はじめにー豊洲問題
つい最近、東京豊洲の地下水調査で環境基準の130倍のベンゼンが検出されたことが記事になりました [1]。のど元過ぎればという感じでTVのニュースにもならないくらいの小さな扱いでしたが、これが数年前だったら大騒ぎになっていたことでしょう。安全対策を検証する都の専門家会議は、「地上部の科学的な安全は確保された状態」としています。何事もなかったようにスルーされた感じですが、豊洲の地下は相変わらず汚染物だらけであることを再認識させられた記事でした。
ちなみにベンゼンは世界保健機構(WHO)により発がん物質であると指定されており、水質基準では0.01 mg/Lとなっています [2]。都市ガス(石炭ガス)製造時には副産物としてベンゼンやシアンが発生しますので、東京ガス(株)豊洲工場(1956–1976年操業)の跡地がこれらで汚染されているのはむしろ当然です。豊洲工場では廃水処理(活性汚泥処理)の浄化工程があったとされていますが、生物学的廃水処理でベンゼンやシアンを除去するのは実際なかなかむずかしいことです。
そこで、汚染物質というものが私たちにとってどういう意味をもつのか(汚染物質とそうでないものの見分け方)、なぜそれを測定する必要があるのか、ということについて基礎から考えてみたいと思います。そのためには、まず生物の体の構造と地球上での生物体の意義を考える必要があります。
重要ポイント
●汚染物質を考える場合、ヒトの生物としての地球上における役割が基本になる
1. ヒトの体の組成
ヒトを含めて生物は基本的に水と有機物からできています(図1)。質量からみれば体の約70%が水になります。そのほかは炭水化物、タンパク質、脂質などの有機物が大部分で、数%の無機物(ミネラル)が存在しています。
図1. 生物体の組成(質量比)
このようにヒトの体は、それを維持するために常に環境からその材料である水と有機物と若干のミネラルを摂取する必要があります。一般的には、後2者は栄養という言葉で表されています。
水の場合は、汗、呼気、大小便として1日約 2.3 L が体の外に出ていくと言われていますので(成人男性安静時の場合)、その分毎日外から摂取する必要があります(図2)。水分の摂り方の割合で考えると、50%強を飲料水から、35%を食物から調達しており、残りの13%は酸素呼吸によって体内で発生している分と考えられています。
図2. ヒトの体(成人男性の場合)における水分の出入り
図2ではヒトの体における水の出入りで説明しましたが、有機物やミネラルについてもまったく同じことが言えます。すなわち、体の中では新陳代謝と呼ばれる細胞の死滅と生合成が常に繰り返されており、合成のための新しい材料を栄養として取り入れる必要があります。実際には、活動するためのエネルギーや体温維持も必要となりますので、主食として取り入れる炭水化物の大部分はこの用途に使われます。体つくり(細胞合成)に使われるのは、残りの炭水化物、タンパク質、脂質などです。そして、不要な物質、古くなった物質は尿や糞として排泄されます。
重要ポイント
●ヒトの体の70%は水、残りの大部分は有機物からできている
●体を維持するために水と有機物を外から摂らなければならない
2. ヒトは物質の通り道(=交換プール)
こうしてヒトの体を眺めてみると、常に外から物質(空気、水、食物)を摂り入れ、常に物質を外に出す(排泄)という物質の通り道になっていることがわかります。そして、それらの物質の一部が、体という物理的構造の中に留まっていることになります。このような状態と働きを「交換プール」と言います(図3)。
交換プールとしての機能を高度に制御しているのがゲノム(genome)と呼ばれるDNAの集合体です。DNAは生命の設計図であり、生物はその遺伝情報に従って、体を作り動かしています。加えて体の中には腸内細菌をはじめとするマイクロバイオーム(microbiome)と呼ばれる微生物の集合体が共生しており、宿主の健康や免疫などに関わっています。
つまり、私たちの体は、自分自身のゲノムと共生するマイクロバイオームを司令塔とする「超組織体」であり、その超組織体が交換プールとしての役割を果たしていると言うことができます。
図3. ヒトは物質の通り道であるー交換プールとしての役割
私たちは何のために生きるのか、という人生の押し問答にしばしばぶち当たりますが、生物学的には交換プールとしての役割を果たすためだけに生きていると言っても過言ではありません。
交換プールとしての体が劣化してきた時が寿命です。寿命の後の役割は子孫が引き継ぎます。自分自身が劣化して変異して機能が衰えるよりも、フレッシュな子孫に役割を託した方が効率的なのです。その意味で、私たちの体細胞は分裂を繰り返す度に寿命に近づいて行きますが、生殖細胞だけはなかなか死なないようにできています。
人間はお金儲けのために生きているようなところがあり、仕事や趣味を生きがいにすることもあります。しかし、これは脳だけが極端に進化し、敢えていうならば精神と体が分離した人間のなせる技です。言い換えると、欲望という精神状態が、生物としての体を置き去りにしてしまう(体の限界以上のこと、あるいは体に悪いことをしてしまう)ということです。
この欲望を産む精神によって、交換プールとしての生物学的価値(食べる価値)を貨幣価値に換えてしまった生物は人間だけです。生物としてのヒトから人間になったことで、ある意味これがさまざまな環境問題の起点になったと言うこともできます。
重要ポイント
●ヒトの体は超組織体
●地球上のヒトの役割は交換プール
3. 生物地球化学的循環(BGC循環)
交換プールとしての役割はもちろんヒトだけではありません。地球上に存在するすべての生物が交換プールの役割を担っており、それらを出入りする物質で繋がっています。物質の繋がりは食べるという行為で果たされます。
このような食を通じた生物同士の繋がりは「食物連鎖」と呼ばれます。そして食べ物は、しばしば忘れがちですが、すべて植物が光合成で作ったものです。その光合成産物を草食動物が食べ、それを肉食動物が食べていますが、そのすべての段階の動植物を私たちは食べ物として捕獲・収穫し、それをそのまま、あるいは加工して食べているわけです。私たちが食べた後の燃えかすの二酸化炭素は直接植物のエサとなります。排泄物は基本的に微生物が分解して二酸化炭素と水に換え、これもまた植物のエサとなります。このようにして食を通じた物質は一巡します。
すべての生物の体を通して物質がぐるぐる回っているいうことは、地球上に生きているすべての生物に当てはまります。したがって、この循環は「生物地球化学的循環」(biogeochemical cycle, BGC循環)と呼ばれています(図4)。つまり「物質が地球規模で必然的に生物の体を通り道として循環していること」という定義になります。化学という言葉がくっ付いている意味は、この循環の過程でさまざまな化学反応が起こっていることに関わります。逆に言うと、生物の体を通らない物質や体の中で化学反応に使われない物質は、BGC循環にはない物質だと言えます。
このようなBGC循環にない物質は元々が体に必要ないわけですから、誤って体内に入ると悪影響を及ぼすことが多いです。それゆえ、それらが私たちの生活環境に存在すると「汚染物質」として認識されます。汚染物質の中には水に溶けるものと溶けにくいものがあり、後者が体内に入ると脂肪組織に長期間蓄積される場合があります。
図4. 生物地球化学的循環(BGC循環)と汚染物質との関係
重要ポイント
●物質が地球規模で必然的に生物の体を通り道として循環していることを生物地球化学的循環(BGC循環)という
●汚染物質の多くはBGC循環の外にある
4. 水質基準
私たちが口にするものの中で第一に重要なものは水であり、上記のように毎日一定量の水を摂取することが必要です。水はBGC循環にあるかないかを問わずさまざまな物質を溶かしますが、飲料水の中には汚染物質が含まれてはいけません。そこで、水道水は、水道法第4条の規定に基づき、「水質基準に関する省令」で規定する水質基準に適合することが必要とされています。
このように、水質基準として汚染物質の量を監視することを法令上で定めていますので、日常的に水源や周辺の水環境を分析することが必要になります。自治体はこの法令に従って、水質基準項目を測定しているわけです。
ベンゼンやシアン、ヒ素とその化合物は上記の水質基準51項目に含まれます。豊洲の地下水は飲料水として使われるわけではありませんが、生鮮食品を取り扱う市場が地上部で営業されることを前提として、東京都により検査されています。この問題については次回でまた述べることにします。
参考文献
2. 厚生労働省: 水質基準項目と基準値(51項目). http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/kijunchi.html
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