Dr. Tairaのブログ

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緊急事態宣言に伴う「接触8割削減」で思ったこと

今朝(4月11日)起きてすぐに、世界保健機構WHOのホームページにアクセスしました。これが最近の日課になっています。そしたら、テドロス事務局長とともにエグゼクティブ・ディレクターのM. J.ライアン氏によるプレス発表の動画がアップされていました(図1)。

早速その動画を観てみると、日本の東京を含めたいくつかの地域でCOVID-19の感染経路が不明な感染者が増えていることに、懸念を示していました。同時に、この現象は全国レベルで見れば起きていないということから、日本の対応を評価するコメントもありました。

東京を含む大都市圏での感染経路が不明な感染者の増加は、世界からも注目されているわけです。WHOが、全国レベルで見れば評価できるとしていることは、裏を返せば各自治体が独自の判断で検査を拡大し、感染者数を抑えている実績も含まれている結果と見ることもできます。

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図1. WHOによる今日の報告

マスメディアは、先日の国による緊急事態宣言に伴う人の接触・移動制限と休業要請について、集中した報道しています。ウェブやSNS上でも、これらに関する情報が飛び交っています。このような中、BuzzFeedの記事がまたまた目に止まりました。このブログでも何度か取り上げている記者らが、新しく書いた記事です [1]

4月7日、安倍総理大臣は「接触機会を最低でも7割、できれば8割削減」と国民に要請し、そうすれば「感染は2週間でピークアウトする」と随分と思い切ったことを表明しました。この安倍総理の表明の根拠である「人の移動8割削減」の計算をしたのが、厚生労働省クラスター班の中心人物である西浦博氏(北海道大学教授)です。BuzzFeedの当該記事には、この西浦教授へのインタヴュー内容が載っていました。西浦教授は危機管理、感染症や疫学の数理モデルを専門とする研究者で、私も何度となく彼の論文を目にしています。

ちなみに私の専門分野は微生物学生命科学であり、大学に教職として就く前の民間会社時代は、受託検査事業の中で毎日届く依頼検体の微生物やウイルスのPCR検査や、遺伝子の解読に追われていました。とても忙しかったことを覚えています。というわけで、今回の感染症流行に伴う検査の動向や対策については、特段の関心をもって注視しています。

さて、このBuzzFeed記事の内容ですが、冒頭に、なぜ8割削減かに至ったかの計算方法が、西浦教授の解説付き動画で示されています。考え方は至って簡単で、集団免疫理論で使われる基本再生産数R0)、集団免疫閾値p)および実効再生産数Rt)のパラメータを使って、Rt = (1 – p)R0が<1になるようなpの値を計算すればよいことが説明されています。これらの計算については、以前のブログ記事「感染症と集団免疫」、「集団免疫とワクチンーCOVID-19抑制へ向けての潮流」でも述べています。

なぜ、ここで集団免疫が出てくるかというと、集団免疫の代わりに同様な効果をもたらす「隔離」という手段に置き換えて考えれば、感染拡大が抑制できる閾値を計算できるからです。つまり、「何割の人が集団免疫を持てば感染抑制ができるか」という代わりに「何割の人を隔離すれば感染拡大抑制ができるか」というように置き換えて、閾値を導き出します。

ここで重要なのが基本再生産数(1人の感染者が何人に二次感染させるか)です。西浦教授はCOVID-19についてR0=2.5という値を用いて、p=0.6という閾値を出しています。6割以上の人が隔離されればよいという数字です。私が論文で見た範囲では、R0=2.68やR0=5.7というのがありました。とくにR0=5.7は、米国疾病管理予防センター(CDC)報告書に発表された最新の値です [2]。仮にこの値を使うと、p=0.82となり、8割以上の隔離が必要となります。

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図2. 米国CDC報告書に出版された論文で示されたCOVID-19の基本再生産数5.7(文献[2]からの転載)

実際には、記事の中でも紹介がある「伝播の異質性」という人の属性によって行動パターンや伝播性が異なってくるので、西浦氏はこれらを補正してp=約0.8という数字を算出しています。つまり、ここから「8割を隔離する必要がある=接触8割削減」が出てきているわけです。もし、R0=5.7を使えば、もっと厳しい値になります。

このように接触削減の閾値の算出には簡単な線形モデルが使われていまが、彼には、「異質の伝播性に関わる補正計算をどうやってやるのか」をも含めて、国民の前に公開にしてもらいたいと思います。

BuzzFeed記事では、この計算の説明に続いて、政府専門家会議のメンバーが入っている政府諮問会議の性質というか、この会議と政治家の間の話し合いの裏事情が示されています。図3-注1)を見ると、西浦教授が強固に「8割削減」を主張しても、政治の都合であと戻しされる状況が紹介されています。

また、図3-注2)を見ると、オリジナルの数字が諮問委員会の資料でいつのまにか変えられているという、ありえない状況が示されています。誰が変えたのでしょうね?

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図3. BuzzFeed記事からの抜粋−1

安倍政権下での霞が関官僚組織は、文書の捏造、隠蔽、削除、恣意的変更など割と平気で行うようになっていますので、厚生労働省の意図、あるいは政権への忖度で変えられたとしても不思議ではないですね。いや、これはまったく想像の域を出ませんが。

ただあえて言えば、8割削減の提唱は、国がとってきたクラスター戦略の間違いを認めているようなことでもあります。PCR検査を拡大して市中感染者を徹底的に隔離すれば、理論的に接触削減は緩めることができます。なぜなら、検査でわかった感染者の隔離によって、実効再生産数Rtが低下するからです。すなわち、pの値は小さくできます。残念ながらクラスター戦略では検査を絞り込んだ結果、徹底的な隔離ができませんでした。その意味で、8割削減の根拠となる現在の実効再生産数を同時に公表すべきでしょう。

図4には、西浦教授のSNSの利用や、メディアへの不信も含めた見解が記されています。図4-注1)には、テレビ朝日モーニングショーの名を挙げて、事実誤認の報道に憤慨という感じで書かれています。その下には「別の新聞報道では厳密に6割」ということを挙げて、やはりメディアに対する不信感を露わにしています。

モーニングショーは政府からも目をつけられていて、いろいろな機会で槍玉に挙げられている番組です。番組の良し悪しは別として、この記事でメディアへの不信感を表すのなら、当該新聞社の名前もいっしょに出すべきじゃないでしょうか。モーニングショーという固有名詞だけを出してしまうと、やはりこの記事の、あるいは彼自身の(政府寄りの)意図的な姿勢を勘ぐられてしまいます。事実そうなのかもしれませんが。

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図4. BuzzFeed記事からの抜粋−2

そして、ここからこの記事の核心に入るわけですが、感染の実態に関する西浦教授の見解が述べられています。「まだ一般市民には広がっていない」というBuzzFeed記者によるいささか恣意的なタイトルに続いて、「一般の中に感染は広がっていない」というニュアンスの西浦教授のコメントがあります(図5-注1、注2)。

クラスター対策班のメンバーなので、クラスターに固守するのは理解できますが、「感染経路が不明となっている感染者は増えていますが...」と述べているところで、クラスター対策がすでに破綻していることを、自ら認めているようなものでしょう。考えを切り替えるべきだと思います。何よりも「接触8割削減」を提唱すること自体が、市中感染を前提にしているわけですから。

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図5. BuzzFeed記事からの抜粋−1

さらに、「追跡できていない感染者がいるのに、なぜ一般に広がっていないと言えるのか?』という直球質問に、「まだ孤発例がぽつぽつ目に見えるような段階」として、市中感染の広がりを認めていません(図6-注1)。

そして、「夜の街のクラスタ」という例を挙げて、クラスター対策の重要性を強調しています。これは安倍総理が、夜のキャバレー、ナイトクラブ、飲み屋を槍玉に挙げて「行くな」と言ったことのベースになっています。

これらの答えは、やはり危険だと思います。つまり、孤発例が目に見えるということは、患者としての受け入れ用に検査をしているから見えるのであって、そもそもそれ以外は検査をしていない(それ以外の感染者を追えていない)のだから、孤発例の周辺に広がる実態はわかるはずがありません。説得力はないです。そして、今だにクラスターを強調しているところは、ほとんど無意味であることは上述したとおりです。

市中感染は無症状者でも起こしますが、厚労省は無症状者は検査をしない方針をとっています。そして症状があったとしても、東京都の相談窓口では95%が(電話が繋がらないことも含めて)検査を断られているのです(ブログ記事「無症状の濃厚接触者はPCR検査を受けられない」)。

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図6. BuzzFeed記事からの抜粋−1

政府専門家会議やクラスター対策班の専門家の方々の血の滲むような努力には、もちろん敬意を表しますが、一方でこの記事を見ると、この会議と厚労省の方針のバイアスから来る歪みや問題点、そして見かけ上ですが、政府への忖度さえもあらためて感じられます。専門家会議から発信される情報が、会議の法的位置付けがはっきしないということも手伝って、厚労省、政権の間で合理的に処理されていないことが伺われます。

専門家集団は純粋に科学的立場から意見を述べるべきですが、政治的思惑に巻き込まれ、それに引っ張られている状況も見え隠れします。そして、自らの戦略に、適宜総括することなしに、拘泥しすぎるきらいがあるように思います。最近は、政府の至らなさに対する苛立ちとともに責任感も手伝って、少々ミッションを超えた言動になっていることも気になるところです。

今日(4月11日)の東京都の確定陽性者197人で感染経路不明者は157人です。実に80%が感染経路を追えない状態になっており、クラスター外の市中感染が起きていることを物語っています。もはや追跡は不可能でしょう。冒頭で述べたWHOのプレス発表は、そこに懸念を示しているわけです。そして、米国CDCは、発症の自覚のない感染者がスーパースプレッダーになった事例や、感染者の25〜50%を占めていることを発表しています [3]。ちなみに、検査と隔離を徹底している韓国では、感染経路不明者の割合は常に一桁です [4]

クラスター戦略を推し進めた結果として、(その失敗のために)不幸にして市中感染が広がり、大規模な接触削減をやらざるを得ない状況になりました。これは中小企業を中心に、大きな経済的打撃を与えることにもなります。この意味で、クラスター戦略を選択した責任は重大です。

市中感染が追えない状況である限りは、私たちができることは、ひたすら自らを隔離することです。政府は、それを可能とする休業補償を含めた国民への実効性ある経済支援をすることが必要です。 そして、西浦教授を含む感染症対策班の人たちには、政権や厚労省等に忖度することなく、真に科学ベースに基づく提言を期待するものです。そしてその根拠となる情報公開を望みます。

最後に、西浦教授の「42万人死亡説」については、彼自身の国民への丁寧な説明が必要だと思います。何も対策がとられなければという前提を、自然感染の集団免疫に任せて終息をまつというように捉えれば、その理論に基づいて数十万人の死者が出ることは素人計算でもできます。しかし「対策がとられない」ということも、少なくとも数年内に自然感染の集団免疫が起こることも、現実上ありえないことです。何も説明なしに42万人死亡だけをポンと言い出すことは、国民を不安にさせるだけであり、無責任ととられたとしても仕方ないことでしょう。

引用文献・記事

[1] 岩永直子、千葉雄登: このままでは8割減できない」「8割おじさん」こと西浦博教授が、コロナ拡大阻止でこの数字にこだわる理由.  BuzzFeed 2020.04.11. https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-nishiura?ref=hpsplash

[2] Sanche, S. et al.: High Contagiousness and Rapid Spread of Severe Acute Respiratory Syndrome Coronavirus 2. Emerg. Infect. Dis. 2020. Jul [Original Publication Date: 4/7/2020]. https://doi.org/10.3201/eid2607.200282

[3] AFP NEWS: 米「スーパースプレッダー」から15人感染、3人死亡 連鎖はどう広がった? 2020.04.11. https://www.afpbb.com/articles/-/3278094

[4] Ministry of Health and Welfare: Coronavirus Disease-19, Republic of Korea. http://ncov.mohw.go.kr/en/

                  

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