Dr. Tairaのブログ

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沖縄の日

6月23日は沖縄の日(慰霊の日)です。私が初めて沖縄に行ったのは1ドルが360円の頃で、いわゆるパスポートが必要でした。那覇市内のレコード店で見たLPレコードが洋楽盤ばかりで、とても安かったことを記憶しています。ライブハウスに入っても、お客はほとんどが米軍関係者のようでした。ちょうど6月だったと思います。
 
沖縄の友人に案内されて、チビチリガマと呼ばれている読谷村にある鍾乳洞の入り口付近まで行きました。1945年4月から始まった沖縄戦において、集団自決が行われた場所です。ただ、自決とよぶのは適正でないかもしれません。昨夜のNEWS23ではチビチリガマが地元の少年によって荒らされた事件のことを報じていました(図1)。
 
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図1. チビリガマ事件の報道(2018.6.22 TBS NEWS23より).
 
チビチリガマの少し離れたところにあるシムクガマでは、対照的に米兵の説得により集団自決による死者は出ませんでした。
 
73年前本土決戦のための捨て石にされたのが沖縄です。すなわち、日本軍は、住民を守るためではなく、本土防衛のための時間稼ぎのために住民を巻き込んだ消耗戦を展開しました。日米合わせて20万人の死者を出し、その6割が沖縄出身者と言われ、県民の4人に1人が亡くなったとされます。6月23日に沖縄戦終結しました。日本全土が焼土化した先の大戦ですが、上陸した米軍と県民が直接対峙して多数の死者を出したという意味では沖縄戦は唯一無比です。
 
国家を守るためには子どもまで動員し、負傷して足手まといになれば捨てる――それが、あの戦争の本質だったと思う」という元少年兵の方の言葉 [1] はとても重いです。避難した洞窟内では兵隊と住民とが混在し、幼児が泣けば「邪魔だ」とされ、我が子を手にかけた母親さえいると言われています。
 
今日のお昼のニュースでは、糸満市での追悼式を報じていました。
 
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図2. 沖縄全戦戦没者追悼式の報道(2018.6.23. NHKより)
 
追悼式での14歳の少女による平和の詩「生きる」[2] の朗読は、深く心に残るものでした。
 
(一部抜粋)
あなたも、感じるだろう
この島の美しさを
あなたも、知っているだろう
この島の悲しみを
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ
 
翻って、6月23日が慰霊の日であることをどのくらいの日本人が知っているでしょうか。学校教育では、沖縄戦のことをきちんと取り上げているのでしょうか。おそらく、慰霊の日を過半数の日本人が知らないのではと危惧します。
 
国の防衛とは、一義的に国民を守る(国民の命と財産を守る)ことであって、国家権力や国体や軍隊自身を守ることではありません。その意味で、沖縄戦も、住民を置き去りにして真っ先に日本軍が逃げ出した満州での対ソ蓮戦・北方戦も、防衛のあり方を歪めた歴史的事実として語り継いでいかなければならないのです。
 
引用文献
 
[1] 朝日新聞DEGITAL: 沖縄戦で命じられた遺体埋設 鎮魂の桜がつないだ出会い. 2018.6.23 https://digital.asahi.com/articles/ASL6K0V10L6JTIPE024.html?_requesturl=articles%2FASL6K0V10L6JTIPE024.html&rm=363
[2] 毎日新聞:沖縄慰霊の日 平和の詩「生きる」全文 https://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c