Dr. Tairaのブログ

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汚染物質を測る意義-2


はじめに

前のブログ記事「汚染物質を測る意義-1」(https://blogs.yahoo.co.jp/rplelegans130/16237545.html) で、ヒトの体は水でできており、水を含めた物質の通り道(=交換プール)であることや、この通り道が生物地球化学的循環(biogeochemical cyle, BGC循環)に組み込まれていることを説明しました。

また、BGC循環にない物質が一般に汚染物質と認識されること、それらが水を通して私たちの体内に入り、健康や生活に悪影響を与えやすいことを述べました。このために法令上、汚染物質を含む51項目について水質基準が定められており、日常的に検査が行われていることに言及しました。

ここでは、さらに汚染物質の測定意義について話を進め、豊洲問題について少し触れたいと思います。

重要ポイント(復習)
●人間の体は水でできており、毎日水を摂る必要がある
●人間の体は、水、食物、空気の通り道(=交換プール)になっている
●交換プールとしてのすべての生物を繋ぐ地球規模での物質の流れがBGC循環である
●基本的にBGC循環にないものが汚染物資となる
●汚染物質を監視するために法令上の水質基準がある

1. 分析の意義

私たちが毎日摂取する水や食物の中に健康に悪影響がある汚染物質が入っていては困ります。それらの侵入を未然に防ぐために、検査という手段で汚染物質の監視を行うわけです。しかし、その結果の意味を判断するためには、予め設定された水質・環境基準が必要になります。すなわち、検査結果と水質・環境基準と照らし合わせて、安全かどうかを判断することになります。これらを踏まえて、汚染物質を測定する意義について図1に示します。

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図1. 汚染物質を測定・分析する意義

図1に示すように第1に、水質基準(環境基準)を決めるためには、測定・分析とともに膨大な科学的データの蓄積と学術的な研究が必要になります。専門家や研究者はこの観点から、さまざまな検体について、さまざまな物質について日常的に測定したり、その影響を調べたりしているわけです。

2番目として、水質・環境基準と比べて対象となる環境がどの程度汚れているか、汚染の実態把握があります。たとえば、この水源が飲料水としての用途に相応しいか、その結果で判断します。

3番目として、2番目と関連しますが、汚染現場を修復したり、その対策を立てたりするときには測定結果が基礎データとして必要になります。

4番目として、機器分析も含めて検出技術の正確さの検証があります。以前は検出できなかったものが検出できるようになったり、その精度が上がったりすることで、環境基準の見直しが行われることもあります。

5番目として、行政が一般市民に提供するサービスがあります。各自治体が行なっている検査・測定結果は文書・Webページなどを通して公開されています。

重要ポイント
●汚染物質の測定・分析は多方面からの意義がある

2. 食・環境の安全と生命

図1に述べたように、汚染実態の把握ということが分析の意義の一つです。これは直接口にする水や食品に止まらず、周辺の環境、もっと言えば地球規模の環境にも当てはまります。

その中でも食は、図2に示すように、私たちの生命の維持に直結する大事なものですので、当然ながら誰もがその安全性を望みます。食料の供給源である環境や生態系が汚染されることや、安全でない食品が社会に流通することは、私たちの健康・生存を根底から危うくします。

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図2. 食・環境の安全と私たちの生命

重要ポイント
●食と環境の安全を保つことは生命にとって第一!

3. 生物学的価値と貨幣価値

水、食品、環境が汚染されていないこと、安全であることは私たちの健康維持にとって必須であるわけですが、ここで少しそれが歪められる状況について述べます。それは資本主義社会における生物学的価値の変化です。

生物は食を通じてエネルギーを獲得し、体細胞を生合成します。したがって、食べるということは最も重要な生物学的価値です。それは、昔は狩猟や採集という直接的な食物連鎖上の行為として行われていました。しかし、現代社会の人間はそれを貨幣価値(経済的価値)に変えてしまいました。

私たちは狩や採集で食料を調達することはなく、お金を出して食料を手に入れることが普通です。そして売り手側の資本家は、労働者を雇い、その労働価値からの剰余価値(=儲け分)を得て資本を増やし、それを投資や商品の調達にふり向けることで社会は成り立っています。

このように生物学的価値を経済的価値に変えてしまった唯一の生物が人間です(図3)。人間が作り上げた資本主義社会では儲けることが命題であり、それがしばしば生物学的価値よりも優先順位が高くなることがあります。食べるという行為ではBGC循環に沿う物質が選択されることが重要ですが、資本主義社会では経済第一優先に傾けば傾くほど、非BGC循環物質であってもそれが口に入ることが多くなります。

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図3. 生物学的価値を経済的価値に置き換えた現代社

たとえば食品添加物です。食品添加物の中にはBGC循環にない物質や自然界にないものもあります。これは利便性や経済性を優先する現代社会の産物の例です。ただし、無制限にそれを進めると問題があるので、使用に際して科学的情報に基づく法令や基準を設けて私たちの健康を維持しているということになります

重要ポイント
●人間は生物学的価値を貨幣価値に置き換えている
●資本主義社会ではしばしば生物学的価値よりも儲けることが優先される

4. 食・環境の安全と安心

以前のブログ記事「食の安全と安心」(https://blogs.yahoo.co.jp/rplelegans130/16187395.htmlでも述べたように、安全と安心は異なります(図4)。安全とは、具体的な危険が排除され、それが科学的および法律的に裏付けている状態です。安心とは、安全か否かに関わりなく不安がない主観的な感覚で、情報の提供側との信頼関係に強く依存します。

したがって、水質基準として安全な水であったとしても、その情報の提供側と受け手側との間に信頼関係がなければ、受け手側は心配で飲みたくないと思う可能性があります。一般にモノを売るということは、それが科学的に安全であると主張するだけでは不十分であり、消費者の安心感に繋がる信頼を得て初めて成り立つということになります。

加えて、基準に照らし合わせて安全なものでも受け付けないという消費者側の行動は、しばしば風評被害として形容されることがありますが、これは厳密には正しい言い方ではありません。風評被害とは誤った情報(風説)により、実際以上に被害をもたらす状況を言いますが、たとえ科学的に正しい情報であっても、イメージ低下信頼性低下によって忌避されることはあり得ることです。

たとえば、同じような製品の選択肢が複数ある場合、供給側のイメージが悪ければその製品の質が問題ないと理解されていても消費者は避けてしまうことがあります。現代社会では選択肢はたくさんあるのです。選択肢がたくさんある中で、イメージが悪いモノが忌避されることを、しばしば風評被害と報道されることには違和感があります。

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図4. 食の安全と安心

重要ポイント
●飲食品の安全性は、経済的には消費者が安心感を得ることで達成される

5. 豊洲移転問題

前回の記事で、東京豊洲から水質基準の130倍のベンゼンが検出されたことを述べました(https://blogs.yahoo.co.jp/rplelegans130/16237545.html)。安全対策を検証する都の専門家会議は、「地上部の科学的な安全は確保された状態」と述べましたが、これはあまり意味がありません。この豊洲問題をこれまでの経緯を踏まえて考えてみましょう。

築地市場豊洲移転がこじれた原因はいくつかありますが、三つの大きな問題があることを指摘したいと思います。

第一に、ガス工場の跡地に生鮮食品市場を作るという発想自体が問題です。ガス工場では必ず副産物のベンゼンやシアンが発生し、周辺を汚染することは専門家なら誰でもわかります。生物学的価値を優先するならば、当然このような計画自体を断念すべきでしたが、不幸にも経済的価値が優先されて計画が実行されました。後になって水質基準を大幅に超えるベンゼンやシアンが検出されて大騒ぎになったことは記憶に新しいところです。

第二の問題点として、無視された盛り土です。汚染地に新市場を作るとなったときに、かろうじて受け入れられる対策が建物の下を盛り土で覆うという計画でした。盛り土の意義は二つあります。それは地下から気化してくるベンゼンの遮蔽の働きをするということ、もう一つは盛り土が生物フィルターの役目をし、ベンゼンを吸収して(土壌微生物により)徐々に分解するということです。

ベンゼンの生分解性は非常に悪く、微生物による分解でも長期間を要しますが、盛り土の4 mという厚さはこれを考慮したものと考えられます。しかし、計画を無視して盛り土はなされませんでした。都は二度目の重大なミスを犯したわけです。

第三の問題点は、豊洲移転問題に関わるこれまでの情報が不十分であり、科学的方策に関するPDCA(plan, do, check, action)サイクルも機能していないことです(図5)。したがって、都と市場関係者、都と都民の間の信頼関係は十分とは言えません。

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図5. 豊洲移転に関する問題点

豊洲市場は汚染地帯の真上にあります。都はコンクリートの遮蔽を作るという対策をとりましたが、盛り土なしでは長期間汚染されたままの営業になります。地下水では、何度測っても水質基準を超えるベンゼンやそのほかの汚染物が当分出てくるでしょう。

また、コンクリート等の人工物では必ず亀裂・破損・劣化が起こり、そこからの地下汚染水の噴出も問題になる可能性もあります。もとより埋立地で地盤の緩いところに巨大な複数階のコンクリート閉所空間を作ったわけですから、地盤沈下も当然予想されます。

さらに、生鮮食品を巨大閉所空間の中に閉じ込めるということは新たな問題を生じる可能性があります。これを空調設備だけで管理するというのは無理があるでしょう。閉所空間にしたことで予想される新たな問題として、悪臭発生や空調ライン・内壁の微生物汚染(カビの発生)があります。閉所にすることが衛生学的によいとは限らないのです。

汚染物質の測定・分析の意義として、汚染状態の把握と対策ということを上記しましたが、盛り土という決定的な対策がスルーされたことで、これからは単に測るだけということになりそうです。たとえば、高濃度のベンゼンが検出されたとしても「検出された」という報告をするだけで終わります。少なくとも重大な結果が出たとしても事実の隠蔽だけは避けてもらいたいものです。

都が失った信頼を十分に取り戻すことは容易ではありません。今の状況で「地上部の科学的な安全は確保された状態」と言われても、それが必ずしも安心に繋がるということにはなりません。

しかしそれでも人間は経済性を優先します。これまで投じた何千億円という巨額の金を回収するため、不安を抱えたままでも、関係者はこのまま突き進んで行きそうです豊洲に新たに居を構える業者も、既成事実の上に乗っかって行かざるを得ないのかもしれません。

重要ポイントー豊洲市場三つの問題点
●汚染地帯への移転ー経済的価値の優先
盛り土対策の無視
●信頼性の低下

おわりに

汚染物質を測定する意義というテーマに、とくに豊洲移転問題を取り上げながらこれまで述べてきました。実は、現築地市場も地下水が汚染されていることが分かっていますが、汚染物質の種類が異なります。これから見えてくることは、豊洲と築地の汚染は同列には語れないということです。機会をみてまたブログ記事にしたいと思います。