バスでの長崎までの道中に、バスガイドさんが、私たちに長崎医科大学(現長崎大学医学部)の永井隆博士の話をしてくれました。1945年8月9日、原子爆弾が投下されたときに、爆心地から700メートルの距離にある長崎医大で被爆し、右側頭動脈切断という重傷を負ったにもかかわらず、献身的に被爆者の救護活動にあたった人です。
バスガイドさんは話が終わると、今度は歌を教えてくれました。「原爆を許すまじ」(作詩:浅田石二 作曲:木下航二)という歌です。バスガイドさんの歌う後を追いながら、歌詞とメロディーと覚え、みんなでバスの中で合唱しました。歌ったのはこの一回だけなのですが、4番までの歌詞とメロディーは今でも鮮明に覚えているのが不思議です。
その後、私は18歳から8年間、長崎市内に住みました。8月の暑い中、アルバイトをしていた思い出の中で、最も印象的なのが8月9日の出来事です。原爆投下の11時02分になると、いつも上司や雇い主による突然の「黙祷!」という号令がかかり、仕事の手を止め、全員で1分間の黙祷を行なっていました。この習慣は今でも続いています。
今年の8月9日は、国連事務総長として初めて長崎の平和祈念式典にアントニオ・グテーレス氏が参列し、演説を行いました。彼の演説は、名指しは避けながらも、明らかに核兵器禁止条約に背を向けて「使える核」の開発をめざす米国トランプ政権に向けた強い抗議のように聞こえました(図1)。
今日、長崎では安倍首相と被爆者との懇談会が行われ、4歳で被爆した田中重光さんが被爆者を代表して「総理大臣は挨拶の中で核兵器禁止条約に一言もふれていませんが、その真意をまとめの発言で述べていただけないでしょうか」と要望しました。しかしながら、結局、安倍首相はそれに対して答えることはありませんでした。