辱するものではない。それだけでなく、ナチスは同性愛者も殺害した。東京2020オリンピックの秘密のテーマは、ナチスドイツ1936年のベルリンオリンピックへの頌歌(捧げる歌)なのだろうか? 誰か国際オリンピック委員会に訊いてみてほしい。

東京2020組織委員会は、野党のリーダーや一般市民が、すぎやま氏の極右的な意見をつかみ始めていることを知っていた。木曜日(7月22日)には、ツイッターの投稿やニュースは、この曲が今週の恥の上塗りになるのではないかという世間の不安を予感させた。おそらく、入場曲を変えるにはあまりにも遅すぎたのだろうか? JOC組織委員会)は、懐かしいビートに合わせて整然と行進する練習をしている選手たちに公平ではないと考えたのかもしれない。

日中戦争で日本帝国軍に殺された中国・南京の10~30万人の民間人や降伏兵、そしてその過程でレイプされ、体を切り刻まれ、殺された2万人の女性や少女の記憶に、同じ配慮がなされなかったのは恥ずべきことだ。日本が東アジアや東南アジアを占領していた時に、「慰安婦」として性的奴隷にされた何千人もの民間人女性や少女は一体何なのか?

慰安婦問題の解決と教育のための行動(The Comfort Women Action for Redress and Education )は、すぎやま氏の曲が使用されたことに対し、Twitterで次のように反論した。「オリンピックは「友情、尊敬、卓越」の象徴であると主張している。すぎやま氏は、戦時中にレイプの被害に遭った若い女性や子供たちを否定し、見下しており、これらの原則に反する。他の多くの日本のアーティストの方が、もっと良い人間性を表現することができます」

東京2020オリンピックは、日本の良いところをすべて見せてくれるはずだった。しかし、不注意、貪欲、無能さが露呈したことで、日本が基本的な人権や寛容さ、常識を理解していない骨抜きのエリートによって牛耳られていることが明らかにされ続けている。オリンピック招致に(数百万ドルの賄賂も使って)成功したことに協力した安倍(元)首相は、かつて日本のソフトパワー(文化的資産)を「クールジャパン」として押し出そうとした。今回のオリンピックでは、"クールジャパン "は完全に死んでしまい、"残酷な日本 "しか残っていないことを証明しているように思える。

次は何が起こるかわからない。

組織委員会は「前進」と「感動の一体化」をテーマに開会式を行ったが、反LGBTQの歴史修正主義者が指揮を執り、600万人のユダヤ人を虐殺することに笑いを見出したコメディアンや劇団員が演出し、障害者の同級生を辱めたり拷問したりすることに喜びを感じた作曲家がいた。オリンピックの理念である包容性と世界平和はもうこれまでだ。

-------------------

筆者あとがき

上記のように、デイリー・ビーストの記事はかなり過激で批判的です。ドラクエの曲からその作曲者であるすぎやま氏の思想・信条に言及し、それを旧日本軍やナチスが犯した蛮行へと投影させています。「東京2020オリンピックの秘密のテーマは、ナチスドイツのベルリンオリンピックへの頌歌なのだろうか?」とまで言っています。

ナチスへの頌歌というところまでいくと、さすがにこれは飛躍し過ぎとは思いますが、そう思わせるほど、大会組織委員会の人種とジェンダーの多様性、人権、人道に対する鈍感さやいい加減さの問題が根底にあるということでしょう。そうでなければ、これほど不祥事が出てくるということはありません。

ドラクエも含めて、普段は一般大衆、個人レベルの娯楽として消費物であっても、オリンピックのような建前上でも崇高な理念を掲げている世界的イベント(もはや世界へ向けた外交と化している存在)の前では、その採用にあたっては世界の歴史観や価値観に耐えうるようなものでなければならないということでしょう。

デイリー・ビーストは「日本が基本的な人権や寛容さ、常識を理解していない骨抜きのエリートによって運営されている」と言っていますが、これは先のブログ記事で紹介したニューヨーク・タイムズの記事(→東京五輪を支える見えざる手)に通じるところがあります。日本の政治、社会に横たわっている構造的問題です。

すぎやま氏は自身の公式ホームページで、「LGBTとそれにまつわる問題は、人類の歴史の最初からあったことでしょう。人々の性に対する考え方、感じ方は文字通り10人10色だと思っています。この問題は、あくまでそれぞれの個人の問題であり、他人がとやかく言うものではないでしょう。ただ、LGBTである事で理不尽に差別されるのは是正されなければならないと思います。そのために政治や行政の力が必要になる場面もあるかもしれませんね」と述べています。

しかし、これで彼の思想・信条が変わったとはとても思えません。なぜなら、反LGBTQの杉田水脈氏の発言を「正論」だと肯定したこと [1] を撤回する声明はこれまで出されたことはなく、彼のHPの文脈からは撤回をほのめかすような意図も感じられないからです。何よりも、LGBT法案成立阻止を是とする国家基本問題研究所 [4]評議員をすぎやま氏は務めています。

海外メディアによる東京大会に横たわるさまざまな問題について批判的な記事が出てくると、国際的に東京大会がどのように見られているかということがよくわかります。広告代理店に支配された日本のメディアでは、このような記事はとても書けないのでしょうね。

愚民政策と言われる3S(sports, screen, sex)政策のなかで、オリンピックは二つの要素(スポートと映像)をもっています。開会式は、ゲーム世代を虜にする音楽も含めて、まさしく視聴者の思考を停止させるのに十分な効果をもったのかもしれません。これからのテレビから流れる"感動"の競技、スポーツも、東京オリンピックに批判的な見解を持っていた人さえ、取り込んでしまう媚薬効果を発揮するのかもしれません。

引用記事

[1] Buisiness Journal: 開会式『ドラクエ』曲?報道…作曲者すぎやま氏、過去に「同性愛から子ども生まれない。決定的」発言. 2021.07.23. https://biz-journal.jp/2021/07/post_239947.html

[2] 日刊ゲンダイ:東京五輪入場行進にドラクエのテーマが…作曲家は”安倍応援団” 過去にはLGBT巡り物議醸す発言. 2021,07.24. https://news.yahoo.co.jp/articles/9fd9526d43e5bf636e1258409a1ad45f9501edda

[3] Adelstein, J. & Kai, C.: A notoriously hateful Japanese composer’s music just opened the Tokyo Olympics. Daily Beast 2021.07.23. https://www.thedailybeast.com/music-of-koichi-sugiyama-the-notoriously-hateful-japanese-composer-opens-tokyo-olympics-in-latest-gaffe

[4] 公益財団法人国家基本問題研究所: LGBT法案の成立を阻止せよ 有元隆志(産経新聞月刊「正論」発行人). 2021.05.24. https://jinf.jp/feedback/archives/34284

引用したブログ記事

2021年7月21日 東京五輪を支える見えざる手

              

カテゴリー:社会・時事問題