まえがき
その流れでというわけでもないですが、以前から気になっている国歌「君が代」についての独断と偏見の雑感をここで示したいと思います。それは、いわゆる論争ネタとなっている歌詞の解釈ではなく(もちろんそれも気になってますが)、果たして歌(音楽)として君が代は斉唱に向いているかということです。
学校の行事や大相撲の千秋楽などでは、参加者は君が代を斉唱することを要求(場合によっては強制)されます。日本国民は無頓着のようですが、上からの国歌斉唱の強要というのは世界の国々を見渡してみてもきわめて珍しいことです。
ここでは、国歌斉唱の指示(強制)が日本国憲法第3章に掲げられている基本的人権(思想及び良心の自由)の保障に違反するかどうかは別として、音楽的に君が代が斉唱に合う歌か、国歌として相応しい歌かということを主として考えてみたいと思います。
1. 歌い方の現状
私はいろいろな行事で君が代を斉唱してきましたが、とにかく「テンポや歌っている歌詞が揃わない」ことに少し苛立ちを覚えてきました。聴こえてくる歌がバラバラなのです。そんなに揃わない性質の歌なのか、だとするならば、プロの歌手は実際どのように歌っているのだろうと、機会をみてはライヴで聴いたり、YouTubeなどにアップロードされている音源を聴いてきました。
具体的に私が感じている歌が揃わないこととは、旋律と歌詞と息継ぎのバランスが悪いことです。とくに、「さざれ石の」という曲としては一番盛り上がらないといけないところで、みなさん「さざれ」、「いしの」と単語をぶった切ってしまうことです。これでは意味がわからなくなり、盛り上がりもシラけてしまいます。
それではプロの歌手のみなさんが君が代をどのようにアカペラ独唱しているのか、YouTubeから拾える音源 [1–28] を基にして分析した結果を表1にまとめます。比較として、法律で制定された国歌としての調・旋律 [29] どおりに演奏されている管弦楽の音源 [30, 31]も引用しますので、とくに「さざれ石」の部分を聴き比べていただければと思います。
ここでいう法律とは、1999年(平成11年)に施行された「国旗及び国歌に関する法律」のことです。この法律で、国歌としての君が代は「歌詞」(古歌 [作詞者不詳])と「楽曲」(作曲:林広守)として、楽譜とともに明確に示されています。キー(key、調)やテンポは示されていませんが、楽譜を見ればキーはハ長調(Cメジャー)と理解できます(図1)。
君が代の旋律や音階は邦楽的要素がありますが、私たちに馴染みのある楽曲は、ドイツ人フランツ・エッケルトによって西洋和声が付加されたものです。すなわち、吹奏楽や管弦楽で耳にする君が代はエッケルフェルトの編曲による改変版であり、これを完成した楽曲として耳にしているのです。
もう少し詳しく言うと、最初は日本政府の依頼を受けて英国人のJ.W. フェントンが古歌(君が代の歌詞)に曲をつけたのですが、評判がよくありませんでした。聴けばわかりますが、西洋の賛美歌のようなメロディーで、当時の日本人には馴染みがなかったのでしょう。そこであらためて日本古来の短旋律歌謡を基にして林広守が作曲したのが現メロディーです。しかし、アレンジが全くの雅楽で和声がありませんでした。聴いたらわかりますが、現代の君が代とは雰囲気がまるで違います。そこでこれまた政府から依頼されたエッケルフェルトが西洋和声をつけて、現在の君が代ができ上がったわけです。
それでは表1をみてみましょう。プロ歌手を中心とする男女26人の独唱の歌い方を示していますが、結論から言うと大部分の歌手の独唱が原曲とキーが異なり、かつ「さざれ石」の部分の歌い方が正しくありません。
その中でキーも「さざれ石」の歌い方も完璧なのが、(事前公開版 [8] は別として)三宅由佳莉氏です [6, 7] 。海上自衛隊東京音楽隊所属のソプラノ歌手だけあってさすがです。歌のうまさも表1に掲げた歌手の中では抜きんでており、一聴に値します(とくに[7]がよく聴き取れる)。
図1. 「国旗及び国歌に関する法律」に定められた「君が代」の歌詞と楽譜
[29]
表1で、原曲のキーで歌っていない歌手は、おそらく絶対音階がないか、あるいは歌いやすい自分の音域のキーに合わせて独唱しているものと思われます。とはいえ、転調(女性はB♭、男性はE♭〜Fが多い)はまあよしとしても、「さざれ石」はちゃんと歌ってほしいものです。
日本は法律で国歌の歌詞と旋律を楽譜を添えて決めてしまいました(図1)。ということは、転調したり、歌詞を切ったりすれば、法律違反になるのでしょうか、と冗談でも言いたくなります。
2. 何が歌いにくくしているのか
君が代が歌いにくい理由の一つは、歌詞の隙間が多くて曲のテンポが遅いこと、2番目として小節(モチーフ)の終わりに高音の2分音符があること、3番目として1オクターヴ以上の音域で歌わなければならず、とくに女性の声で歌いにくいことです。
「さざれーいしのー」のところは「ミソラーレドレー」となり、遅いテンポで高音のレを伸ばしながら歌うのは、とくに女性の場合、地声ではきついです。表1に示した女性歌手の多くが全音下げてB♭で歌っていますが、上記のような理由があるのではないでしょうか。
それでも、とくに「さざれーいしのー」のところは息がもたず歌いづらいです。一般の人たちが斉唱しても揃わないのは、むしろ当たり前のことと思います。
音域が広すぎて歌いにくい国歌は外国にもあります。たとえばアメリカ国歌の"The Star-Spangled Banner"は名曲ですが、音域が1オクターヴ半もあり、男性はもとより女性はとても歌えません。歌いづらいので国歌とすることはやめろという批判もあるくらいです。もっともアメリカでは、日本のように学校で国歌を斉唱させられる機会はありませんが。
ドイツやロシアの国歌も同様に音域が広いのですが、適度なテンポがあり、モチーフの出だしで音を伸ばすことはあっても、後ろで高音で伸ばすことはほとんどないので歌いにくくはありません。イギリス国歌は音域が狭く歌いやすいです。一方、フランス国歌は、旋律をとるのがややむずかしいです。
もう一つ「さざれーいしのー」が「さざれ、いしのー」となる理由は、歌詞の言葉としての意味を、表1の歌手も含めて多くの人たちが意識していないことにもあると思います。つまり、「さざれ石」ではなく、「さざれ」と「いしの」を別々に適当に流れで歌っている可能性があります。
3. 楽曲としてのすばらしさ
とくに「やちよに」というところの、D(on F#)→G→F6(on D)→Em(かつ、ベースランの効果で、Emの前が八分音符分D#dimの雰囲気になる)という和声はすばらしく(図2-4)、また「いわおと」の部分のラ→ソ→ファ→ミと下るベース音も絶妙です(図2-7)。
さらにCメジャーであればド(C)かそのコード音(ミ、ソ)で曲が終わるのが普通ですが、君が代はレ(D)で終わる邦楽の独特の雰囲気をもっています。もしこれにコードをつけてしまうと、ちゃんと「終われない」中途半端な感じになるでしょう。エッケルフェルトは最後の2小節をユニゾンにすることで曲の終わりを解決すると同時に、導入の2小節のユニゾンと対応させています。
図2. エッケルフェルト編曲「君が代」の歌詞と楽譜(ピアノ伴奏用)
ここで一つ疑問があります。「国旗及び国歌に関する法律」は、君が代を「曲」ではなく「楽曲」と記しています。楽曲とは声楽曲・器楽曲・管弦楽曲などの総称であって、演奏される一つのまとまった音楽を言います。ということは、この法律は、エッケルフェルト編曲版(図2)の演奏を意識して書かれているのでしょうか。
もっとも最近の若い人やポップス業界、メディアなどは、曲のことを楽曲というクセがあって、ごちゃまぜの状態になっていますが。
4. 国歌として相応しいか
上記のように、私は楽曲としての君が代は好きですが、それが斉唱用を含めた国歌として相応しいかと言えば話は別です。
一つは、上述したように、旋律と歌詞と息継ぎのバランスが悪いため歌いにくく、斉唱に向かないからであり、バラバラの斉唱を聴きたくないからです。
あらためて図1を見ていただくとわかるように、歌詞と音符がフィットしておらず(「ちよに--」とか「むーすーま– –で」のように、意味のないカラ母音の発声が多い)、スローテンポ(♩=60)もあって息継ぎがむずかしく、合わせにくくなっています。
おそらく、古歌(作者不詳)に無理やり曲を当てはめた結果だと思います。国歌を目指すなら、最初からちゃんと作詞した方がよかったと思いますが。
とはいえ、エッケルフェルトによるすばらしいアレンジによって、歌詞のバランスの悪さやその意味さえもマスクされ、多くの日本人はその旋律に感動さえも覚えるのではないかと思います。この点は、RADWINPSの「HINOMARU」のケースにも通じるものがあります。
言い換えれば、たとえ時の為政者が歌詞に都合のいい解釈と概念をもたせようとも、美しい旋律と和声による音楽がそれらを凌駕してしまい、聴衆はマインドコントロール状態に陥る可能性があるということです。
もう一つの理由は、実質ドイツ人が作ったと考えられる楽曲なのに、なぜそれを日本の国歌としなければならないかということです。国歌とするなら、すべて日本人による作曲・編曲の楽曲が望ましいと思っています。
そして、最後の理由は、これは曲の問題ではなく、一般的に論争になっている歌詞の解釈の問題です。ここでは多くは語りませんが、たとえば、辻田真佐憲氏によるウェブ上の記事おいて、この問題が解説されています [32]。問題とされることを要約すれば、以下のようになります。
「君が代」は天皇とその治世を讃えた歌であり、戦前・戦中、国民に軍国主義・全体主義を推進するエンジンとして利用された経緯があり、そこからの決別や総括がうやむやにされたまま、現在の法制化、国歌斉唱強制の動きに至っている。
比較として引き合いに出されるのが、同じく戦争に敗れたドイツです。戦前・戦中にナチスの支配下にあったドイツでは、戦後も戦前の国歌を残しました。しかしながら、戦争への反省とナチスとの決別を示すために、国家主義的内容を含む1節、2節を削除し、3節のみを歌うようになりました。
日本では法律が制定されたことで、学校行事などのさまざまな現場で、君が代斉唱の強制の動きが見られるようになりました。国歌斉唱を強制するのは中国など一部の国のみであり、お隣の韓国、アメリカ、ヨーロッパの国々も含めて世界の民主国家にはほとんど見られません。
文部科学省は、10年前までこれらの世界の国歌の取り扱い方の現状をまとめた情報をウェブ上に公開していたのですが、なぜか削除してしまいました。都合が悪かったのでしょうか。しかし、その情報はアーカイヴとしてまだ見ることができます [33]。
2004年、天皇陛下が、国旗・国歌は「強制でないのが望ましい」と園遊会でおっしゃられたこと [34] が印象に残っています。天皇は現憲法をよく理解されており、15条や99条を守れない現政権の政治家・霞ヶ関官僚とは対照的です。
おわりに
君が代は、楽曲として音楽的に優れており、私もいろいろなところで歌っています。それでもなお、個人的所感として、国歌として向かないことは上に示したとおりです。
君が代を国歌とするなら、少なくとも、まず法律から解放すること、斉唱を強制しないこと(演奏のみを流すか独唱にする、ただし歌うのは自由)、そして、斉唱する機会があるとすなら、曲のキーをB♭に下げることを望みます。
ただ、キーを下げると、ただでさえスローテンポな曲が、スポーツの試合前の斉唱で気分を盛り下げてしまいそうですが。
YouTube音源および引用文献
[5] 君が代失敗(歌手:ふくい舞)https://www.youtube.com/watch?v=PsJG9yw5EC4
[6] 三宅3曹東京ドームで国歌独唱 https://www.youtube.com/watch?v=wnNN2DhB7Ng
[7] 三宅由佳莉さん 地元 岡山県での 国歌 君が代 独唱 【 海上自衛隊 海自の歌姫 】 ちよだ 命名・進水式にて(玉野市三井造船) https://www.youtube.com/watch?v=M0Z7swl-D8o
[9] MAYJ. 東京ドームにて君が代独唱 2012.3.26 https://www.youtube.com/watch?v=QW79K0JeKZ0
[12] 日本の国旗 ISSA歌手「DA PUMP」https://www.youtube.com/watch?v=pMe3IsHbZS0
[30] 国歌「君が代」(歌詞付き)https://www.youtube.com/watch?v=8iuYxdXFPbc
[31] 日本国国歌 君が代 https://www.youtube.com/watch?v=h0j5lClcdmU
[32] 東洋経済ONLINE 辻田真佐憲:「君が代」は、なぜいつまでも議論になるのか 最大の問題は日本人自身の中にある. https://toyokeizai.net/articles/-/108352
[33] ekesete1のブログ:文科省サイトから消えた資料「諸外国における国旗,国歌の取扱い」 http://blog.livedoor.jp/ekesete1/archives/44217594.html
[34] asahi.com: 国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で. 2004.10.28. http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html
カテゴリー:音楽と芸術