Dr. Tairaのブログ

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科学者の生活

私は時間を見ては放送大学の講義を聴いています。とくに専門外の講義は新鮮で楽しみです。2ヶ月ほど前には、自分も関わりが深い「科学者」というテーマで講義が行われました。しかし、それを聴講してちょっと違和感を覚えました。
 
違和感とは、端的に言うと私が思う科学者のイメージと放送大学で紹介された科学者像とがだいぶ異なっていたからです。放送では科学者の生活として図1のような紹介がありました。これを見ると「科学者=研究をして、論文を発表する人」のような印象を受けると思います。
 
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図1. 科学者の生活(2018.07.21 NHK放送大学」より)
 
放送での講師は大学教授の方でしたので、おそらく大学や公的研究機関における科学者の一般的姿として紹介されたのだろうと思います。だとすれば研究者としての科学者は一部の姿にしかすぎません。
 
大学における科学者は、職名としては「大学教員」です。科学者という公式な職名はありません。大学教員は「大学設置基準」にもあるように、研究と教育の両方を担います。この両方を効率的にこなすために大学教員は裁量労働制になっています。民間における裁量労働とは違って、基本的に指揮命令系統がないので、自分の好きな時間に勝手に仕事をすることができます(ただしコアタイムがある場合もあり)。
 
一般の方々の科学者のイメージはどのようなものでしょうか。むずかしいことを一生懸命研究している頭脳労働者、あるいは悪く言えば「オタク」のような印象があるかもしれません。確か映画「シン・ゴジラ」では、そのようなオタク系や御用学者として研究者が描かれていたように思います。活躍するのはだいたい官僚や政治家であり、科学的知性は隅に追いやられるのが日本の映画の特徴です。
 
私のイメージする科学者とは、その生活と役割が少しごちゃ混ぜになりますが、1) 研究、2) 教育(学生指導)3) 社会における情宣・啓蒙・提言という基本的に三つの仕事をこなす人物像になります。2)と3)の境界は重複しますが、2)では人材養成という意味合いが強くなります。また、3)にはサイエンス・コミュニケーション(SC)と呼ばれるものが含まれます。
 
まがりなりにも(科)学者という名称がついているからには、自らなし得た知的業績に基づいて学生を指導したり、最先端の科学情報を一般社会へ向けて伝える能力が求められることでしょう。ときには、社会の諸問題に対してその解決策を提示する知的先導者としての振る舞いを求められる機会もあります。そのプロセスが「科学者の生活」となるわけです。でなければ、単なる研究者というナイーヴな位置にシフトしてしまうでしょう。
 
ただし、科学者が給与を得る場として大学にいるか、研究機関にいるか、民間企業にいるかなど、そのポジションによって、1)〜3)の役割の度合いは異なってくると思います。当然、給与の対価として求められている内容も異なってくるでしょう。とはいえ、とくに原資が税金である場合は、科学者が有する知的情報の社会への還元が求められていることに、異論を挟む余地はないでしょう。
 
科学研究の目的について考えると民間企業においては、その成果に基づいて製品化し、市場化することです。行政や公的機関の研究では、その成果を市民サービスへと転化させることになります。一方で、図1に示された研究では、本来はそうでないにもかかわらず、論文を出版することが目的になっている感があります。研究は手段であるにも関わらず、研究そのものが目的化しているような印象です。
 
事実、私が民間企業から大学へ職を移したときに、論文至上主義に走る「大学教員」という職の「研究者」が少なからずいたことに随分と戸惑ったものです。そのようなアカデミア村とも言える閉鎖環境での意識が、いまだに一部で蔓延しているのが日本の大学です。これが日本のアカデミア環境を捻じ曲げ、劣化させている一因でもあります。
 
ここで言う論文至上主義というのは、論文の数や「どのくらい高インパクトの有名雑誌に論文を出したか」で業績を評価する主義です。論文は本来内容が重要であり、その価値は、たとえば、どのくらい波及効果を与えたか(被引用数などで評価できる)で判断されるべきです。
 
研究・論文至上主義に走ると、それに付随してさまざまな問題が出てきます。いわゆるアカハラパワハラと呼ばれるハラスメント行為や、科学的倫理(図2)を飛び越えて研究不正が起こりやすくなります。さらに、社会で先導的立場で働くべき高度人材の養成の妨げもになり、長期的には国力を低下させます。
 
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図2. 科学研究の倫理(2018.07.21 NHK放送大学」より)
 
私も大学にいましたので、「じゃ、お前はどうなんだ?」と言われると、誠に心もとない限りですが、少なくとも図1に示されるような生活がメインにはなりませんでした。学生に育てられたという気持ちもあります。そして、今さらですが、図1で示されるような風潮が流れる大学という職場に、最後まで馴染めなかった感もあります。
 
機会をみて、またあらためて、科学者、大学教員、博士というポジション、そしてSCについて述べてみたいと思います。
 
               
カテゴリー:科学技術と教育