Dr. Tairaのブログ

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スピルオーバーに警鐘を鳴らすWHO専門家

カテゴリー:感染症とCOVID-19(2023年)

はじめに

インドでは、いま、SARS-CoV-2の新しい変異体 XBB.1.16 による感染が増加しつつあります。このXBB亜系統については要注意の状況ですが、Indian Express(IE)は、この流行についてはそれほど大きくならないという世界保健機構(WHO)の専門家の見解を掲載しました [1]。「COVIDの新変異体"XBB.1.16": 何がわかっているのか? 新たな感染症の波を引き起こすのか?」というタイトルの記事です。そこで、この記事の内容を紹介したいと思います。

結論から言えば、新興変異体は、人口のほとんどがある程度の免疫を持っている場合、波風を立てることはまずないということです。本当に危険なのは、SARS-CoV-2がある動物に感染し、大きく変化し、またヒトに戻ってくる場合です。そのために「動物間の感染に目を光らせている」という専門家の発言を取り上げています。

1. 記事に登場したWHOの専門家

今回のIE記事 [1] に登場したWHOの専門家は、SARS-CoV-2ウイルスの進化に関する技術諮問グループ(Technical Advisory Group on Sars-CoV-2 Virus Evolution)の議長であるアヌラグ・アガルワル(Anurag Agarwal)博士です。このグループの唯一のインド人でもあります。

記事の最後に簡単な彼の紹介があります。それによれば、アガルワル博士は、アショカ大学(Ashoka University)のトリベディ・スクール・オブ・バイオサイエンスでバイオサイエンスとヘルスリサーチの学部長を務めています。彼は呼吸器専門医であり、呼吸器疾患の生物学を主な研究テーマとしています。

今回のパンデミックが発生した際には、彼はゲノム統合生物学研究所(the Institute of Genomics and Integrative Biology, IGIB)で指揮を執り、政府のパンデミック対応に重要な専門家として携わってきました。IGIBはゲノム解読コンソーシアムの10のハブ研究所の1つであり、アガルワル博士は昨年退職するまでチームを率いていました。

このように、COVID-19の現況を考察し、今後を占うには、うってつけの専門家の一人と言えるでしょう。

2. XBB.1.16の増加

ここで、まずXBB、XBB.1についておさらいしておきましょう。XBBおよびXBB.1は、2022年の8月中旬にインドで初めて確認され、すぐにインド、シンガポール、およびアジアの他の地域に広がり、優勢になった変異体の系統です。BA.2の二つの亜系統であるBA.2.75およびBJ.1が、一人の宿主の中で組換え(recombinaiton)を起こし(融合し)生じたものとされています [2]

特徴的なこととして、XBBの亜系統のスパイクには、BA.2に見られる変異に加えて、N末端ドメイン(NTD)に5個、受容体結合ドメイン(RBD)に9個の計14個の変異があります。そして、XBB.1にはさらにG252V変異があります。これらのオミクロン亜系統は、いずれも感染力が強く、過去の感染やワクチン接種による免疫から逃れる能力に優れています。ちなみに東京では、いま、XBB.1.5の割合が増えていると言われています。

インドでは、まだ小さい規模ですが、XBB亜系統の感染例が増えています(図1)。IE記事によれば、5つの州(うち4つの州ではCOVID-19患者が増加している)のサンプルで、XBB.1.16が報告されており、少なくとも344個のXBB.1.16配列が同定されています。世界的なデータベースであるGISAIDを検索すると、これまでにアップロードされたXBB.1.16配列の49%がインドで占められています。

図1. インドの感染事例の増加(https://www.ndtv.com/coronavirusより転載).

3. COVID-19感染者の新たな波となる可能性は?

ここから、IE記事に掲載されたアガルワル氏の見解を述べていきたいと思います。

インドで検出されたXBB.1.16の大部分はマハラシュトラ州のもので、数週間前に検出されています。しかし、これまでのところ、重症化した人が大量にやってきて、入院したり、死亡したりするというような、医療システムへのストレスはないようです。

アガルワル氏は、XBB.1.16は感染力は強いけれども、他の優勢な変異体と入れ替わりつつあるため、患者数が大きく増えることはないだろうと見ています。そして、オミクロン亜系統の組換え体は免疫逃避能力に優れているけれども、細胞性免疫に対しては感受性があることを強調しています。

つまり、感染事例の多少の増加にはつながるかもしれないが、オミクロンが初めてインドにやってきた2022年1月のような大きな波が起こるとは思えないということです。同年4月頃にオミクロン亜系統のBA.4とBA.5が後から報告されたときに見られたような、小さな増加のようになるかもしれないと、彼は予測しています。

その根拠として、ワクチン接種とは別に、2021年のデルタ波でほぼ全員が感染し、さらに2022年のオミクロン波で再び感染したことで、ほとんどのインド人が2つの変異体にさらされ、その自然感染免疫が重篤な病気から守り続けているとしています。

これまでのCOVID-19流行は、感染力の強い変異型が登場し、優勢な変異型を駆逐して感染者が増加し、人々が再び免疫を獲得して感染者が沈静化するというパターンです。XBB.1.16でも同じことが起こっていると考えられるわけです。

むしろ、アガルワル氏が最も心配していることの一つは、新しい変異体の流行ではなく、繰り返し感染したことによる結果です。心臓発作や脳卒中などのいくつかの合併症は、以前のCOVID-19の感染と関連しているとし、繰り返し感染するとどうなってしまうか?と懸念を示しています。

4. 感染症から身を守るには?

感染症から身を守るためには?という問いに対するアガルワル氏の見解を、以下に直接翻訳文として引用します。

まあ、私たちは自分の生活を止めることはできません。しかし、特に高齢者や合併症のある人、重症化するリスクの高い人は、いくつかの予防策を講じることで、感染を最小限に抑えることができます。

リスクの高い人は、必要な場合を除けば、人混みや換気のない空間に行くことを避けることです。たとえば、映画に行くことは必要ありません。リスクの高い人は、感染がまん延しているときはそれを避けることです。飛行機や混雑した車や地下鉄にいるときは、マスクをすることができます。ワクチン未接種のままの人は、予防接種を受けることができます。それが唯一の現実的な戦略です。

インドではブースター接種率が低いので(約27%)、3回目の予防接種を受けるべきか?という問いには、以下のように答えています。

私たちはすでに感染症にさらされており、ほとんどの人が一次接種を終えています。同じワクチンを追加接種すれば、防御力は少し上がりますが、それほどでもありません。費用対効果の比率はあまり高くはありません。

それよりも大切なのは、手洗い、呼吸器の衛生管理、家庭やオフィスでの適切な換気、人混みでのマスクなどの予防策を講じることです。これらの対策は、インフルエンザのような他の循環するウイルスから人々を守ることにもなります。

上記のように、アガルワル氏の答えは実に合理的のように思えます。ブースター接種よりも手洗い、換気、マスクなどの非医薬的取り組みの重要性を強調していることは日本人にとっても示唆的です。

5. COVID-19も季節性感染症への道を歩んでいるのか?

この問いについて、アガルワル氏は、COVID-19は時折流行する程度であるが、すぐにはなくならないと述べています。というのも、ほとんどの国民はすでにある程度の免疫を持っているからです。本当に危険なのは、動物に移って大きく変化し、再び私たちに感染する場合だけです。それが最悪のシナリオだと協調しています。このために、インド政府はすでに、動物の間でもこのような感染症に目を光らせるワンヘルス監視(one health surveillance)のような措置をとっていると述べています。

ワンヘルスという言葉は、最近聞く機会が増えてきましたが、人の健康を守るためには動物や環境にも目を配り、自然と一体となって取り組む必要があるという概念です。地球上には様々な環境があり、ヒト以外の多種多様な生物が生存していることから、それらを無視したり人間の都合だけで考えるようでは自らの健康を維持できないという考えから出てきた概念です。地球環境破壊、気候変動、環境汚染、生物多様性の減少は、それらの例です。

新興感染症の多くは人獣共通感染症だと言われています。SARS-CoV-2の場合も多くの哺乳類種に感染すること報告されています。したがって、COVID-19が季節性インフルエンザのようにエンデミックになるかということはもはやあまり重要でなく、ワンヘルスの観点から、スピルオーバー(→ スピルオーバー:ヒトー野生動物間の新型コロナ感染 の監視がきわめて重要になってきているというわけです。

おわりに

COVID-19流行の程度が、自然感染率に左右されるというのは常識的に理解できます。最近、日本のCOVID抗体保有率が42%という報告がありました [3] が、欧米各国やインドと比べればまだまだ低いと思われます。その意味では、インドの場合をそのまま日本に当てはめることは難しい面があります。

日本では依然として大流行が起きる可能性が高いと言えます。第9波は目前と言えるでしょう。それがXBB.1.16かほかのXBB亜系統かわかりませんが、一気に感染が広がる可能性があります。すでにその兆候が出てきています。

とはいえ、アガルワル氏の見解や言述には示唆的なものが多く含まれています。感染の繰り返しが危険だということや、感染防止のためにブースター接種よりも換気やマスクなどの非医薬的措置をとれというのもそうですし、COVID-19のエンデミック化を期待するよりもワンヘルスの観点からスピルオーバーの監視が重要だというのもそうです。

このIE記事には出てきませんでしたが、長期コロナ症(long COVID)の脅威も依然としてあります。

今回のWHOの専門家の見解に対して、日本のいまのCOVID-19対策はいかにも心もとない感じです。すでに終わったことにしてしまうような政治的意図からの対策緩和(というより対策放棄)がミエミエのような気がします。

引用したブログ記事

2022年3月9日 スピルオーバー:ヒトー野生動物間の新型コロナ感染

引用文献・記事

 [1]Dutt, A.: XBB.1.16, the new Covid variant: What do we know about it? Can it cause a fresh wave of infections? The Indian Express, March 24, 2023. https://indianexpress.com/article/health-wellness/xbb-1-16-new-covid-variant-fresh-wave-infections-8516545/

[2] Wang, Q. et al.: Alarming antibody evasion properties of rising SARS-CoV-2 BQ and XBB subvariants. Cell https://doi.org/10.1016/j.cell.2022.12.018 

[3] NHK NEWS WEB: 新型コロナ感染による抗体保有率 全国で42.3% 厚生労働省. 2023.03.24. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230324/k10014017771000.html

                    

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