Dr. Tairaのブログ

生命と環境、微生物、科学と教育、生活科学、時事ネタなどに関する記事紹介

8月9日


前の記事でも紹介したように(https://blogs.yahoo.co.jp/rplelegans130/16419798.html)、私は、小学校6年生のときに修学旅行で長崎を訪れました。

バスでの長崎までの道中に、バスガイドさんが、私たちに長崎医科大学(現長崎大学医学部)の永井隆博士の話をしてくれました。1945年8月9日、原子爆弾が投下されたときに、爆心地から700メートルの距離にある長崎医大被爆し、右側頭動脈切断という重傷を負ったにもかかわらず、献身的に被爆者の救護活動にあたった人です。

バスガイドさんは話が終わると、今度は歌を教えてくれました。「原爆を許すまじ」(作詩:浅田石二 作曲:木下航二)という歌です。バスガイドさんの歌う後を追いながら、歌詞とメロディーと覚え、みんなでバスの中で合唱しました。歌ったのはこの一回だけなのですが、4番までの歌詞とメロディーは今でも鮮明に覚えているのが不思議です。

その後、私は18歳から8年間、長崎市内に住みました。8月の暑い中、アルバイトをしていた思い出の中で、最も印象的なのが8月9日の出来事です。原爆投下の11時02分になると、いつも上司や雇い主による突然の「黙祷!」という号令がかかり、仕事の手を止め、全員で1分間の黙祷を行なっていました。この習慣は今でも続いています。

長崎時代には被爆者の方々から被爆体験を聴くことができました。その当時の被爆者の方々は一応に口が重かったように記憶していますが、それでも多くの人からの話を聴くことができました。今でも深い記憶として残っています。 

今年の8月9日は、国連事務総長として初めて長崎の平和祈念式典にアントニオ・グテーレス氏が参列し、演説を行いました。彼の演説は、名指しは避けながらも、明らかに核兵器禁止条約に背を向けて「使える核」の開発をめざす米国トランプ政権に向けた強い抗議のように聞こえました(図1)。

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図1. 長崎での平和記念式典で演説するグテーレス国連事務総長(2019.08.09 テレビ朝日報道ステーション」より)

核兵器禁止条約は昨年9月、国連本部において122カ国の賛成で採択されました(図2)。残念ながら、核保有国と日本はこれに加わっていません。

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図2. 国連本部において122ヶ国の賛成で採択された核兵器禁止条約(2019.08.09 テレビ朝日報道ステーション」より)

今日、長崎では安倍首相と被爆者との懇談会が行われ、4歳で被爆した田中重光さんが被爆者を代表して「総理大臣は挨拶の中で核兵器禁止条約に一言もふれていませんが、その真意をまとめの発言で述べていただけないでしょうか」と要望しました。しかしながら、結局、安倍首相はそれに対して答えることはありませんでした。

日本は唯一の被爆国として、核軍縮に向けた、核兵器禁止条約の加盟国からも期待されている先導的立場にあります。それにもかかわらず、条約にも加盟していませんし、その理由についても政府は「現実的でない」というだけで、主体的な行動を示そうとしません。きわめて残念かつ恥ずかしいことだと思います。