ロシアのウクライナ全面侵攻(full-scale invasion)から4日経ちましたが、私はニュース源としてもっぱらBBCやCNNなどの海外メディアの報道やSNS発信(Kyiv Independentなど)に頼っています。2月27日には、New York Timesが、ベルリンでのデモの様子をツイートしていました。
日曜日、ベルリンで行われたウクライナ支援のための平和集会とデモには、10万人以上が参加した。平和団体や環境保護団体、労働組合、教会などの主催者は、2万人の参加を見込んでいた。
More than 100,000 people attended a peace rally and demonstration in Berlin on Sunday in support of Ukraine. Organizers, which included peace and environmental groups, unions and churches, had expected 20,000 to gather. https://t.co/FrODEswSjZ pic.twitter.com/aZeCYxmk3u
— The New York Times (@nytimes) 2022年2月27日
そのツイートに記されているURLに入ると、逐次アップデートされた情報に触れることができます。そのトップ画面に、「日曜日にウクライナのドニプロの駐車場で、モロトフ・カクテル(Molotov cocktail)に使う空き瓶を仕分けする市民ボランティアたち」という説明入りの写真が掲載されていました。
テレビでもモロトフ・カクテルを準備するウクライナ市民の姿を伝えていました。モロトフ・カクテルとは、もちろん火炎瓶のことですが、この語源が旧ソ連の戦争に由来するというのがまた皮肉です。
私が、モロトフ・カクテルの名称を最初に知ったのは、高校生の時の世界史の授業です。世界史の授業と言っても、担当の先生は、ほとんどの時間を19世紀以降の歴史の話に当てていて、いわゆる「受験用の授業」とは無縁でした。その時は「フィンランド冬戦争」を含む第二次世界大戦開始当時の授業であり、火炎瓶の話が出てきました。
モロトフ・カクテルの語源については、これもNew York Timesの記事に出ていますので、ここでそれを翻訳して紹介します。
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Dean, E. J.: How the Molotov Cocktail Got Its Name. New York Times. November 12, 1986.
モロトフ氏の追悼記事(11月11日付)には感銘を受けたが、彼の名を今日に伝えるエピソードが詳述されていないのは残念である。
ロシアとフィンランドの「冬戦争」(1939-1940)の初期に、ロシアはヘルシンキに爆弾と焼夷弾を投下した。フィンランドの報道機関がこれを伝えると、モロトフは「それは間違いだ、ロシア人は仲間に食べ物や飲み物を落としている」と反論したとされている。
モロトフが焼夷弾と飲み物を同一視したことから、複数の焼夷弾を表す「モロトフ・ブレッドバスケット (Molotov breadbasket)」、ガソリンを使った焼夷弾を表す「モロトフ・カクテル」というブラックユーモアあふれる造語が生まれる結果になり、現在では「モロトフ・カクテル」という言葉が定着した。フィンランド人は、当時自国に侵攻してきたソ連軍戦車に対して、これらの兵器を効果的に使用した。
ちなみに、フィンランド人がこの兵器を普及させたのは確かだが、使用されたのは冬戦争が初めてではない。1937年には、中国軍が上海周辺の戦闘で、ガソリンを入れたビール瓶を日本軍の戦車に投げつけ、1938年には、第二次世界大戦の多くの兵器の実験場となったスペイン内戦で使用された。
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記事の翻訳は以上です。
火炎瓶と言うと、今の日本の世代には、安保闘争や安倍晋三元首相の火炎瓶事件などのイメージしかないかもしれませんが、歴史的には、侵略者に対する抵抗のシンボルというとらえ方ができます。それを高校で学んだような気がします。
いまロシアのウクライナ侵攻を見ていると、歴史は繰り返すという言葉を思い出します。ウクライナの人々も歴史に学んでいるということでしょうか。それはともかく、一日も早くこの侵攻が終わってほしいです。
カテゴリー:社会・時事問題