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ヴァリオレーション仮説ーマスクの隠れた効果?

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2022年)

はじめに

このところ、欧州ではCOVID-19流行が再燃しています。また、米国では新しいオミクロン亜型ウイルスの検出が増えてきました。これらを鑑みると、そして海外からの来日制限・検疫が大幅に緩和されたことを考慮すると、この冬(早い場合は晩秋から)日本で第8波の流行が襲来することは確実です。ところがここへきて、政府は脱マスクキャンペーンに前のめりになってきました [1]厚生労働省は以下のようなツイートをしています。

厚労省は、マスク着用不要を先に押し出しながらも「屋外では原則不要です」、「会話をほとんどしない場合には着用不要です」ときわめて曖昧な伝え方をしています。「メリハリをつけて」と言いながら、厚労省自身がリスクコミュニケーションとしては全くメリハリがありません。そもそも、義務化もしていないのに、パンデミック前からマスク着用習慣のある国民に対して、脱マスクを奨めるなどおかしいです。

マスク着用は、SARS-CoV-2を含む呼吸器系ウイルスの感染低減に重要な役割を果たすは明確になっています。とくに、SARS-CoV-2は当初の武漢型(基本再生産数 Ro=3.3)からデルタ、オミクロンBA.1(Ro=9.5)を経て、第7波流行のオミクロンBA.5(Ro=18.6)では6倍近い感染力になっていると推察されることから [2]、高性能のマスク着用の意義は益々高まっていると言えます。

1. ヴァリオレーション仮説

ところで、感染防止に加えて、マスクの隠れた役割として「ヴァリオレーション仮説」が提唱されています。ヴァリオレーション(variolation)とは、天然痘患者に生じた膿や痂皮の一部を未感染の健常者に接種することで、天然痘ウイルス(variola virus)に対する免疫を人的に惹起・獲得させる方法です。マスクをすれば、しない場合と比べてウイルスの暴露量が減ります。したがって、マスク越しにごく少量のSARS-CoV-2に長期間曝されることによって、天然痘の場合と同じように、自然免疫を獲得することができるというのがヴァリオレーション仮説の主要部分です。

この仮説を提唱したのは、米カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の感染症専門家、モニカ・ガンジー(Monica Gandhi)博士のグループです [3, 4]。この仮説については、2年前のブログ記事でも少し紹介しています(→あらためてマスクの効果について)。

マスクはウイルス粒子を含む飛沫をろ過し、ウイルス粒子自体も吸着する機能があるので、ウイルスの暴露量を減らすことができます。ガンジー博士らの研究によれば、サージカルマスクで仕切られたシリアンハムスターは、COVID-19の症状がかなり軽くなりことがわかり、マスクが重症度を下げる効果が示されました。また、この軽度の感染から5ヵ月後にSARS-CoV-2に対する抗体が検出されたことから、軽症の感染後でも再感染を防ぐのに十分な免疫を獲得していることがわかったとしています。

これらの結果に基づいて、ヴァリオレーション仮説は次の3つの主要な仮定に依存しています [4]

1) 暴露量の減少:マスクをしているときに感染した人は、マスクをしていないときよりも少ないウイルス量に暴露される

2) 重症度の軽減:ウイルスの暴露量が少ないと、症状が軽い感染症になる傾向がある、つまり、正の用量反応関係がある

3) 後天性免疫:軽度の感染でも、長期間にわたれば自然免疫を獲得することができる

マスクは呼吸器系感染症の感染を完全に防ぐことはできませんが、マスクをしている人は、つけていない人に比べて感染性粒子の吸引量が少なくなります。もし、感染量が少ないほど感染症が軽くなり、最終的に医学的に意味ある免疫力が得られるのであれば、マスクは不顕性感染を維持しながら重症化率を下げる可能性があります。

2. 仮説のシミュレーション検証

ヴァリオレーション仮説はかなりの支持を受けている一方で批判も多く、上記の1)以外は、実験的に証明されていません。この仮説はその後どのようになっているのでしょうか。十分に追試されていないようですが、2、3のシミュレーションの研究があります。

その一つとして、ケーレ(Koelle)らの研究チームによるシミュレーションがあります [5]。彼らが設計した数理モデルSARS-CoV-2に適したパラメータ値でシミュレーションしたところ,感染リスクと重症化リスクはともに暴露量の上昇とともに増加することが示されました。しかし,重症化するリスクは、初期感染ウイルス量が10の6乗を超える高い暴露量においてのみ、意味ある反応になることがわかりました。つまり、マスクをしている状態での自然感染では暴露量が低いため、感染リスクは減少するものの、感染に伴う重症化リスクは減少しないことが予測される結果となりました。

このシミュレーション結果は、ヴァリオレーション仮説の妥当性を弱めるものであり、ケーレ博士は以下のようにツイートしています。

一方で、ヴァリオレーション仮説にポジティヴな意味を与える研究結果もあります。カナダのマックマスター(McMaster University)大学の数学者デビッド・アーン(David D. J. Earn)教授らは、マスクの着用について、感染と重症化リスク軽減の観点から、単純な数学的モデルを用いてその潜在的な利点を検討しました [6](以下図)

彼らは、マスク着用型バリアーの有効性と重要な疫学的指標(Ro、初期流行成長率 [r]、流行倍加時間 [T2],攻撃率、重症感染症の平衡流行率)との関係、および接触時にSARS-CoV-2の感染確率を減少させ、感染期間を変化させる可能性に関する解析的推論を導き出しました。

この研究では、マスクが軽度感染確率(m)に影響すると仮定すると、効果的なマスク着用によって、特に感染力の弱い変異体ほど Ro が減少し、T2 が大幅に長くなるというがわかりました。したがって、r も重症例数もmに強く依存するということです。この結果から言えることは、マスクによるヴァリオレーションの効果を高めることは、全体的にSARS-CoV-2の感染を大幅に減少させ、初期波および平衡時の重症例数を減少させることにより、流行ピークの大きさを減少させるということです。

この面から、研究チームは、ヴァリオレーションがマスクの作用であるならば、現在、COVID-19による医療負担を軽減する手段としてのマスクの重要性が十分に認識されていないと述べています。また、感染力の強いオミクロンや既存のワクチンを回避する新しい変異体の進化の可能性を考えると、ヴァリオレーションの促進におけるマスク着用の有効性をもっと理解する必要があるだろうと述べています。

さらにワクチンとの関係も考察しています。あらゆる年齢層の人々がワクチンを利用できるようにすることは必要ですが、実質的なワクチン接種へのためらいや接種者間でのブレイクスルー感染があり、ワクチンによる集団免疫は達成不可能な目標です。であるならば、マスクによるヴァリオレーションが、COVID-19の緩和と感染対策に貢献する可能性があるとしています。つまり、マスク着用がワクチンの代わりになるというガンジー博士の主張を支持するものです。

ただし、論文でも指摘されていることは、マスク着用によるヴァリオレーションを引き起こす効果の大きさを説得力を持って定量化する実験的研究がない限り、より強力な推論を行うことはできないということです。もしそのような実験データが入手でき、マスク着用が実質的な変動効果をもたらすという仮説を支持するならば、より現実的な改善モデルによって、政策決定に有用な定量的推論を行うことができるかもしれないでしょう。

おわりに

ヴァリオレーション仮説は、支持、否定的批判の両面から注目されています。そのようななかでも一つ確実なことは、マスク着用が感染を低減するということです。これは多くの科学的証拠があります。肝心なことはマスク越しに軽い不顕性感染を重ねることによって、果たして自然とT細胞の免疫が賦活されるかということです。これは実験研究でしかわからないことです。

ただ、ミツバチのSARS-CoV-2汚染の研究結果(→感染流行減衰の要因:雨とエアロゾル消長)からもわかるように、流行時には空中に大量のウイルスが拡散・浮遊し、濃厚接触者でない多くの人が軽いレベルで常時ウイルスを吸い込んでいることは考えられるでしょう。あくまでも想像ですが、もし、これがT細胞の免疫と関わるとするならば、一時的に集団免疫が達成され、宿主の抗ウイルス活性(RNA編集)とともに流行の収束に貢献しているかもしれません。これが流行ピークが数ヶ月で収まることと関係あるかもしれません。

第6波、第7波の爆発的流行を経験して、マスクをしていても感染拡大したではないかと主張する人がいますが、これはいささか誤解です。なぜなら、感染はほとんどが、マスクを外した場面(会食、職場、家庭内など)や不完全なマスク着用(材質、品質、つけ方)の状況で、大量暴露により起こっているわけです。感染力が強くなったオミクロン変異体では、マスクなしや不完全マスクの隙をつく能力が高まっていることを認識しなければなりません。上記の研究 [6] でも、マスクをすれば、オミクロンの倍加時間を2倍に延ばすことがわかっています。

日本を含む東アジアのマスク習慣は、おそらく欧米に比べてCOVID-19流行を低減させる方向にはたらいているでしょう。その潜在的ヴァリオレーション効果も考えれば、欧米の真似をして、ここにきて政府がわざわざ脱マスクキャンペーンに転じることは、愚かなことでしょう。

引用文献・記事

[1] 中村紬葵: 首相がマスク着用緩和に前のめり 周辺はピリピリ、足並みに乱れ. 毎日新聞 2022.06.16. https://mainichi.jp/articles/20221015/k00/00m/010/013000c

[2] Esterman, A.: Australia is heading for its third Omicron wave. Here’s what to expect from BA.4 and BA.5. The Conversation July 4, 2022. https://theconversation.com/australia-is-heading-for-its-third-omicron-wave-heres-what-to-expect-from-ba-4-and-ba-5-185598

[3] Gandhi, M. et al.: Masks do more than protect others during COVID-19: reducing the inoculum of SARS-CoV-2 to protect the wearer. J. Gen. Int. Med. 35, 3063–3066 (2020). https://link.springer.com/article/10.1007/s11606-020-06067-8

[4] Gandhi, M. and George W. Rutherford, G. W.: Facial masking for covid-19 — potential for “variolation” as we await a vaccine. N. Eng. J. Med. 2020; 383, e101 (2020). https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2026913

[5] Koelle, K. et al.: Masks do no more than prevent transmission: Theory and data undermine the variolation hypothesis. medRxiv Posted June 29, 2022. https://doi.org/10.1101/2022.06.28.22277028

[6] , D. J. D.: Face masking and COVID-19: potential effects of variolation on transmission dynamics. J. R. Soc. Interface 19, 20210781 (2022). https://doi.org/10.1098/rsif.2021.0781

引用したブログ記事

2021年9月28日 感染流行減衰の要因:雨とエアロゾル消長

2020年11月27日 あらためてマスクの効果について

                    

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2022年)